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人を幸せにする人になろう

魚津、埋没林博物館

◆これ特別天然記念物だそうです。前の姿は知らないが、蜃気楼も組み合わせて、その両方を見せ  る博物館としてリニューアルしたとか(正確ではありません)。GW、けっこうな人が訪れていました。埋没林は、いまは古墳時代あたりの樹林との年代測定値が採用されている。海面下になっている点については、2000年前頃の海退期に進出した森林が、その後温暖化にともなう海面上昇で海面下になったとの解釈に立つ、と書いてありました。
◆いつのものなのか、なぜ海岸線より下にあるのかをめぐって、発見以来、何度かの 調査や年代測定の結果、徐々に理解に変更が加えられてきているようです。乾燥した空間での展示、水槽のなかでの展示(写真下)など、埋没林を示すための、いくつかの手法が取られているようです。天気が悪く、風がビュービュー。


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2018年5月3日、富山

◆前に行ったのは、2年前の7月。高岡市伏木の北前船資料館に行ったが、その日の日本最高気温39.何とか度だったという記憶がある。今回は、京都のスロベニア料理店で決まった。サンダーバードの指定が取れず車でということになっていたが、京都からの参加者が行けなくなり、われわれだけ なので、大阪駅で自由席にならべばいいので、そうする。
◆7:00発、1時間で琵琶湖の北、もう1時間で福井、2時間半で金沢である。田
植えのシーズンですね。水が貼られ既に田植え済みのところもある。一方で、麦も目に付く。
◆10:30には着き、富山駅前で昼飯を食べる(11:00)。12:00から12:00でレンタカーを借りたので、富山城に行くことにする。もう忘れたが、戦国期の越中の諸権力の抗争(西の一向一揆、東の上杉(長尾))のなかで、呉東と呉西の中央部に誰かが富山城を造ったのだそうです。佐々成政のアルプス越え?の説明はなかったが。で、江戸時代になって富山藩ができ、再び富山城が作られる。ひとつの模型で、江戸時代の整備状況と、近代以降の土地利用の変化を、模型をはさんだ両面で説明するジオラマがあった(写真下)。なお、この展示施設(写真上)、空襲にあった富山の再興が一段落して作られたもののようである(天守閣は本来は作られなかった現代建築)。また、石垣については、どこまで幕末までのものが残っていて、どこまでが明治以降に撤去され再現されたものなのだろうか。

久津川サウンディング

◆今週木曜日をめざしていたが、延期します。ま、順当にやりますので。4月29日に詳細の計画を立 てた図を示します。経費的には少し間引こうかとも思いますが、もう1か月程度、熟成させることにします。

2018年4月30日西陵

◆9:00みさき公園駅。参加:阿部・大澤・テジョン。すべてを任せて、機材を下ろした後、こっち は和歌山へ向かう。夕方17:45頃、現地に戻り、古墳に入っていくと、片づけているところ。みさき公園駅まで送って解散。
◆けっこうなブッシュで、刈払いに時間を要し、あまり進まなかったようである。どこまでやって、あとは測量しながら払っていくか、そのへんの効率も考えるようになってほしいところ。
◆まあ、長い目で。自分らでやり切る、というのも大事、

京大滝川事件

◆松本清張の『昭和史発掘』がころがっていたので、寝る際にパラパラ。天皇機関説のところ を読 んでいた。朝起きて、京大滝川事件のところをよんでいると、岩波茂雄の言葉があり、昨日やっていたこととつながる。
◆もとより国家権力、文部大臣の京大法学部つぶしと、コトのレベルは大きく違う。しかし言い換えてみよう。
◆学者の真理に対する態度はあくまで厳粛でなくてはならない。眼前を「仁徳天皇陵古墳」として糊塗することは政治家の常であるが、学者のすべきことではない。遺跡の名称としてどうするのがよいのか、根本に眼を向け、大仙古墳の被葬者が誰なのか、仁徳大王の墓と言えるのか、正邪を明らかにして、あくまでも良心的に行動すべきである。
◆と言い換えられる。ちゃんと話をしてはどうか、というだけなのであるが。とはいえ、それも簡単ではないということも理解できる。なかなかやっかいなことです。

2018年5月1日

◆5月になりました。今日は月曜日の授業に振り替えだったのだが、それが水曜日と思い込んでいおり、火曜2限の準備をして教室に行ったが誰もいない・・・。間違った!。で月曜2限の授業に行く。終了後、ある書類を出さねばと思いつつ、陵墓のことで午後を費やしてしまう。それが要因ではないが、疲労の蓄積で、かなりくたびれている。あ~しんど。

無題

◆大歴の仕事をしている。もうちょっとなんとかしてくれんかね~。独り立ちしてほしいもんだ。自分がさぼっていたところはリカバーしよう。そう遅れているわけではない。いやまあ・・・、ぼやきです。今日もまた22時まで仕事をしたぞい。
◆明日は西陵。とはいえ院生にお任せです。こっちは和歌山でうろうろ。駅に迎えに行き現場に運び、機材を下ろし、また終わりに迎えに行くことになりそう。

2018年4月29日市大授業

◆まあ講師の側では初期のころにやったが、今回は地域貢献委員として準備する側。11時集合と 思っていたが、よく見ると、10:50に資料類や看板などを文学部から1号館へ運ぶという仕事があった。すっぽかしました。

巨勢山323フォトスキャン

◆まあまあ、成功でしょうか。その意味では慣れてきている。完全に筒状態にジベタもふくめてで きている。ただし、奥壁がすこんと抜けている。画像がないわけでもないが、単純な壁面でマッチングが難しいのでしょうか。狭いし、あんまり奥に進んだところからは撮影していない。4つの隅部のアップを加えれば閉じるだろうか。
◆フォトスキャン。ここからがなかなか進めない。絶対値。水平をどうとるか。座標系、つまりは主軸設定、それをどのようにするかです。発掘現場なら、発掘面に評定点をもうけ、TCでXYZを測り、フォトスキャン上で座標データを入れたら正規のポジションに位置づけられ、オルソー作成に進む。
◆現場にTCを持ち込むことはでき、任意でいいから、ノンプリで特徴点のXYZを測ってやればいいのだが・・・、ちと大ごと。もっと簡便に、それでいて、立体で研究用に見れるようになるだけでなく、絶対値をもった図化をしたい。それをできるだけ簡便にやるには、ということを考えてきた。三脚を立て、1mのカネ尺を垂らす。理論的には鉛直にぶらさがり、それを写し込んで合成したデータ上で軸設定ができれば水平は出るし、実寸も入る。やっていないが。それが写ったデータがえられたとして、フォトスキャン上でその条件設定ができるのか(ソフト上の問題)。ソフト上無理なら、石室なので、XYZの点群データ化できれば(遺物だとテクスチャーを貼ったものの方が質感はありトレースしやすいが)、別ソフトであとを処理することもできる。また、正四面体の寸法のわかっている金属フレーム(を作って)を鉛直にぶら下げられれば、少なくとも4点(頂点と水平の3点)のXYZ任意座標は入れられる。これなら、フォトスキャン上でも処理できるか。が、いずれにしても大型石室はよいが、横口式石槨は狭い・・・。写真を撮る身動きの問題もある。
◆まあしかしカネ尺垂らしをやってみるか。

巨勢山323への行き方

◆4回目行った経験から、略図を示しておきます。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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