人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
飛鳥時代の基本尺度としての25㎝南朝尺
◆高麗尺と唐尺だけで考えるのが間違い。南朝尺25㎝がある、というのを、7世紀をやっている人はほとんど知らないのである。基本が中国尺で、墳丘など土木工事はその歩数。そこに横穴式石室とともに高麗尺が入る。が、これは石室の尺度という特殊なもの。社会の基本には25㎝尺が継続しているわけです。
◆で、より大きな影響力をもって高麗尺が入るセカンドインパクトは寺院。が、これが寺院にとどまるか、どうかが問題(M氏の研究では建物は25㎝なのです)。もしかすると、石室と同じく寺院専用の特別尺みたいなもんかもしれません。
◆が、この6尺1歩が度地尺になっていくのはどういうことなのでしょうか。やはり寺域等のかなりの広い範囲を計量するのに、高麗尺およびその6尺1歩が半島から新たに導入されるのかもしれませんね。25㎝の6尺1歩で古墳の築造が続いているなかで、高麗尺1000歩といったものになっていく説明です。前方後円墳がなくなり、最大でも用明墓の60mくらいになっていくなかで、飛鳥時代にもっと長い距離を扱う必要が生まれ、それに寺院建立を契機に導入された高麗尺だけでなくその6尺1歩の度地法もまた持ち込まれ、土木工事一般に用いられるようになり、25㎝の6尺1部がむしろ古墳専用に限定されていくという経過をたどるのかもしれません。
◆だがしかし、25㎝尺は、歩数は古墳だけになるにせよ、器物とかふつうの建物には依然として用
いられ続けるのだろうと推測できます。大宝令の大尺・小尺は高麗尺と唐尺の2つにするという内容であって、逆に言えば長く使われてきた25㎝尺を捨てる、という意味もあるわけです(『古代都市・条里制研究』に書きました)。とにかく、7世紀をやっている人には、25㎝尺は視野に入っていないわけです。一例を示します。石棺は25㎝尺ですよ。おそらく。石室の規模が高麗尺から唐尺に変わっても、石棺もでかいものではありますが、100mといった測地じゃないので、あくまで尺数を用いる器物扱いです。クサ墓の石棺を示します。25㎝尺の10尺×6.5尺です。
◆で、より大きな影響力をもって高麗尺が入るセカンドインパクトは寺院。が、これが寺院にとどまるか、どうかが問題(M氏の研究では建物は25㎝なのです)。もしかすると、石室と同じく寺院専用の特別尺みたいなもんかもしれません。
◆が、この6尺1歩が度地尺になっていくのはどういうことなのでしょうか。やはり寺域等のかなりの広い範囲を計量するのに、高麗尺およびその6尺1歩が半島から新たに導入されるのかもしれませんね。25㎝の6尺1歩で古墳の築造が続いているなかで、高麗尺1000歩といったものになっていく説明です。前方後円墳がなくなり、最大でも用明墓の60mくらいになっていくなかで、飛鳥時代にもっと長い距離を扱う必要が生まれ、それに寺院建立を契機に導入された高麗尺だけでなくその6尺1歩の度地法もまた持ち込まれ、土木工事一般に用いられるようになり、25㎝の6尺1部がむしろ古墳専用に限定されていくという経過をたどるのかもしれません。
◆だがしかし、25㎝尺は、歩数は古墳だけになるにせよ、器物とかふつうの建物には依然として用
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ちょっと25が気になって
◆高麗尺と唐尺でやっとりますが、墳丘の場合は、これに南朝尺25㎝(23㎝もだが)のメッシュレ
イヤーも用意していて、石室もこの3種のファーマットを作り、ぜんぶやり直している。そうすると、25㎝がいちばん合いそうなものもある。で、これで悩み始めました。百済の陵山里の石室は25㎝というので・・・。つまり高麗尺はほんまにあるんか?、ということになりかねない。
◆それで、やり直し作業をやってました。ほんまに高麗尺か、唐尺か、はたまた25㎝か。そうなると平面だけではダメで、側壁、奥壁、玄門、すべてをやり、何がいちばん適合的なのか、と。で、またやり直し。研究は厳しい!。確信がもてるまでやるしかない。結論は牧野は高麗尺でよい、文殊院西も高麗尺、岩屋山は唐尺でよい、という結論に改めて到達した。が、加工がかっちりしていないと、2つが完全に棄却できてひとつに絞れるというよりは、2つくらいの可能性が残る、という状態のものも少なくない。まして古い図面は無理。
◆それで、やり直し作業をやってました。ほんまに高麗尺か、唐尺か、はたまた25㎝か。そうなると平面だけではダメで、側壁、奥壁、玄門、すべてをやり、何がいちばん適合的なのか、と。で、またやり直し。研究は厳しい!。確信がもてるまでやるしかない。結論は牧野は高麗尺でよい、文殊院西も高麗尺、岩屋山は唐尺でよい、という結論に改めて到達した。が、加工がかっちりしていないと、2つが完全に棄却できてひとつに絞れるというよりは、2つくらいの可能性が残る、という状態のものも少なくない。まして古い図面は無理。
国の言うことにしたがっても国は責任を取りません
◆例えば市町村合併。合併特例債をエサに、交付金を削りたいと。どことも疲弊しているんとちゃいますか。地域地域にまだ役所があったからこそ、まわっていってたところもあるんとちゃいます。大学。文系学部は見直せ、とかなんとか。大学院重点化はその最たるもの。博士号は取ったけれど、という事態と、その反動としてのいまの院志望の低下、国は責任を取りませんよ。新しい入試。どうなるんでしょうか。文章を書かせ誰ぞが採点する、混乱しても誰も責任を取りませんよ。
◆原発を推進して、廃炉にとんでもない額がかかっても、誰も責任を取りませんよ。
◆それぞれのコミュニティーで、自分たちで考え、よかれと思うことをやっていけばいいのである。振り回されるな。
◆原発を推進して、廃炉にとんでもない額がかかっても、誰も責任を取りませんよ。
◆それぞれのコミュニティーで、自分たちで考え、よかれと思うことをやっていけばいいのである。振り回されるな。
おもろいはなし
◆自分の話ではありません。
◆おもろい話をする、との誘いメールに「その船に乗ります」との反応。いっぽうで「なんとかのロードマップを作るので集まってください」とのメールに、そんなんおもろない、と。なんのこっちゃ!。
◆面白いと思って取り組んでいるチームを見ていて、何をするのか伏せてあっても、きっと面白いと思って乗る。それに対し、若い世代が、役所みたいにロードマップをと・・・。研究は進まないと先はわかりません。大筋の取り組み計画は役所的には必要だし、いまは研究者も中期目標とか立てさせられる。が、研究はどうなるかわからん、やっていくと、次々に展開していくが、それはいまの時点ではわからないのだ。ロードマップとか3ポリとか、誰かがヤランといけないとしても、作文しておけばいい。それよりも、ロードマップを本気で作りたいのか?。いま時間があればこれやりたいねん!、というのがお前にはないんか、と。
◆こんなことを書けば、怒られるかも知れません。
◆おもろい話をする、との誘いメールに「その船に乗ります」との反応。いっぽうで「なんとかのロードマップを作るので集まってください」とのメールに、そんなんおもろない、と。なんのこっちゃ!。
◆面白いと思って取り組んでいるチームを見ていて、何をするのか伏せてあっても、きっと面白いと思って乗る。それに対し、若い世代が、役所みたいにロードマップをと・・・。研究は進まないと先はわかりません。大筋の取り組み計画は役所的には必要だし、いまは研究者も中期目標とか立てさせられる。が、研究はどうなるかわからん、やっていくと、次々に展開していくが、それはいまの時点ではわからないのだ。ロードマップとか3ポリとか、誰かがヤランといけないとしても、作文しておけばいい。それよりも、ロードマップを本気で作りたいのか?。いま時間があればこれやりたいねん!、というのがお前にはないんか、と。
◆こんなことを書けば、怒られるかも知れません。
2017年3月12日は入試
◆です。仕事はちゃんとやってます。で、ぶつ切れの時間で、論文を書いていたわけです。今後は、昼間は別の仕事をして、夜できれば早めに帰り、図をひとつひとつ作っていけば、なんとかなるかな。昨日は書評1本にも着手しました。
◆本文の読解力がない。著者の最終的に言いたいことが理解できていない。設問で何が問われているかをキチンと受け止めておらず、だからどういう答を書かないといけないのかがわからない。なんで学問をするかということに対し、多くが現実的な問題解決を挙げる。アカデミズムと行政の違いがあると思うが。まあ、いろんなことを考えます。
◆本文の読解力がない。著者の最終的に言いたいことが理解できていない。設問で何が問われているかをキチンと受け止めておらず、だからどういう答を書かないといけないのかがわからない。なんで学問をするかということに対し、多くが現実的な問題解決を挙げる。アカデミズムと行政の違いがあると思うが。まあ、いろんなことを考えます。
小山田古墳=蝦夷墓の論文
◆お送りいただき、ありがとうございました。正座して読ましていただきました。痛快ですね。植山古墳の話はきわめて説得的です。宮ケ原や菖蒲池やら、報告書が身近にないもんで、いろいろ勉強になります。いっぺん、カシコーケンに行って、あらいざらいコピーしないといけませんね。
◆谷首=池上陵って、ほんとだろうか。1年半でできてたのかな。用明はすぐに死んでしまい、その間に谷首古墳はできあがるだろうか。仮埋葬で、実質は没後に春日向山を造って、と考えているが・・・。谷首が石舞台式であることも、ちょっとずれている。天王山式だろうに。なので、阿部鳥、とみている。
◆やはり五条野丸山=稲目論だけは、ちゃうやろ、と思うが、そこはそうかもしれない、との見方で考えてみることも必要ですね。でも、欽明は稲目の女婿であって、あそこに造られるのは別に問題ないだろう。敏達は蘇我腹でないからこそ、梅山なのであり、その墓域に連なることが重要なのである。丸山=欽明派は稲目墓を考えないといけないし、丸山=稲目派は敏達墓を探さないといけない。あとは指摘のある棺の問題ですね。ちゃんと受け止めて考えてみたい。
◆都塚=稲目墓はありうるのでは、と漠然と思っています・・・。前方後円墳でなければならない、と決めつけることはできないだろう。方墳を主導したのが蘇我氏であることは疑いないので。まあ、これも・・・。
◆岩屋山の墳丘はよくわからないが、前にリーフレットを作った時には(配ってません)、上は根拠がないのであきらめたが、玄室奥を中心として、前面の階段部分を根拠にめぐらすと56mあまりとなり、いま計算すると38歩57mの可能性はありそうである。要するに、舒明墓としての根拠として、墳丘規模・石室規模の卓越を、客観的に示せないといけない。いま書いているものから抜粋すると、春日向山古墳46歩69m、赤坂天王山古墳36歩54m(奥行35歩52.5m)、塚穴古墳は36歩54m、叡福寺古墳径36歩54m、石舞台古墳は34歩51m、植山古墳は幅26歩39m、西宮古墳24歩36m、帯解黄金塚古墳20歩30m。いや~前方後円墳から方墳に転化した最初の用明墓にはおよばないが(むろん時期が違いますよ)、それ以外では最大規模ですね。やっぱり倭国王墓ちゃうんでしょうかね。
◆谷首=池上陵って、ほんとだろうか。1年半でできてたのかな。用明はすぐに死んでしまい、その間に谷首古墳はできあがるだろうか。仮埋葬で、実質は没後に春日向山を造って、と考えているが・・・。谷首が石舞台式であることも、ちょっとずれている。天王山式だろうに。なので、阿部鳥、とみている。
◆やはり五条野丸山=稲目論だけは、ちゃうやろ、と思うが、そこはそうかもしれない、との見方で考えてみることも必要ですね。でも、欽明は稲目の女婿であって、あそこに造られるのは別に問題ないだろう。敏達は蘇我腹でないからこそ、梅山なのであり、その墓域に連なることが重要なのである。丸山=欽明派は稲目墓を考えないといけないし、丸山=稲目派は敏達墓を探さないといけない。あとは指摘のある棺の問題ですね。ちゃんと受け止めて考えてみたい。
◆都塚=稲目墓はありうるのでは、と漠然と思っています・・・。前方後円墳でなければならない、と決めつけることはできないだろう。方墳を主導したのが蘇我氏であることは疑いないので。まあ、これも・・・。
◆岩屋山の墳丘はよくわからないが、前にリーフレットを作った時には(配ってません)、上は根拠がないのであきらめたが、玄室奥を中心として、前面の階段部分を根拠にめぐらすと56mあまりとなり、いま計算すると38歩57mの可能性はありそうである。要するに、舒明墓としての根拠として、墳丘規模・石室規模の卓越を、客観的に示せないといけない。いま書いているものから抜粋すると、春日向山古墳46歩69m、赤坂天王山古墳36歩54m(奥行35歩52.5m)、塚穴古墳は36歩54m、叡福寺古墳径36歩54m、石舞台古墳は34歩51m、植山古墳は幅26歩39m、西宮古墳24歩36m、帯解黄金塚古墳20歩30m。いや~前方後円墳から方墳に転化した最初の用明墓にはおよばないが(むろん時期が違いますよ)、それ以外では最大規模ですね。やっぱり倭国王墓ちゃうんでしょうかね。
第2の森友
◆森友、ヒットラーユーゲントみたいですね。安倍首相万歳~、大ニッポン帝国万歳~、教育勅語万歳~!。そのうち軍事教練が始まるかもしれないですね。大阪府もおかしい。経営的にやっていけるかどうか、が判断の基準ではないだろう。第1に教育内容であって、教員やカリキュラムのチェックでしょう。そして明治と変わりのない官有地払い下げの便宜。
◆で岡山理科大学も、らしいですね。
◆で岡山理科大学も、らしいですね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。