人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
古市・百舌鳥古墳群(モズフルではない)
◆登録記載が適当とのイコモス勧告、関係者のみなさん、おめでとうございます。よかったですね。今後も、遺産の保存に努め、それを起爆剤として、管下の古文書や習俗を含めた文化財、歴史や文化が大切にされる町づくりに努めていただければと念願します。モズフルだけ、とならないよう。
◆とはいえ、心からめでたいとは言えない。今次のニュースにある通り、名前はとても大事、あれを指すため、大仙(みな大山でしたが)とか仁徳陵とか、必ず言わなければならないのが名前。「あれ」ではすまない。たかが名前ではないのである。今後、あらゆる場面で、「仁徳天皇陵古墳」というものを目にし、発言を聞き、いや~な思いをし続けなければならない。
◆そして直らない、強制されるのも目に見えている。論文では大仙古墳といっときゃいい。が、講演会で、大仙古墳はやめてくださいとか、出版物で必ず「仁徳天皇陵古墳」を併記してくださいとか、そういう方向に行くだろう。そして教科書はいわずもがな。今後、大学にやってくる学生は、あれはダイセン古墳とは学ばず、みな「仁徳天皇陵」(古墳をつけるかどうかは?)になる。恐ろしい世の中です。
◆あいかわらずの486mには笑うが、かわいいもの。あんな、「世界一の墓を造る立派な王様が日本にいたんだ」と言い始めると、危なくて仕方がない。いまの自民党政府や維新にぴったりな案件ですね。年号も和書でなく「国書」から採ったというものにかわり(アベ「いいね~」と)、次は前方後円墳が世界遺産と。国威発揚にはもってこいです。新聞もほぼメデタイとしか言わない。これも怖いですね。違う意見は取り上げない。なので、距離を置くしかないですね。
◆ついでに。ラジオの聞きかじり。佐藤浩市が首相役をやることになり、われわれの世代は「反体制」というようなことを言い、炎上したのだとか。佐藤浩市に親近感を覚えるとともに、それにいちゃもんをつけるのが怖いですね。個人の自由という、憲法の根本精神が、この国にはまだ定着してないんでしょうね。オカミとかタイセイにしたがう、そいつらの雰囲気にあわせる、独自に考えて、人は人、自分は自分、と思うことができない民族。
◆とはいえ、心からめでたいとは言えない。今次のニュースにある通り、名前はとても大事、あれを指すため、大仙(みな大山でしたが)とか仁徳陵とか、必ず言わなければならないのが名前。「あれ」ではすまない。たかが名前ではないのである。今後、あらゆる場面で、「仁徳天皇陵古墳」というものを目にし、発言を聞き、いや~な思いをし続けなければならない。
◆そして直らない、強制されるのも目に見えている。論文では大仙古墳といっときゃいい。が、講演会で、大仙古墳はやめてくださいとか、出版物で必ず「仁徳天皇陵古墳」を併記してくださいとか、そういう方向に行くだろう。そして教科書はいわずもがな。今後、大学にやってくる学生は、あれはダイセン古墳とは学ばず、みな「仁徳天皇陵」(古墳をつけるかどうかは?)になる。恐ろしい世の中です。
◆あいかわらずの486mには笑うが、かわいいもの。あんな、「世界一の墓を造る立派な王様が日本にいたんだ」と言い始めると、危なくて仕方がない。いまの自民党政府や維新にぴったりな案件ですね。年号も和書でなく「国書」から採ったというものにかわり(アベ「いいね~」と)、次は前方後円墳が世界遺産と。国威発揚にはもってこいです。新聞もほぼメデタイとしか言わない。これも怖いですね。違う意見は取り上げない。なので、距離を置くしかないですね。
◆ついでに。ラジオの聞きかじり。佐藤浩市が首相役をやることになり、われわれの世代は「反体制」というようなことを言い、炎上したのだとか。佐藤浩市に親近感を覚えるとともに、それにいちゃもんをつけるのが怖いですね。個人の自由という、憲法の根本精神が、この国にはまだ定着してないんでしょうね。オカミとかタイセイにしたがう、そいつらの雰囲気にあわせる、独自に考えて、人は人、自分は自分、と思うことができない民族。
2019年5月11日、考古ゼミ見学会
◆飯盛山城。ずいぶん前から登ってみたかったので、提案し、組み込む。
◆学研都市線の野崎駅集合、大東市の野 外活動センターに行く。阪奈道路を登り、龍間、そこから北に入っていく。大阪桐蔭のグラウンドと産
廃廃棄施設、その間を縫って野外活動センターへ。そこに車を置かせてもらう(駐車料200円)。マップももらった。このマップ、よくできています。余裕なく紹介できません。そこか ら歩き・・・。
◆ここまで5月12日に書き始めたが、書きさしで・・・。いま6月5日、忘却です。
◆山頂から大阪を見た写真(上)。なんでも年に数度は明石海峡も見えるのだとか。最後、先端まで行き、京都方面を眺める。天王山と男山の地峡部もよく見える。まあ、絶好の立地ですね。
◆学研都市線の野崎駅集合、大東市の野 外活動センターに行く。阪奈道路を登り、龍間、そこから北に入っていく。大阪桐蔭のグラウンドと産
◆ここまで5月12日に書き始めたが、書きさしで・・・。いま6月5日、忘却です。
◆山頂から大阪を見た写真(上)。なんでも年に数度は明石海峡も見えるのだとか。最後、先端まで行き、京都方面を眺める。天王山と男山の地峡部もよく見える。まあ、絶好の立地ですね。
少子化対策のいちばんの決め手
◆は正職員を増やすことである。
結局は
◆5月3日、10連休も後半に入る。今日は、昨日の続きの原稿縮小作業をやって、それから溜まっている雑用解消の日と決めていたが、まあ、あんまり終わらんもんです。22:07、さて帰るか。
仕事にも飽き
◆部屋を片付けていると『誠の人』武藤先生追悼録が出てきた。そもそも、な
んでこの本をもっているのか定かではない。
◆少しパラパラすると、そうか、1995年1月の震災で、家が全壊したのか。そして資料類をすべて失ったのだそうです!。どれくらい?。現物や、発掘や出土品にかかる原図やらフィルムやらの資料類があったのだろうか(むろん蔵書もだが)。無念だったでしょうね。少し前から、兵庫県下のいろんな資料をどこかに寄贈するとか、そういうことはやっていなかったんでしょうか。そして4月にお亡くなりになった、と。87歳。すごいお年寄りと思っていたが、いま自分のオヤジは同じ年である・・・。
◆丁瓢塚の報告の時に、資料をコピーさせていただいたのを思い出し、ファイルを取り出すと2枚ありました。そうすると、黒川古文化研究所に(鏡の拓本を採る)バイトに行ってたのはM1の時なんですかね。下太田廃寺の瓦の話をしたのは・・・。そして1990年春に電話がかかってきて、兵庫県史の嘱託になる。
◆追悼録にある西村俊範さんの文章を読んだ。
◆少しパラパラすると、そうか、1995年1月の震災で、家が全壊したのか。そして資料類をすべて失ったのだそうです!。どれくらい?。現物や、発掘や出土品にかかる原図やらフィルムやらの資料類があったのだろうか(むろん蔵書もだが)。無念だったでしょうね。少し前から、兵庫県下のいろんな資料をどこかに寄贈するとか、そういうことはやっていなかったんでしょうか。そして4月にお亡くなりになった、と。87歳。すごいお年寄りと思っていたが、いま自分のオヤジは同じ年である・・・。
◆丁瓢塚の報告の時に、資料をコピーさせていただいたのを思い出し、ファイルを取り出すと2枚ありました。そうすると、黒川古文化研究所に(鏡の拓本を採る)バイトに行ってたのはM1の時なんですかね。下太田廃寺の瓦の話をしたのは・・・。そして1990年春に電話がかかってきて、兵庫県史の嘱託になる。
◆追悼録にある西村俊範さんの文章を読んだ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。