人を幸せにする人になろう

2024年3月4・5日 杉本村山野家文書整理

◆今回は、日本史研究室の行事でなく、有志による。あわせてガイドプラス講座の「古文書読解」の履修者(履修済み+今年度の履修者)が10人も参加してくれている。この科目、絶対に需要はあると科目の新設を主導したので、こうして実践の場に参加している履修生のみなさんの姿を見ると、とてもうれしい。
◆ガイドプラス講座履修者の会も、次は5月の日程が決まり、軌道に乗ろうとしている。

越前和紙4

◆紙漉きのおねえさん曰く、飾り物などもいいのだが、書く用紙として和紙をもっと使ってほしい、と。和紙のダイアリーはないのかと質問。作ったと出してきたのは予定帳。いろいろアイデアを出す商品開発者が入れば、きっと製品化できるものもあるのではないか。確かに、書くのに使ってもらうのが本筋。
◆それと工芸館の2回の展示を見る。おそらく貸しギャラリー。こういうのもいいと思う。古民家の空き家を、いろんな作品を作っているプロやセミプロ、アマチュアが、展示会をやったり個展を開いたり、そういうのをどんどんプロデュースするような人が必要ですね。写真、暗いですが・・・。
◆最後、パピルス館で、和紙のメモパッドと名刺を購入。このところ、わたしの名刺は、津山の和紙(こないだすべてハケル)、安来の和紙です。
◆ここで帰途に就く。次は美濃和紙。それと東京王子製紙の洋紙の博物館に行きたい。

越前和紙3

◆われわれが向かった谷奥が、マチナミとしてはもっともよく残るところのよう。ここ今立では、まだまだ和紙作りが産業として成り立っているようだ。
◆引き返し、卯立の民藝館に行く。移築したもので、そこで紙漉きの実演をしている。博物館、行かなかったが隣の美術館、この工芸館、それと和紙製品の物販所であるパピルス館というのが、一画にまとまってある。民間でなく町が作ったのだろう。
◆蕎麦屋で昼を食べ、工芸館に入ると、紙漉きの実演をやっている。実際を見るのが一番ですね。見ながらあれこれ質問し、それに答えてくれる。今年度の4月からやっているという、若い女性でした。その横では、雁皮なのか、水の中で不純物を取り除く、地道ながら重要な作業をやっている、一定の年配の女性が手を動かし続けている。紙漉きのところには、若いニイチャンが1人。
◆で、菊版1枚が仕上がると(いまやっているのは0.18ミリ厚のものという)、若い女性が手を止めて、置いてある道具とか、紙漉きの説明をいろいろしてくれる。すっかり仲良くなり、月に1度は来ているというニイチャンとともに、和紙の話で盛り上がる。名刺を交換。

越前和紙2

◆町歩きで、川沿いに谷の奥へむかう。空き家になったが保存され一定の修理がなされたらしい建物があり、卯立の説明があった。が、どうも一般的な卯立ではない。説明文を読み、裏にまわったりしていると、向かいの家で庭のフキノトウを取っていたオバチャンから声がかかる。
◆卯立がわかるか、立派だろう、といったのが口火だったか。どこから?、大阪から、入って来いと、その家の門をくぐる。有名なアキちゃん(玉村秋子)という人で、紙漉き歌を歌える唯一の人物で、テレビに出て歌ったこともあるとか、映画に出たとか(「つむぐもの」というやつ)。で、歌っていただきました。確かにうまい!。なんとか紙漉きでまだ働いている82歳(だったか)。会社のHPには、オバチャンの歌う動画が上がっています。
◆おみやげもいただき、神社はあっちだと教えてもらう。大滝神社・岡太(もと)神社(紙祖神である川上御前が祭神)をお参りする。

2024年3月3日越前今立

◆翌日、尼崎の博物館に行くつもりで近畿道を北上。天気のよさに遠出することに切り替え、越前今立郡に向かう。和紙シリーズです。
◆武生ICで下りて真東に向かうと、今立郡岡本村(昔の行政村)につきあたります。五箇という地区で、5つの村からなります。まず博物館。越前和紙の体系的な展示がある、というわけではなく、それは映像。展示としては、現在のものを含む和紙のいろんな種類がぶらさげてある、そういう実物の展示でした。企画展としてガリ版で草花を描いた作家さんの作品がならぶ。著名な挿し絵作家のようであるが、簡易で表現力豊かなガリ版絵をず~と描き続けていた方のようです。そのあと、卯立の工芸館に行く前に、町歩きをしようと、谷の奥へ進む。大滝という、五箇のなかでも最も奥まった地区です。
◆写真は、博物館にあった、このあたりの伝統工芸の展示パネル。付近に、漆・刃物などの施設が集まっている。なお、行かなかったが、合併前は今立町だったんでしょうか、近代の中心地は東西道路の北側のようで、そちらには足を運ぶことなく終わってしまいました。

2024年3月2日森之宮講演会

◆この日は条里制・古代都市研究会の1日目(とてもおもしろそう)、また前日に高地性集落シンポもあるということを知るが、会社の関係の森之宮講演会にでかける。朝から夕刻まで、なかなかハードであったが、とても勉強になりました。
◆ひとつ最初の地質の報告で、投影され、わかりやすかった図を資料集から。基盤層の上が第4紀大阪層群ということでしょう。下半分は基本的に水成層で海が入ることなく、陸地の盆地状地形だった時代で、湖になっている時と陸地化した時が繰り返されているのだろうと思うが、それがひとつに表されている。そして上半分は、灰色の海成層がMA-1から始まり、繰り返し海になったり陸になったりを繰り返している縞々で現れている。そしてそれが、上町と生駒の2つの逆断層によって基盤層から割れ、それにより大阪盆地の水平であった堆積層がぐにゃりと変形している様子がよくわかる。
◆生駒の断層によって西側が沈降しつつ、生駒山地の隆起で堆積層がひきずり上げられている。上町断層の西は、水平な堆積を保持した形で沈降し、東側がせりあがっている。

2024年3月1日 誉田御廟山古墳の立入り観察

◆昨年に続く後半8学会の1枠で立入り観察に参加させてもらう。朝、カメラのSDがないのに気づき、車で職場に行き、さらに準備作業をして、そのまま古市駅に向かう。事後検討会会場近くの駐車場に車を入れ、古市監区事務所に向かう。集合1230の5分前くらいに到着した。
◆13時から、第1便のボートに乗り墳丘へ上がり、今回は反時計回りで2時間半をかけて1周した。
◆墳頂仕上がりの軸線を、前方部埋葬の方形壇のセンターで設定していたのですが、N科研のあと、やっぱり前方部がやや触れているので、わずかに振った。上石津についてはもっと左右で異なる。どうしてそうなるのか、なかなか難問です。

やれることをやる

◆明日の準備をしております。自分の1歩を計測すると62.5㎝くらいでした。
◆新しいノートPCが来たので、それを前のマシン同様に設定するのに、おおむね1日を要した。

月間文化財の最新号に岩松が

◆宇和島市津島町岩松のデンケン選定の記事が掲載されました。口絵写真の裏の解説文です。西村酒造の建物というの、見たと思うが・・・。やっぱり駆け足でしか見てなかったのかな。同じ号に卯之町も取り上げられていました。それと、与謝野町の旧尾藤家住宅の重文指定も。
◆広島の被服支廠倉庫も重文。旧大阪砲兵工廠の1棟はどうするんかね。

大歴大会準備報告

◆第1回目の案内が来ました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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