人を幸せにする人になろう

25日は根来の書評会

◆大阪駅前第2ビル4階のコンソーシアム大阪のセミナー室で開催。10:30~17:00まで。満席で盛況 でした。惣国とか都市とか、考古学で形成期の、つまりどこから国といえるか、どこから都市といえるか、という議論ともつながる点がありますね。また、雑賀が横ならびで、根来が系列関係を多数含みながら求心性をもつなど、といった内実の形態についても。
◆いずれにしても、根来研究の進展とか、昨年の本の意義とか、そこで展開されている議論の中身や、課題など、いろいろと勉強になった。
◆ふと、西側尾根の要害を問題にしてきたわけだが、西の山城とか、大きな掘とかを考えると、天正10年以降の防備体制をちょっと広い目で考える必要があるかなと感じた。一乗閣移転地は大門とともに最終防御ラインになるんだろうが、その手前のところでも施設を構築している可能性を考えないといけないかな、と。
◆昨年の本が現時点のひとつの到達点として基本文献になっていくことは間違いないところだが、今回の書評会の内容や議論もまた、『ヒストリア』でまとめておけば、さらに意義深いものとなるかなと思い、企画者側に原稿化することも考えほしいとお願いしてみた。
【追記】それにしても、白山平泉寺が勝山市がねばり強く取り組み、ガイダンス施設を設けたり、遺跡の整備にも進んでいる姿とのギャップは何なのだ、と思わずにはいられなかった。

横口式石槨の石槨規模

◆前にも出したグラフ。前はとにかく、たぶん塚口先生の研究を踏まえた近つの図録の表にあった 数字をざ~と入れて散布図を作っただけだが、その時にも、9尺とか5尺とか4尺とかのみならず、一定の尺度にところに近いものがあり、当たり前だが本来は規格的にデータは格子状にまとまるだろうとみていた。なので、今回、図面にあたり採寸し、設計寸法を勝手に決めて作り直した。ひとつまえの西峯みたいな作業を経て、表を作り直すべきなのだが、時間もないし、方格をあてはめておらず、図面での作業だが。まあでも、たぶん大丈夫。宮前山とか松井塚は、確かに石棺を囲む石積みの規模が、ほぼ2.7m*1.5mですね。
◆土日の作業の後始末はこのくらいにして。授業の準備を・・・

鉢伏山西峯は典型例か

◆阿武山には確信がもてるまで接近しないのが無難か。薄葬令の典型例は、土器も出ている鉢伏山 西峯になりうるかなと。墳丘と石室・石槨にわけて尺度の分析をして一定のデータ集積をしてきているが、そろそろ統合的に考えなくちゃいけないと思い、終末期古墳シートを作ってみました。厚めの紙に印刷して束ねていきたいと思います。その第1号を、西峯でやってみました。
◆異論もあるかもしれないけど、墳丘の北側(左側)が削られている可能性は、石槨をはさんで左右非対称だからありうると思っていて、石室を中軸にあわせると南側(右側)はちょうど1.5mの4.5単位で、これが尋とすれば、ちょうど9尋なのです。石室は、幅は3尺ですが(刳り抜きですからね)、前室部より1段高い部分で長さをみると、ちょうど9尺になります。で飛鳥Ⅱだと。

資料の作成過程で

◆結局、横口式石槨も十分やれないまま資料は出した。40分なので、中身としても、あまり増やす べきでもない。まあ、本番直前にもう少し。
◆1尋が1.5mで、それにより規定されている、というのをよりつっこむため、いろいろ事例を増やした上で、『定北』の図を使わせてもらって書き込んだ。薄葬令は奇数値だが(とはいえ実態は後述)、7世紀前半はどうも偶数値のようです。ちなみに、1.5mは30㎝の5倍でもあるわけで、25㎝尺の6尺1歩(これを尋とみているわけですが)、唐尺で墳丘が規定されているとの見方(たとえば牽牛子塚)とも通じるわけです。尋なのか尺数なのか、見極めはむつかしいが、通底するということだ。
◆それと話は変わるが、唐尺も30㎝強みたいなんと、奈良時代に近づく時期の29.7㎝があるようで、問題となっているようですが(あんまりちゃんと知らない)、普通に考えれば、やってきた尺度は30㎝強くらいだけれども、一方で、度地尺としての高麗尺35.6㎝があり、(石室とは異なる二次波及といまは見ていますが、7世紀前半の寺院の大まか設計から明らか)、普通に考えれば、そこで5:6で調整すれば、すなわち35.6㎝/6*5=29.66㎝となる。そういう決めごとをして調整を図ったと理解できるかも知れません。

和泉市黒石古墳

◆むかし墳丘測量をやった、和泉市で珍しい畿内型石室。いま考えると、坂本糠手墓の候補になる かな。玄室長さ13尺4.6m、幅6.5尺2.3m。推古朝はまだ本拠地に墓を造営するのだろうが、坂本背後の信太千塚にふさわしい方墳+石舞台式石室=墳があればいいのですけど、なさそうだし。
◆いや、改進シンポの資料を、この両日、センター試験の間、大学でだあれもいないなか集中してやろうとしているのですけど、昨日、あらあらできあがり、枚数からしても、あと1時間もかからずできるのですが。中身ををもうすこし増やせないかと思い(そうなるとかなりの手直し)、7世紀の古墳について、考えているのです。

今年度は

◆例年、研究費の残額をどう使っていくかという時期にさしかかっているが、今年は自分が代表者の科研もなく、2件の分担金くらいだが、少額で、考えることもない。が、大阪城の学内プロジジェクトをはじめ、同僚の代表者の研究で、一緒に仕事をしており、城関係のいくつかの調査でそこそこの経費を使うことになっており、その段取りを進めている。表に出しても問題ない段階で、また話題に出したいと思います。あれとコレと、それ。3つくらいか。

ひさしぶりに

◆研究室の空調が不具合で、まあ寒いこと。おかげで3連休も、あまり有効に使えなかった。そして 今週も水曜日まで寒かったですね。木曜日、ようやく、なんとかヒーター4000円くらいのを買ったのだが、寒気は衰え、かなり暖かくなる。
◆卒論は火曜日〆切で、日本史の学生も無事に提出。世界史を含めて、全体に少なめで、本日、卒論の副査の割り当てを決めたが、本数は少ない。多い時は、試問前、読み切るのにかなりしんどいことが多いが、今年は早めに読んでしまいたいもの。
◆いくつか、さぼっていたことも、なんとかここ数日で挽回し、回復基調。明日あさってはセンター試験だが、なんとか大化改進シンポの資料を作ってしまおう。そう、娘も明日、受験です。会場は大阪大谷大学だそうである。道明寺駅まで送っていくことになっている。なんとか、センターをミスなく得点をあげ、2次試験にむかってもらいたいものだ。どうなりますやら。例年通り、5日、道明寺天満宮に絵馬を掲げた。これで4年連続になるが、まあ今年でいずれにしても終わるだろう。

さらに

◆URの鶴山団地の脇に鏡池というのがあり、和泉市が文化財保護条例を作り、最初に、こ の鏡池を史跡に指定したんだそうである。そして池の脇に小さな施設を作り、信太山の自然や、鏡池にちなむ葛の葉伝説、そういう展示もしていることを、恥ずかしながら初めて知る。こんなん知らんかった。
◆たとえば和泉市だと、いずみの国歴史館がコア施設として、しかし各地域にこうした小さな施設を歴史遺産にくっつけて設けるというのはいいもんだ、と思う。ここでも、黄金塚の簡単なパネル展示もやっているし、企画展として惣ケ池遺跡の 最新の調査成果速報展をやっていた。考古でいえば、信太千塚の須恵器もすこしならんでいる。月1くらいで頻繁に展示を変えるらしく、自然や葛の葉伝説がメインとしても、信太地域の昔とか祭礼とか、地域に即したなんでもやるとのこと。展示施設は1部屋なので、どこが常設でどこが入れ替えかはわからないわけだが、とにかく何でもあり。そういう域に即したコミュニティセンターであり、展示機能ももつ、こういうものを、地域に配置していくのはいいもんだ、と。
◆たとえば和泉黄金塚について、いま既に地元の定期的な草刈りが行われるようになったようだが、そういう信太地域の歴史遺産の管理の基地にもなればいいだろうし、地元の勉強会の場にもむろんなる。そういう機能もどんどんここに集約し、地域の文化的活動の拠点に成長していけるのではないか。なんてことを考えていた。

和泉黄金塚で畿内を考える

◆昨年の伯太の合同調査時のフィールドワークでも、信太山丘陵の宅地を西向きに下っていて、と ても天気が良い日で、正面に六甲が見えているのに感動した記憶がある。摂津の乙女に対して求婚した1人は信太男、という大阪湾をはさんで、向かいは神戸なんだという話を思い出していた。
◆今日も寒かったが天気良く、和泉黄金塚から、生駒山、高安山、明神山系、二上山、葛城・金剛、むろん南は紀伊山地という景観をながめていた。むろん、六甲から東へも、どこまで見えているのかわからなかったが、東摂の山並みも見える。やっぱり畿内や、と。見ている景観が同じというか、共有できる範囲なのだということを。

1月10日、和泉黄金塚の史跡整備委員会

◆修士論文の〆切、無事、日本史のM2は提出した模様。お疲れさん。午前の学内会議の後、和泉 市に向かう。
◆まず現地。既に事前に説明も受け、新たに測量をやって塹壕の調査も実施し、伐採や草刈りを徹底し、かつてない墳丘の現状になっていることは知らされていた。それを楽しみに赴く。
◆写真の通り。

プラグイン

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索