人を幸せにする人になろう

大阪城連続講演会のチラシ

◆表題のものができたのでアップしておきます。資料の〆切は3月3日か・・・

高槻市の史跡整備委員会

◆国造の卒論を読みながら、午後、高槻市に向かう。令制国造について、なかなか知らなかったこ とも多く面白かったが、それはまた機会を改めよう。高槻市の会議は、安満と鶏闘山。安満は京大との契約にこぎつけ、買い上げに進んでいくとのこと。鶏闘山については、あることがらをめぐって議論したが、別の手法が実現できるか、すこし調べてみたい。
◆阿武山シンポの冊子体資料をいただく。森田さんは漆部(ヌリベ)による乾漆棺と乾漆像の話が興味深い。これまた記録集が本になるという。

明日の211

◆前に挙げたかどうか、記憶が定かでない。毎年、参加するようになって、いつも勉強させてもら うが、なかなか今週末の卒論・修論の試問を考えると、現状ではしんどいかも。これまた毎年毎年、宣言文案を大歴の委員会でも審議するが、なかなか・・・。参加者の裾野を広げることは容易ではないにしても、それが課題なのだが、集まりの企画そのものはいいのに、宣言文案は従来通りの路線なのだ。

弥生博、無事終了

◆本番午前中、あれこれ手直しをしていると時間がなくなり、講演会の前に展示を見ようと思っ ていたのに、時間なくなる。おまけに乗り換えミス。江戸時代大阪の茶屋の論文を読んでいて1本見送ってしまう。館長室で歓談し本番。いや、とてもたくさんの人に来ていただき、感激である。なぜだかUSBにデータを移して渡したつもりが、なぜか1週間前くらいのまだ5枚しかないデータ(消してなかったんですね)の方が弥生博のノートPCに移され、スタートして「あれ」ということになる。退室して自分のノートPCを接続する。どうもすいませんでした。スライド120枚、あまり削れなかった。2時間しゃべってくれていいから、というので、めいいっぱいで、なんとか終わりまでこぎつけた。
◆館長と担当の学芸員(2001年の桜井茶臼山の測量に参加してくれていた)、うちの院生と昨年の卒業生と5人で、天王寺で呑み会。黒崎館長とは1995年に一緒に中国に行かせてもらって以来、親しくさせていただき、とても楽しく、少々飲み過ぎました。2次会にも行き、そのへんから実は記憶があまりありません(飲み過ぎはだめですね)。不思議と、ちゃんと家にたどり着きました。鶴橋駅の記憶はかすかにある。黒田カンベエの録画を見るも、5分以内に寝ただろう。
◆黒崎さんに御著書をいただく。で古墳時代の導水施設の議論を教えてもらう。トイレはトイレ、だけど産屋という説も、そのへんの考えをちゃんと理解した。古墳時代の南郷などの施設も実際にトイレとして使われているが、機能の本質はそこにはない。つまり実際にそこで出産したかどうかはわからんとして、要するに神婚ということ。女性がこもり、特別の子を身ごもるという筋立ての施設という理解である。いろんなことを教えてもらったが、省略するとして、この本質論に納得するとともに、とても重要なことと理解した。これは王権の確立にもかかわるわけだ。あれだけの導水施設が実際に作られており、それが女性がこもり神と交わるという見方が妥当とすれば、古墳時代の王や首長を神の子とする観念の生成を物語るから。そして、そして出生の象徴として埴輪にもかたどられ据え置かれる。う~ん、なるほど。それはいつできるか、そういう発想なり施設は倭で生み出されたのか、外からの影響があるのか、それはどのように変質するか、終わっていくのか、形を変えながらも儀礼的に残っていくのか、とても興味深いことですね。

明日の弥生博のパワポがひととおりできた

◆土曜日朝からやって、1日かかってようやく終了。枚数が多いので、明日また縮めにかかろう。
◆昨日、成績を(ひとつを残して)提出してやれやれ。毎年、〆切を守れないが、今年はあとがつかえている脅迫観もあって、さっさと片付けた。
◆昨日夕刻からの雪、朝起きて写真でもと思っていたが、雨になりグズグズ。
◆橋下市長が辞職し出直し選挙だとか。NHKトップの放言、新たに送り込まれた4人の経営委員の2人のひどさ。NHKが政権べったりなんは当たり前やん、と思っているのでしょうね。ジャーナリズムでも、公共放送でもなく、国営放送だと。厚労省のなんだっけ、研究かなんかのデータねつ造に関する告発があったにもかかかわらず、無視だけでなく、情報を流し押さえ込みや注意喚起をはかるも、当事者が表に出てきて不正を指摘し、それでも無視しようとしているのだったか。それにしても都知事選挙を見ると、人がいないんかと思ってしまう。橋下さんの評価はともかく、40代くらいで、エネルギッシュで、やってくれそうと思わせる人はいませんよね。
◆さて本業をやらな・・・

棺外の大刀は?

◆和泉黄金塚の中央槨なんですが、棺内は玉類や腕輪ばかりで、これは女性だと見られているわけ です。が、粘土槨に埋め込まれた棺外副葬品には大刀多数や工具類があると。とくに西側に集中していて、雰囲気としては、墓抗はわかっていないが、西側が参列空間で、参列者が奉献した大刀と理解してもいいのかなと。どういう参列者かはわからない。しかし被葬者に帰属するものでなく、集団内部の人物であれ、女性首長に対して大刀をならべる。
◆で、景初3年銘鏡はそこにあるわけだ。(1)被葬者の個人所有物だが、棺外とするなんらかの理由がある、(2)被葬者個人のものではないが、同一集団内で保持されたもので、埋納した、(3)参列した集団外の所有物で、被葬者の埋葬にあたって差し出された。どう考えればいいのでしょうかね。

次は博物館概論の採点

◆表題の採点に移る。まあ、それはともかく。
◆『博物館研究』に載っていた栗東市の歴史民俗博物館の「市民学芸員」というのは良い、と授業 の中でふれた。同様のことは、名前はともかく既にあちこちで試みられている。そのなかでも「市民学芸員」というネーミングはすこぶるいいのではないかと思った次第。博物館の運営や事業にかかわる学芸員としてきちんと位置づけられている印象を受ける。また印象やネーミングの問題だけでなく、実質的な市民学芸員を設けるべきだと思う。ボランティアで、基本的に横並びの関係ではあるが、熟してきて、人数もそれなりに増え、事業展開も多様になると、一定の班編制とかリーダーも必要になるようにも思う。そういうのをボランティアという枠組みの中で、円満な組織体として育てていくには十分なケアもいるのだろうが、それは育てていきながら、うまく運営していくことに気をつけ、対話や意思疎通をはかりながらやっていくしかないのだろう。とにかく、学芸員だけで切り回すのでなく、市民と一緒になって活動していく、ということに舵を切ることが、まずは必要なのでは。
◆採点に飽きたのですこし。答案を読んでいると、博物館概論2年目の初心者でなかなか授業はヘタで、うまく伝えられていないことはわかっているが、なんとか全体として言いたかったこと、文化政策の重要性や、人づくり町づくりにつながること、市民の自治意識や、博物館への市民参加などについて、けっこうまっとうに書き込んでくれている。受講者の半分弱は単位のためであるが、まあそれでいい。授業を通して、博物館の応援団になってくれるような意識の種をまくことができれば、それでいいと思うから。まあしかし、しばらくは、毎年毎年、改良を続けないといかん。

都城の調査

◆こないだ、松村奈文研所長が、ちょうど60年前の1954年1月に、戦後はじめての平城宮の発掘調査が実施されたと紹介挨拶された。いわゆる国営発掘。奈文研としての第1次調査は翌年度。難波宮もほぼ同時で、1954年2月に第1次調査を実施している。長岡宮について中山修一が調査に着手したのも同じ1954年の12月年末、この時の調査で翌年早々に朝堂院の門を掘り出した。江戸時代から復元が進んでいた平城宮に対し、いきなり中枢部の遺構を掘り出した長岡宮の調査はすごいですね。
◆飛鳥寺の調査が1956年、飛鳥京の調査が1959年だそうです。

センター試験

◆娘が2回目のセンター試験をうけたので、日本史・地理・世界史をやってみた。直後の印象はもう忘れかかっているが、自分が受けた共通一次の時もあんなもんかもしれないが、センター試験って、あんなんや、悪問やと感じる。むろん選択肢を出してのマークシートで、記述させるわけにはいかないという形式の問題はあるだろうが。たとえばより大事なことというのがあるだろうし、そのことを問うとなれば、必然的に取り上げるべき事項は絞られる。で、そればっかり出してたら、問い方を変えても、満点になってしまう。どうしても広い知識を偏りなく出すしかないことになる。時代のバランスとか、分野のバランスとか、調整するのでしょうね。
◆まあ1次試験とはそんなもの、と割り切るしかないんだろうけど。まあしかし、問題をやりつつ、こんな問題なんやと改めて思った。正しいやつが選び取れるか、正しい中に明らかに間違っているものを選び取れるか、そんなんですよね。

全学共通の考古学入門という試験の答案から

◆毎年、採点をしながら、伝わっていないな~と反省しては、メモをとり、次年度に活かそうとはしておりますが。まあ、授業に出てない者が、自分の知識で書いても、はずしていなければまあよいのだが。しかしなんと言っても、縄文土器は文様があって、厚く低火度焼成でもろく、黒っぽく、弥生土器は、あんまり模様がなく、薄く、縄文に比べると高温度焼成で硬質、赤褐色、みたいな話を多くの者が書いている・・・。あるいは縄文時代の石器は磨製石器とか。へたをすると、弥生は農耕に牧畜とか・・・。また弥生時代はBC3世紀からAD3世紀とか・・・。
◆教科書とか、だんだんに内容が変わっていくものではあるが、古い理解が長く残存するのであろう。用語集とかも遅れるのだろうし、そもそも教師の理解が古いままだったりするのだろう(教員免許更新講習の意味はだからあるわけだが)。そういうことを大学では打破しないといけない。
◆専門科目だと、もっと基礎的知識もあり、一定の関心をもつ層が履修するので、むろんそうではないが。全学共通はそうはいかない。今年は210人の登録。佐原さん流に、これもまた大事にすべきだろう。どこまでの効果があるかしれないが、いつも前を向いて熱心に聞いてくれる少数はともかく、多くは単位を得るために履修している学生たち、しかし彼らに、縄文や弥生や古墳や、高校とは違う現代の理解がきちんと伝わるようにすること、それに最大限努めることか、と。むろん考古学や発掘や文化財についての興味関心を持ってもらえればありがたいが、なかなかそこまでは望めないだろう。一過性。が、少なくとも、高校教科書で繰り返され、すり込まれていることから解放し、縄文や弥生や古墳時代像はこんなだということが、なんとか伝わるようにしたいもの。
◆そう考えると、自分の授業も、手直しをかなりすべきだなと、答案を読みながらそう思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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