人を幸せにする人になろう

何十年ぶりかの忍ヶ岡

◆それから、清滝街道を西に四条畷に向かう。これを機にとばかりに忍ヶ岡古墳に行く。カミさんに805c80c3.JPG「結局それ」と言われるが、つきあってくれた。前に忍ヶ岡に行ったのは、大学時代なのe5ba0b63.JPGで25年くらい経っているか。まったく前の記憶もない。しかし、岡山という名前のごとく、ここがぽっかりと高まった高台であることはよくわかる。車で入って行くには狭いが、神社に出る。なにやら社殿が建て替えられたばかりで、まだ細部の工事が残っているような状況だった。竪穴式石室の復元覆い屋をのぞく。ふだんは声をかければ鍵を開けてくれるのかもしれないが、なんか工事中で、まあええわと。
◆梅原報告の段階よりもかなり墳丘もがたがたで、確か、なんとか市史にその後の測量図が掲載されていた。本来ならば、前方部側など、ぐるりとめぐるのだが、墳丘はみるからにガタガタだし、まあええわとそのまま引き上げる。たぶんしかし、くびれ部くらいなら残ってるんではないか。
◆忍ヶ岡というと、むかし、京大にある遺物をみんなですべて実測し、トレースまでやっていたのだが、それらはいま手元にあるが、これもなにかの形で報告せなあきませんね。いまから考えると、茶臼山の測量報告の時につっこめばよかったですね。でも、そのころは、墳丘の測量をやって遺物と合わせて、という構想をもっていたわけだ。
◆しかし、それもこんな状態なら、もうなんもすることはないし、遺物だけ何とかしましょう。
 

磐船神社

◆そのあと、むかしサッカーをやったことのある、くろんど公園?、へ行こうとするも道を間違い、ひとまず洞窟めぐりが面b135df3a.JPG白そうということで、磐船神社へ行く。交野物部氏?とかなんとかという縁起が書いてあった。岩穴めぐりは、どうやら、川を埋める巨石の間をくぐるもののようだが、タダではなく500円取るというので、カミさんが儲け主義にしらけたというのでサッサと引き返し、おれは払ってもいいかと思っていたが、まあ、そこで立ち去る。
◆いつものように、お参りはしておきました。
 

2012年10月14日 市大植物園ほか

◆いつものように、どこいこか?、どうしようかc6006918.JPGe2a7d531.JPG?、理学部植物園に行ってみるか、とあいなり、交野市にでかける。大人350円。駐車場代500円。入ったときはほとんど客はいなかったが、帰る頃には、そこそこ202a6160.JPG人も入っていた。かなり広大で、ひととおりぐるりとめぐる。世界各地の植生が順に配置されている。なかなか手入れはたいへんだろう。理学部の先生からも、なかなか大学で維持していくことに風当たりが強いという話を聞いている。うちの博物館実習でも、理系の人には、ここへ行ってもらっている。
◆むろん京都府立の植物園のように市内のどまんなか、というわけではないが、京阪交野線があるし、やはりある程度の入園者数を稼がないといけないのだろう。ゆっくりするには、このくらいの人数の方がありがたいのであるが。研究のための施設でもあり、一方で一般に開放しているわけだ。まわりに府立の公園もいくつかあるのだが、花を見たり森林浴をしたりと、気軽に人にもっと来てもらえるのが理想だろう。
◆歩いていて気になったのは、不自然な地形もあるな~、ということ。へんな細尾根状のもの。これって植物園として手を入れたものでなければ、土塁?とか、ふと思ったのだが・・・。
 

こういうのもある

◆中之島図書館問題。中之島にあるからこそ年間30万人が利用するのである。a42aef35.JPG736adfce.JPG
◆どうもネットは利用していないようで、郵便のようです。よろしければ、賛同書名を下記までお送り下さい。ここにも頑張っている人たちがいます。
「中之島図書館を守る会」(仮称)設立準備会事務局 〒591-8032 堺市北区百舌鳥梅町1-17-10-102(脇谷邦子気付) FAX:072-250-0933 naniwalib@gmail.com
 

阿部内臣鳥

◆587年の物部戦争の時、安倍臣人という人物が見える。
◆608年隋使がやってきた時、安倍鳥臣が小墾田宮での案内役となる。609年、新羅から使者が来た際、四大夫として309a7efa.JPG安倍鳥子臣の名前がある。そして612年、堅塩姫を檜隈大陵に改葬し、軽でシノビゴトを奏上した際、最初に推古の言葉を代読したのが、安倍内臣鳥である。
◆624年馬子が葛城県を望む旨を推古に奏上させた1人として安倍臣摩侶が登場する。そして推古没後、大臣蘇我蝦夷は、推古の葬礼後、安倍麻呂臣と議り、群臣を集め、蝦夷は麻呂に群臣に後継者について問わせた。
◆アベの氏上は、587には人というものがおり、鳥は608~612年に現れ、624年には倉橋麻呂となっている。鳥は、600年代から610年代に氏上で、590年代にさかのぼるかもしれない。612年以降、624年までの間に没したと思われる。谷首古墳は鳥の墓でよいと思うが・・・。
【追記】大阪城の石垣ではないが、切石石室は、急速に普及したんでしょうね。ほぼ1世代ですよね。谷首で、次は文殊院西。

まだふんぎりが

◆根来関係書類を束ねて始末しようとするも、またまた追加で・・・。京奈和の話も見ました。まあ、国交省と文化庁で協議済05d94245.JPGみなんでしょう。あとは大枠の中での微調整。いまさら線形を大きくひっくりかえすことはでe79d9a80.JPGきないだろう。これが史跡地を通り、トンネルで抜く。平城宮の下と同様。文化庁にいたW田さんなら認めないだろうに。で、根来寺さんが不満で、近すぎる、離せ、相談はなかった、と怒っているらしい。同意が得られなければ着工できないので説得するのだとか。
◆まあ、南北尾根より西側は既にずたずたです。で、尾根も今回壊すのかな。
◆もうひとつ、史跡地の範囲図。『ヒストリア』にも図をつけたが、こっちはカラーの生資料。青が第1次指定、赤が第2次指定、黄色が第3回予定。既調査区はあまたあれど、子院の広がる農地・宅地はまったく未指定。
 

根来はもう

◆『考古学研究』が終わり、根来寺関係のやるべきことはやった。ま、『ヒストリア』が刊行されたら、『考古学研究』の原稿74ca9731.JPGともども、また関係者に送付する仕事が残ってはいるが。ささやかながら、オレに一定の影響力があるとするなら、その範囲で、やれることはやった。普通の感覚なら、やらなしゃーないな、となると思うが、さてどうなることか。
◆ちなみに一乗閣移転の絵を示そう。これ出したらケチがつくのかな?。大阪市はすべて資料も議事録も公表しているが・・・。一度、情報公開がどれだけなされているか、和歌山県のホームページを訪ねてみよう。この西から見たパースで、へんな斜めの緑の高まり、これは階段遺構を残すためのもの。この絵の一乗閣の部位に、鯱瓦を上げた瓦葺き建物があったんですけどね。それこそ根来の玄関口のランドマークたり得るが、明治の建物をおっ建てるアホさ加減は救いようがない。
◆史跡になったら税制上も優遇措置がなされる?。オレにはわからんけど、結局は現根来寺の言うがママ、ということなんだろう。そして地元の観光業界、というか特定の商売人の意向、それで一乗閣の移転は動いているのである。岩出市もそれを後押しする。そんなんで、人がわんさか来るというのが幻想でしょう。それでもって知事もほだされ、和歌山県も協力せなあかんやろと、寄付を募り5000万ほど集まったと。やらなしゃーない。いまの知事の任期というのもあるのかもしれない。やったことのひとつとして挙げられるよう尻を叩かれる。教育長やら課長には、この事業を遂行することが厳命される。そこでだ。そこで、専門家がいるだろうに。岩出市長はまったく期待できない。2004年段階と変わっているかどうかしらないが、前に読んだ記事では、文化財の公益性より住民の生活だ、と言ったとか。住民に理解を求める努力をしたのだろうか。文化庁も手を焼く岩出市、が、今回の当事者は和歌山県である。首長の影響力の強い市町村職員はしんどい。市町村事業の前に文化財保護を主張することは困難。普通なら、広域行政を担う県が、そこを応援する支援する、必要なら文化庁に相談に行く。なんとかなりませんかね~、と。が、今回は、和歌山県そのものが事業者。相談は、記録保存で済ますことを了解しておいてくれという根回し。
◆あ~あ、書き出したらきりがない。和歌山県に対する文化財保護の補助金はすべてストップしろ、と言いたい。県内市町村から、そうして批難を浴びればいいのだが、それさえもないか?。そうや、史跡解除ですな。値しない、どんどん好きなように壊せ、と。あー腹立つ。まあええわ、火曜日の授業の準備にかかろう。
◆栄原先生が面白いことを言っていた。言ってもいいのだろうか。某寺の研究所長をやっておられるが、なにか決めたことが、寺全体で共有されないのだと、「聞いてません」と。ひとつの寺という全体の組織もあるが、構成単位の独立度がかなり強いみたい。先生曰く、近現代的な意思疎通だとか組織的対応とかとは無縁だと。そして、これこそ中世と言ったか、前近代と言ったか、まあ昔はそんなんやったんやろな~、いまだそうなんや、としみじみと。
◆ちなみに一乗閣、100年前の1911年に、夏目漱石がそこで講演している。「現代日本の開化」という題目で、なんでも「西洋の開化は 内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」とし、数ある講演のなかでも、漱石の思想の核心を示すものという。全文は、以下。http://www.geocities.jp/sybrma/155gendainihonnokaika.html

難波宮と近現代史教育施設

◆近現代史教育施設の候補地のひとつは旧NHK跡地。中央体育館と交換し、いまは市有地だが、隣まで国史跡になっcf564066.jpgていながら、まだ史跡になっていないようだ。教育委員会の難波宮跡整備計画委員会で63742d01.jpgは、そこをも含めた整備構想の絵を描くが、市としては土地利用を最終決定していないということだろう。教育委員会は、予定通り史跡指定しようとしているのだろうが、当局は待てということなのかも。
◆ということは、あの一等地は、必ずしも難波宮内裏地区として保存される保証がまだない、ということだ。近現代史教育施設になりうる・・・。こりゃまた大変。
 

雑用を片付けなければ前に進まん

◆昨日は、博物館実習Ⅰで、模擬展示に向けての始動。朝から倉庫からいろんなものを(購入していたもの)を取り出し、準備をするので午前は終わる。午後は、会場設営をしたりプリンタを設定したりと。博物館実習室が未整備で会議室で臨時的にやっている状態で、必要機材等の予算も切られたので、昨年度買ってある分だけだが、それを出してきてセットし、ようやく5限の時間をむかえる。
◆水曜日は、卒論演習。夏前から、毎週4人とも報告することに切り替えたものの、いまの学生だ、クラブだ、どこぞ行く、など、これまで1回も4人がそろわなかった。それが10月に初めて実現。まあ5時間くらいはかかった。まあ、でも、そんなもんだろう。ほんとうは金曜日の午後エンドレスとかにしたいのだが、これまた各自の時間割り等を調整し、窮屈だがそろうところに設定せざるをえない。
◆なんやかや、いろんなことがある。洗いざらいやっつけたいと、本日金曜日出勤したが、まあ、そうもいかず、優先順位の高い原稿を書いていて、既に昼。

もう秋

◆こないだまで暑かったのに、寒いですね。リバティは寄付で運営、ピースは空襲に特化、なにわの海の時空館は廃止、センチュリーは民営化・・・。各論を横に置くわけにはいかないのではあるが、府市統合本部のUチューブを久しぶりに見たが(9月4日分)、総論的なところは正直共感もあるわけだ。右肩上がりの時代は終わり、官がなんでもやってきたことに対し、これから人口も減って税収もなくなるなかで、行政はどこまでを守備範囲とするか、という議論は必然。なんもかんもやれない。やらなければならないことをきちんと議論する、まんべんなく減らすのでなく、行政がやらんでもいいやろというものもあろう、そうした見直しがなされることは必然なのだ。
◆そう考える首長も多いだろうが、そこはやりたくてもできないことが多い。そのなかで、圧倒的支持を受けている橋下だからこそできる、という面が確かにある。みなそういう課題をかかえ、しかしそう簡単には切れない、あるいはあまり激変でもよくないのも確か。そういうなかで議論をふっかけ、言い返してきたところで納得できるものは存続する。そういう問いかけは悪いものではない、ず~とこのままあり続けられるという保証はないのである。やっぱり、よりいいものをという姿勢がなく漫然と続けているだけのところはあろう。また、これは守らなければという熱意のあるところは残りうる。そうでなければ畳まれる。むろんそれだけで決まるわけではないが。
◆寄付というのも、日本ではしんどいことであるが、悪いものではないかもしれないと思う。支える人が支えるというのも、オカミ任せであった日本にとって、これからは必要な形態ではと思う。オカミが面倒を見てやっているんだという意識が日本には強いが、社会は構成員が成り立たせるものであるということが定着するのは悪くない。
◆橋下君をどう考えるか。文化とか歴史にまったく無関心であるわけではない。必要だと考えている。だが、努力もしてねと。ちょっと近現代教育施設の問題は避けて通れず、譲れないのも確かだが、まだ一方的にダメだとは考えていない。あんなもんダメという構想ではあっても・・・(これは甘いか)。それはそれ、が総論は上記の通り、必要なことを他に先駆けてやっていると考えている。一方的な議論のふっかけ、はある。が、先のUチューブでの公開や、議事が活字にもなって公開されているのは、やっぱりいいことに違いない。事務方は大変だろうが、しかし勉強をして準備をして望む緊張感もある。堺屋太一はまあどうでもいいが、しかし上山氏などがちゃんと役所内での議論に関わりつつ、ちょっと視点を離した立場から注文をつけたり意見をいったりと、あれはあれでお飾りでなくちゃんと機能している。そうした姿は、地方議会など見に行ったことはないが、はるかにまっとうではないかと思う。もっと見えないところでモノゴトが決まっていっているのが、お役所というものであろう。
◆まあ、そんな風に思っています。そうそう書きたいことはこっから。そういう仕組みやジャッジがいまいちばん必要なのは国だろうということ。
 

プラグイン

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 3 4 5
6 9 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索