人を幸せにする人になろう

琉球弧

◆昨日の照屋さんの卒論報告以来、いろいろと考えている。喜界島、奄美、徳之島、沖縄、この世界の11・12世紀、そし9911dc61.jpgてグスクの出現に至るプロセスだ。いやはや面白そうである。amami-ryukyu.jpg1d6391e8.jpg
◆が、昨日から体調が悪かったのだが、熱も出て医者に行ったら、インフルエンザと言われたそうである。
◆喜界島は秋田城みたいなもんで、南方交易の和人の拠点。それが12世紀前半くらいまでで衰退?していくのはなぜなのか。なぜ、徳之島でカムイ焼きが作られるのか。やっぱり石鍋ともども、ヤコウ貝の対価?。カムイ焼きは和人が焼いたとして、そうすると、喜界島から徳之島へ、さらに南下したことになる。奄美はほぼ山がちですね。ほとんど平野がない。
◆農業は?、鉄は?中国の影響は?。やはり狩猟採集社会からすると、グスク時代はたぶん格段に人口は増えているんだろう。それは交易のみではやはり説明できないのでは、と思う。ベースとして農耕もやはりあるのでは。が、かなり急速に英祖王を生み出す背景は何か、ということに絞り込まれるか。スピードが急すぎるように・・・。そこには、外来の影響や、交易による富とか、そういうファクターが入るような気がする。
◆琉球の中国陶磁を見ても、博多などとは違うものに転換するのだという。直接中国に結びついているといえるのだろうが、しかし自家消費のみならず、中継貿易をしてこその富なんでしょうね。そうすると???、わからんことだらけだが、照屋さん、そこを解いてくれ。
【追記】尖閣は日本固有の領土、って気になりませんか。なにが固有?、沖縄だって奪ったんでしょ。固有と発言されると、何を言ってるのかと思う。できあがっていったものであって、初めからなんてないわけだ。
 

府市統合本部9月4日

◆古くなりますが、最新の情報。10月はまだやってないんでしょうか。月2ペースでやるということになっているようです5d148f3d.jpgが。博物館、発掘調査機関、そして大学です。5c3035c2.jpgc461ef18.jpg

いや~すごい

◆箸墓です。カシコーケンさん、ごめんなさいね、使いますね。a48eb174.jpg

で8日の祝日

◆出勤。バイト2人、玉3の仕事など。オレは、ネゴロの要望書を作成し(公印を押した本紙が事務局から届いていたの926ef09d.JPGで)、関連資料を打ち出し、都合、12箇所に発送。ヒストリアの原稿も22時前には完成し、c82539dd.JPG信利に入稿して帰ってきた。一件落着なり。c11703a5.JPG
◆民博の写真の続き。
 

上本町で呑む

◆それから帰り。なんで、モノレールの駅に行くのに、あんな迂回させるのかね。アホみたい。エキスポランドがあったか1d5316e3.JPGら?で、アマノジャクなので、千里中央には向かわず、大日に行き、谷町線で谷町9丁目まで、そこから近鉄百貨店に行き、呑む。
◆そこからが、まずかった。またケンカをしました。なんでケンカをしたのでしょうか。むこうは、人間も地球上の生き物で、4~5回の絶滅の危機のようなものが起こると、なくなるんだ、と言う。オレは、いや隕石が墜落したらしゃーないけど、オサルではないから、けっこう生き延びる手段を見いだすんじゃないか、と主張。呑み屋の終盤からずううっとイガミあい、互いに主張をまげず、近鉄電車は別車両となる。なにをやっているんでしょうか。

民博はたのし

◆いちいちは書かないが、楽しく、また勉強になる。面白いし。それとミュージアムショップには博物館関係のテキストがいっぱいあ0fdf5cab.JPGる。講座本みたいなものでなく、展示に関するいろんな最新の書籍がならんでいて、これも70318349.JPG勉強になる。だいたい、昼頃について、特展を見てから昼飯193aacc8.JPGを食い(フォーのセット)、それからだから、やっぱり、もう1日、ゆっくり来てもいい。
◆民博へ行ったのは、谷直樹先生が、堺市博物館で模型を作るときに、民博のやつを参考にした、ウメサオさん自慢の模型といった話を読んでいて、それを見たいというのもあった。
◆いっぱい写真を撮ったが、いくつかを。
 

2012年10月7日 、民博

◆午後、レッカキョウで住まいのミュージアムに行く企画(閉じる話はどうなっている?)に誘われており、仕事柄はそっadbb8aa0.JPGちへ行くべきなのだが、一方で、カミサンから、民博の織物展へ行きたいとの要望にも応えなきゃいけない。で、民博へ。
◆民博に行ったのは・・・、小学校の時と、大学に入って1回、それから赤道アフリカの仮面展というのに1回、それくらいで、4回目かも。で、いつも常設展はちゃんと回っていない。いい機会である。しかし、結局、閉館までで回りきれず、1/3くらいは駆け足。まっとうに見ていたら1日仕事だ。
◆実は千里中央から歩く。モノレール二つ分やったら歩けるやろと。千里中央公園を抜け、阪急千里線の通る谷部へ下ると、あとは万博会場の台地に上がればよい。1970年から40年、樹木もけっこう大きくなり、まあ、ええ公園ですな。
◆民博、織物、興味はないことはないが、展示物の性格からして、動かないハタを見ていてもわからんが、動画を見れf8718345.JPGば理解しやすい。けっこう人はいました。途中、学芸員の?話が始まり大勢がそっちへ行き、会場の人が少なくなり見やすくなった。しばらくして終了し、聴衆だった人々がまた会場に降りてくると、おや、京都市の堀君がいるではないか。むこうはちゃんと挨拶してくれているのに、オレは聚楽第の石垣はどうなると質問し、あとからカミさんに怒られる。が、京都府が・・・、というのもね~。渡邊亭と同じですな。ごめんな。ちょっとネゴロのこともあり、センシティブになっとるのかも。聚楽第の石垣、新聞の写真だけだが、けっこう迫力ありましたね。
 

信太山の夜は更けて―和気も遠くなりにけり

◆今年の和泉市調査は和気。中世の館で有名。前にも書いたが、今回は、ひたすら外を歩くことにした。中日はコース2abdde79.JPGガイダンスがあり、昼までで、大学に行って日本史のガイダンスをやり、作業終了頃に戻る。
◆久保津土井という、槇尾川から取水する幹線水路があり、そこから、条里の大区画に沿って、規則的に東から西へ流す、東西方向の水路が通る。こういうの、知識では知っていても、体験的に見たのは初めてか。久保津土井って、いつできるのでしょうね。6・7世紀ではないかという話をした。これがないと条里を切らないだろう、というくらい。ふつうはもっとあと、と考えるのかもしれませんね。
◆最終日にひとつ言い忘れたこと。ここも、和気が近世には支配が二分され、本村と郷荘に区分される。つまり、本村は軽部郷、郷荘は坂本郷なのだ。で、久保津土井で、坂本郷諸村と和気は結ばれてはいるが、しかし史料で出てくるのは、フジュフセ派の史料など仏教関係なのだが、神社祭祀をめぐるまとまりについての文書は出てこない。ちょうど祭りの一週間前で、だんじりを準備しているところで、いまは郷荘連合に和気も属している。水利からは自然なのだが、実は新しいのではないか。近世に支配が二分されているように、坂本郷の郷荘神社の氏子ではなかったのではないだろうか。郷界はかなり効いているのでは。郷荘はあくまで坂本郷であって、かといって軽部郷は三河川で分断されて、そっちのまとまりも見えない。けっこう独立独歩的な村だったかも、と思った。

行ってみたいな隠岐

◆こんなとこ、行ってみたいと思いませんか。250mの絶壁って、どんなんでしょうね。IMG_1192.JPG駅に貼ってあったポスターです。

第3回委員会2012年5月17日

  【委員】史跡保存管理計画の検討対象(資料P1)が「菩提峠以西~蓮華谷川以東、前山以北」となっているが、検討対象自体は旧境内地(蓮華谷川以西~県道泉佐野岩出線付近までを含む)全体とすべき。
   旧境内地と(絵図等で)分かっている範囲を検討対象から外すためには、外す理由が必要。検討対象から外すとしたら、(大門池周辺の)市街地化した辺りか。
  【委員】(蓮華谷川以西の旧境内地を検討対象に含めることに、)異論ない。
  【委員】旧境内地全体を検討対象に含める。(蓮華谷川以西全体を)面的に扱うか、点的に拾うかは(検討の余地は)あるが。
  【委員】(第1章で蓮華谷川以西も検討対象となるので)旧県会議事堂移転と京奈和道についても、保存管理計画書内で記す。

【解説と論評】

 第3回の会議の資料では、岩出市は保存管理計画の検討対象区域について、「菩提峠より西側、蓮華谷川より東、前山より北側」とする。そして、「検討対象区域の区分の考え方」として、「現在史跡指定されている区域、今後追加史跡指定を予定している区域、その他の区域(史跡指定の必要性が高いと考えられる範囲)」の三つに分けてゾーニングをしようとしている。
 しかし、議論にあるように、保存管理計画の検討対象範囲は、事務局原案のように絞り込んだものとすることは却下され、旧境内地全体とすることで合意されたと読める。移転候補地である西辺の尾根より内側のコア部分のみならず、尾根を超えて拡大した段階の遺跡の範囲について、史跡に準じて取り扱いを定めておくこととなる。ようやく対象範囲が定まったということであり、中身の議論はこれからということになる。
 目次案では、「第3章 保存と管理」の「第4節 史跡管理の方法」で、「(1)地区区分」を示し、「(2)各ゾーンにおける保存管理方法」が示されることになっている。第1回の議論のように、遺跡の広がる旧境内地について、史跡ではないものの、それに準じた保存管理計画を立てようとすると、区域の区分や取り扱いの内容の検討など、大枠を定めるだけでも、かなりの詰めた議論が必要であろう。
 また、目次案では、最後の「第6章 今後の課題」のなかで、「第1節 追加指定に向けての課題」、「第2節 史跡指定地以外の区域の保全についての課題」が取り扱われる。根来寺遺跡の場合、既指定地の現状変更についての取り扱い規定を決めることもむろん必要ながら、なによりも史跡指定をめざす範囲をどのように定めるかが、「保存管理」の上でもっとも重要なことである。しかし現状では、最終章で簡単にふれるにとどめる予定であるのだろう。
 追加指定の目標設定は、「第3章 保存と管理 第4節 史跡管理の方法」の、遺跡をいくつかの地区に区分し、それぞれに保存管理方法を定めることと不可分な関係にあり、終章でなく、第3章そのものに盛り込むべきであろう。
 いずれにしても、事務局側の、蓮華谷川以東を保存管理計画の対象範囲とし、そのなかで追加指定にふれるという構想は、第3回目の議論をふまえれば、根本的に大きく転換しなければならないはずである。旧境内地、すなわち遺跡の範囲が保存管理計画の対象地となり、またそのなかでどう史跡の目標範囲を設定していくのかという課題に置き換わったということである。委員会の意向を尊重するならば、さらに相当な議論が必要となるはずであろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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