人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
あと
◆律令国造の就任儀礼は、すべての国別国造について行われていたのか、そうでないのか、わたしにはわからないが、出雲国造と紀伊国造のみ儀式書が残る。で出雲が紀伊と比べて少し特別であるのだとか。きっと出雲の国譲り神話が、日本神話に組み込まれたことと関連するのでしょうね。服属儀礼としての国造就任儀礼の筆頭に出雲国造が位置づけられるが、それは国譲りとセットなんだろう、と。
◆どこにでも国譲り神話があったかどうか、そんなことは知らないが、倭王権に従うといった局面はどこにでもあったわけだ。なぜに出雲か、そこがわからんが、出雲を突き放して言えば、出雲がある理由で選ばれ、記紀に出雲を舞台にした国譲り神話を代表として組み込み、国別国造就任儀礼の第一として位置づけた、と。
◆どこにでも国譲り神話があったかどうか、そんなことは知らないが、倭王権に従うといった局面はどこにでもあったわけだ。なぜに出雲か、そこがわからんが、出雲を突き放して言えば、出雲がある理由で選ばれ、記紀に出雲を舞台にした国譲り神話を代表として組み込み、国別国造就任儀礼の第一として位置づけた、と。
あきたので
◆卒論で律令国造というのを学んだ。天武朝には「国別国造」があり、設置時期を示すものでなく、既にいるので、設置はさらにさかのぼる。この卒論を読んでオレが考えたのは、旧国造は評司になるとともに、その地域で最有力の国造が、より広域の「国別国造」に任命され、派遣される国宰とは別に「現地国司」として一定の役割をもたせられていたのではないか、ということ。律令期の在地支配は、旧国造層を取り込んで行われたことはよく言われていることだが、さらに「国司」の役割もそうだったのではないか。「国別国造」これは名誉職的ながら奈良時代にも平安時代にも続き、著名なのが出雲と紀伊なわけだが、「国別国造」が機能したのは7世紀後半なのである。やがて国司が実際に任地に赴くことによって、「国別国造」は役割を終えていく。「国別国造」というのが、改新と大宝令をつなぐ現実施策として設定されたこともまた、7世紀史を考えるきわめて重要なコトガラではないだろうか。
◆ほんまか~、そうかもしれないけど、それが機能したか~、いろんな反論はありう
るが、論理的に考えれば、上記のような結論になると思う。機能したかどうかは証明不可能だが、少なくとも、実にスムーズに展開が説明できることは確かであり、「現地国司」としての役割をもたせられていた可能性を積極的に考えてみたい。
【追記】写真に意味はありません。ハルカスのグランドオープンまで、あと26日というカウントダウンの表示のようです。
◆ほんまか~、そうかもしれないけど、それが機能したか~、いろんな反論はありう
【追記】写真に意味はありません。ハルカスのグランドオープンまで、あと26日というカウントダウンの表示のようです。
今日の新聞の
◆是枝監督の記事は実によかった。武蔵丸の話がもっとも象徴的でした。うちの近世史の教員がふだんから言っていることと通じると感じた。一人ひとりの人生に、寄り添い、向きあうこと。
◆例えば、オレはありがたいことに、こういう職をえてメシを食わせてもらっているわけだが、そうした希望をもちながらも職を得られなかった人が多くいる。また、いま有期の職ばかりで、自分はどこまで続けるべきか悩みながら生きている仲間がいる。彼ら、彼女らに、どこまで寄り添えるか。そうすると、埋文とか文化財とか、博物館とか、この世界をもっともっと必要なものとして社会に位置づけられることに、さいわい職を得ている者は、できるだけ努力しなければならない。そんなことを考えました。勝者などではけっしてない。
◆例えば、オレはありがたいことに、こういう職をえてメシを食わせてもらっているわけだが、そうした希望をもちながらも職を得られなかった人が多くいる。また、いま有期の職ばかりで、自分はどこまで続けるべきか悩みながら生きている仲間がいる。彼ら、彼女らに、どこまで寄り添えるか。そうすると、埋文とか文化財とか、博物館とか、この世界をもっともっと必要なものとして社会に位置づけられることに、さいわい職を得ている者は、できるだけ努力しなければならない。そんなことを考えました。勝者などではけっしてない。
鴻池新田会所
◆念願だった鴻池新田会所に行く。前に来たときは閉まっていたんです。平野屋新田会所の保存問
題の時に、大和川付け替えにともなう旧河川床、そして深野池・新開池の
新田開発について学んだ。各所にあった新田会所のなかで、平野屋がなくなり、そのまま残る唯一のもので、国史跡になっている(もうひとつ八尾の安中新田会所も建物は残っている)。
◆本屋は1707年にでき(2年かかったと書いてあったかな)、建物も重文になっている。米蔵が展示施設として利用されていて、概要のビデオ、パネル展示がされている。江戸時代だけでなく、戦後の農地解放まで機能し、1976年に史跡指定、1978年に東大阪市が土地を買い上げたとのこと。そのあと解体修理を経て公開されている。ここのHPに行けば、これまでの企画展等のパンフレットがPDFでダウンロードできる。
◆そのあと近つに行きました。
◆本屋は1707年にでき(2年かかったと書いてあったかな)、建物も重文になっている。米蔵が展示施設として利用されていて、概要のビデオ、パネル展示がされている。江戸時代だけでなく、戦後の農地解放まで機能し、1976年に史跡指定、1978年に東大阪市が土地を買い上げたとのこと。そのあと解体修理を経て公開されている。ここのHPに行けば、これまでの企画展等のパンフレットがPDFでダウンロードできる。
◆そのあと近つに行きました。
生駒ふるさとミュージアム
◆行ってきました。旧の町役場だそうです。入り口を入ると、すぐ館長とでくわし、学芸員2名を紹介され、長々とおしゃべ
りする。写真の手前に、フロアに空中写真があり、壁沿いにロールカーテン式のパネルがある。近年は、このロールカーテン式のものが増えている(前に鳥取県博でも国絵図で紹介した)。かさばらないし、セットそのものは確立されているし、取り替えも簡単。ただまあ、ふつうのポスタープリンターではだめなんだろうが、そのうち可能になるかもしれない。
◆展示の部屋は2室でささやか。手前が通史展示であり奥は民具、その先に第2室があり、生駒曼荼羅と行基の展示となっている。
◆生駒市のことをいろいろ聞いていると、まあちょっとしんどい面がある。埋文職員は嘱託で、また今はいないとか。このミュージアムも指定管理。生駒市は12万人、けっして小さくない。が大阪府生駒市ともよばれるように、ベッドタウンであり、いっぱい人が移り住んできた。地の者と生駒駅周辺のニューカマーとの意識の違いはあろう。が、この谷間の歴史があり、文化がある。このミュージアムが、生駒17郷の歴史・文化をもっと大事にする故郷づくりの拠点となってほしいもの。博物館を作り上げるのに、また運営上、ノウハウをもつところに任せざるをえないのかもしれないが、将来を見据えてやっていってほしいものと願う。
◆展示の部屋は2室でささやか。手前が通史展示であり奥は民具、その先に第2室があり、生駒曼荼羅と行基の展示となっている。
◆生駒市のことをいろいろ聞いていると、まあちょっとしんどい面がある。埋文職員は嘱託で、また今はいないとか。このミュージアムも指定管理。生駒市は12万人、けっして小さくない。が大阪府生駒市ともよばれるように、ベッドタウンであり、いっぱい人が移り住んできた。地の者と生駒駅周辺のニューカマーとの意識の違いはあろう。が、この谷間の歴史があり、文化がある。このミュージアムが、生駒17郷の歴史・文化をもっと大事にする故郷づくりの拠点となってほしいもの。博物館を作り上げるのに、また運営上、ノウハウをもつところに任せざるをえないのかもしれないが、将来を見据えてやっていってほしいものと願う。
で、野口王墓
◆昨日、宮内庁が、来週金曜日に天武持統陵への15学会立入りを公表した。そうです、今年は野口
王墓古墳なのです。宮内庁も墳丘の貼り石を露呈させるような調査をやっていることが判明し、牽牛子塚古墳の報告書で、その内容は公表された。立ち入ってどこまで見れるのか楽しみだ。そう大きくはなく、墳丘頂部まで見通すこともできるだろう。裾廻りとはいえ、ほぼ墳丘斜面全体を観察できるに違いない。八角墳のサマを、実際に見れるわけだ。
◆石室の入り口付近の様子も関心があるが、まあ埋まっているんだろうが、前に大きい石が据えてあるというのがアオキノ山陵記にある通り。まだ完全な埋め込み式でなく、開口部を設けている段階。ハの字形に開いている様子がわかるのか、現時点であまり予備知識はないが、本番まで、参考文献を熟読して、予備知識をためこんで当日を迎える必要がある。
◆石室の入り口付近の様子も関心があるが、まあ埋まっているんだろうが、前に大きい石が据えてあるというのがアオキノ山陵記にある通り。まだ完全な埋め込み式でなく、開口部を設けている段階。ハの字形に開いている様子がわかるのか、現時点であまり予備知識はないが、本番まで、参考文献を熟読して、予備知識をためこんで当日を迎える必要がある。
陵墓の会議
◆2月12日、京都で夕刻から運営会議。メインテーマは、立入り観察の今後。いろんな意見が出た。まあ、じっくりとやりましょう。大阪歴科協で陵墓の話を前にしたが、その後、15学協会の勉強会で百舌古墳群の取り組みを報告する機会があった。歴科協に原稿を書くことになっており、歴科協の時の話の一部を盛り込みつつ、15学協会で報告した話を盛り込んで書ければと思ってはいるが、なかなか筆も進まず。どうなってますかとの問い合わせも。なんとか書き上げたいのですが、少々、時間が必要か。
◆今日の議論は、前からも出ていることで、団体行動としての立入りは、その要請から実現、ここまでの実施そのものに、むろん新たな進展としての意義が大いにあったわけだ。が、一方で、宮内庁は内規を改め、学術目的の要請に対し、立入りを認めたわけで、それにしたがって、参加学会単位であれ、そこに集う研究者個々であっても、同じように扉は開かれている。内規にしたがって、学術目的でいろんな個人や団体が、それぞれの問題意識で、所蔵資料の資料調査をするように、対象は現場というだけで、どんどん活発にやり、当たり前のようになることが望ましい。団体行動をどこまでやるのがよいのか、という議論。
◆個々の立入りが活発化すること、それは陵墓公開の実質的な前進であり、定着していくことが望まれる。が、いまはまだ団体行動で6回?くらいの実績を作った程度、他団体の立入り実績はむろんわからないが、さほど多くないだろう。だから、団体行動も、まだ当面やっていく必要があるんちゃうかと思っている。これもひとつの意見。一方、基本的な方向性は、道筋はできたし、あとはそれぞれでやっていけばよく、いましばらくはやるとしても、団体行動としての立入りは収束させていくというのもわかる。また、一定の立入り観察蓄積を経て、新たなステージをめざしていくという考え方もある。
◆まあ、あまり性急ではアカンし、人にはいろいろ考え方もあるし。あくまで任意の団体行動であって、こうでなければならん、というコンクリートなものがあるものでもない。陵墓の保存と公開を進めていくという緩やかな合意で参集しているわけで、その目的のために束で動くことの有効性を認め合う範囲で協調行動を取りましょう、くらいでよいわけだ。ただ、その場合でも、学会の論理だけでもないようにも思う。いまは学術目的の場合という条件下で、実際に立ち入れるのは限られた側だ。が、内部はどんなんか、知りたい層はもっと広範にいるわけで、それをつなぐ役割もまた意識した方がいいのではないかと思っている。
◆今日の議論は、前からも出ていることで、団体行動としての立入りは、その要請から実現、ここまでの実施そのものに、むろん新たな進展としての意義が大いにあったわけだ。が、一方で、宮内庁は内規を改め、学術目的の要請に対し、立入りを認めたわけで、それにしたがって、参加学会単位であれ、そこに集う研究者個々であっても、同じように扉は開かれている。内規にしたがって、学術目的でいろんな個人や団体が、それぞれの問題意識で、所蔵資料の資料調査をするように、対象は現場というだけで、どんどん活発にやり、当たり前のようになることが望ましい。団体行動をどこまでやるのがよいのか、という議論。
◆個々の立入りが活発化すること、それは陵墓公開の実質的な前進であり、定着していくことが望まれる。が、いまはまだ団体行動で6回?くらいの実績を作った程度、他団体の立入り実績はむろんわからないが、さほど多くないだろう。だから、団体行動も、まだ当面やっていく必要があるんちゃうかと思っている。これもひとつの意見。一方、基本的な方向性は、道筋はできたし、あとはそれぞれでやっていけばよく、いましばらくはやるとしても、団体行動としての立入りは収束させていくというのもわかる。また、一定の立入り観察蓄積を経て、新たなステージをめざしていくという考え方もある。
◆まあ、あまり性急ではアカンし、人にはいろいろ考え方もあるし。あくまで任意の団体行動であって、こうでなければならん、というコンクリートなものがあるものでもない。陵墓の保存と公開を進めていくという緩やかな合意で参集しているわけで、その目的のために束で動くことの有効性を認め合う範囲で協調行動を取りましょう、くらいでよいわけだ。ただ、その場合でも、学会の論理だけでもないようにも思う。いまは学術目的の場合という条件下で、実際に立ち入れるのは限られた側だ。が、内部はどんなんか、知りたい層はもっと広範にいるわけで、それをつなぐ役割もまた意識した方がいいのではないかと思っている。
建国記念の日
◆今年の211は行かなかった。すいません。が、新聞では、安倍君がなんか見解を表明したのか、反対集会と「奉祝」集会の記事が載っている。
◆でまず「奉祝」側、神社本庁がかかわる団体が式典で憲法改正を決議したとか。これって憲法違反ではないのか。宗教団体で、信教の自由にもとづき信仰にかかわる事業に対し税制優遇措置が執られているのではないのか。そうでなく、憲法改正などということに踏み込む神社からは、所得税をガッポリ納めてもらい、脱税行為があれば手厳しく摘発すればいいのではないのか。
◆ここからが本題。前にも書いたかも知れません。建国記念の日が虚構で、あんなええかげんな日を建国の日として祝う行為に対する反対の仕方として、歴史学としては、明確な日本の国家形成の筋道を示すことだと。神武天皇が橿原宮で即位したなんていうウソを全面に押し出すことが馬鹿らしいほどに、日本の国の始まりはこうであると、はっきりさせることではないのか、と思っている。これはこれでナショナリズムを喚起するおそれや、北海道や沖縄の問題があることも承知している。
◆が、国号を日本とする倭国の出発点は、倭国乱を経て、卑弥呼を共立して戦乱の持続を回避し、上位権力を合意の上で設けることで、この国がスタートしたということを、はっきり教科書にも書かれるところまで進める必要があるのだ。それが当たり前になれば、神話は神話となる。むろんなお、神武即位にしがみつくヤツラは絶えないとしても。そこの仕切りをはっきりさせることが、まず必要。
◆でまず「奉祝」側、神社本庁がかかわる団体が式典で憲法改正を決議したとか。これって憲法違反ではないのか。宗教団体で、信教の自由にもとづき信仰にかかわる事業に対し税制優遇措置が執られているのではないのか。そうでなく、憲法改正などということに踏み込む神社からは、所得税をガッポリ納めてもらい、脱税行為があれば手厳しく摘発すればいいのではないのか。
◆ここからが本題。前にも書いたかも知れません。建国記念の日が虚構で、あんなええかげんな日を建国の日として祝う行為に対する反対の仕方として、歴史学としては、明確な日本の国家形成の筋道を示すことだと。神武天皇が橿原宮で即位したなんていうウソを全面に押し出すことが馬鹿らしいほどに、日本の国の始まりはこうであると、はっきりさせることではないのか、と思っている。これはこれでナショナリズムを喚起するおそれや、北海道や沖縄の問題があることも承知している。
◆が、国号を日本とする倭国の出発点は、倭国乱を経て、卑弥呼を共立して戦乱の持続を回避し、上位権力を合意の上で設けることで、この国がスタートしたということを、はっきり教科書にも書かれるところまで進める必要があるのだ。それが当たり前になれば、神話は神話となる。むろんなお、神武即位にしがみつくヤツラは絶えないとしても。そこの仕切りをはっきりさせることが、まず必要。
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。