人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
こんなん出てきました
◆今日は立命館の授業があり、行きたかった国際平和ミュージアムにはじめて寄ってみました。が、ボ
リュームが大きく、授業前の時間だけでとても見切ることはできない。何回か、必要ですね。これ以外、3連休の間、せっせと仕事をこなすも終わりません。
◆ちょっと研究室の模様替えというか、あまりに増えていく物資、これらが雑然とそちこちに積みあがっているので、仕事に飽きたら片付けなどしています。で、こんなんが出てきました。市大・府大統合にかかわる文学部の会議に金曜日出たところですが、なにかの役に立つかもしれません。この会議、2時間の予定でしたが、博物館展示論の第1回があったため、半分で抜ける。まあ、なかなか発言しにくい。自分が抜ける時間も迫り、発言を求めて1回しゃべりましたが、なので後半戦がどうなったかはわかりません。11月に梅田でやるイベントのチラシも掲げておきます。
◆ちょっと研究室の模様替えというか、あまりに増えていく物資、これらが雑然とそちこちに積みあがっているので、仕事に飽きたら片付けなどしています。で、こんなんが出てきました。市大・府大統合にかかわる文学部の会議に金曜日出たところですが、なにかの役に立つかもしれません。この会議、2時間の予定でしたが、博物館展示論の第1回があったため、半分で抜ける。まあ、なかなか発言しにくい。自分が抜ける時間も迫り、発言を求めて1回しゃべりましたが、なので後半戦がどうなったかはわかりません。11月に梅田でやるイベントのチラシも掲げておきます。
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ことのついで
◆同じ『空からみた古墳』の津堂城山です。この写真は、その後、『日本の古墳』や『大観』にも
再掲されているのかもしれませんが・・・。よく見ると、前方部前端、ソイルマークあるんちゃう?、と。塚口先生の古稀記念論集に津堂について書きましたが(もうすぐですね)、一所懸命、復元をやってみたわけです。が、前端、どうすりゃいいのさ、探査の反応によりかかったわけで、それも間違いではないわけですが、ラインが見えるんとちゃいますかと。とくに手前、同じ1枚の田んぼですよねと、ところが墳丘側は白い。後円部の東側もそのように見える。そして全面調査された島も、うっすら白いやん!、と。反対側はなんか正方形の区画になってるで、と。いかがでしょうか。
【追記】『日本の古墳』と『大観』は別の写真でした。でもわかりませんでした。『空からみた古墳』の撮影時の条件が良かったんでしょう。
【追記】『日本の古墳』と『大観』は別の写真でした。でもわかりませんでした。『空からみた古墳』の撮影時の条件が良かったんでしょう。
もひとつ帝塚山
◆末永先生の航空写真。『大観』には1カット。上田宏範さんの文献に挿図として『古墳の航空写真
集』からということで挙がっている写真があり、こっちの写真の方が撮影は古い。この本、1980年刊行で、古本で2万~3万するんですね。で1957『空からみた古墳』をくっていると、『写真集』と同じ時期の別写真か、と思われるものがありました。東側面に張り付いている、畑地より古墳沿いの部分、これが平坦なのか斜面なのか、気になりますね。いまの入り口前にある道路をはさんで、向かいの緑地も。
◆2000年に測量した時、市文協で、過去の試掘の高さデータも教えてもらいながら、結局どこかわからなくなり、『報告書』で公表されている範囲でしか、周囲の深さを確認できなかったような、かすかな記憶もある。古い写真を集めることなどを含め、帝塚山古墳について、まだやれることはあるようです。こないだは、5世紀第2半期から中頃でアナ窯段階とした。その先は明確には言わなかったが、3段で大きくなれば、見た目はかなりイメージが変わり、誉田御廟山型なのかな、と思い始めています。
◆2000年に測量した時、市文協で、過去の試掘の高さデータも教えてもらいながら、結局どこかわからなくなり、『報告書』で公表されている範囲でしか、周囲の深さを確認できなかったような、かすかな記憶もある。古い写真を集めることなどを含め、帝塚山古墳について、まだやれることはあるようです。こないだは、5世紀第2半期から中頃でアナ窯段階とした。その先は明確には言わなかったが、3段で大きくなれば、見た目はかなりイメージが変わり、誉田御廟山型なのかな、と思い始めています。
すみよし歴史案内人の会の学習会
◆で、帝塚山古墳の話をしました。昔の資料を取り出し、それ以外にもいろいろ資料を作り、とに
かく知っていることを洗いざらいしゃべることと、その元になる資料をできるだけたくさん提供し、使ってもらえるように努める。本日の11時ごろになんとか終え、使った画像でパワポを組み、あとはしゃべり・・・。
◆会場に12:40頃にはついたか。みなさん熱心に聞いていただけました。「その時代」の話は最後にちょこっとだけ、あとはひたすら帝塚山古墳に即した話。
◆『市大日本史』の第3号は印刷が粗悪で不鮮明。埴輪もつぶれています。トレース図をスキャンしたので再掲します。
◆堅田先生に、明治の大演習の記念碑を立てる時に、朱が出て、それを見たことがあるとの話を、当時うかがったが、その話もした。いつ、どこで、ということを聞いておかないといけなかったで
すね(これも『市大日本史』の文末に追記しておいたから、そういえばそうだったな、という話で、読み返すまで忘れていた)。
◆字大帝塚の巨大古墳はあまり根拠がない。梅原先生が報告している小帝塚(ほんとはこっちが大きいと記載されているが)の位置もわかった(図の丸のところです)。
◆会場に12:40頃にはついたか。みなさん熱心に聞いていただけました。「その時代」の話は最後にちょこっとだけ、あとはひたすら帝塚山古墳に即した話。
◆『市大日本史』の第3号は印刷が粗悪で不鮮明。埴輪もつぶれています。トレース図をスキャンしたので再掲します。
◆堅田先生に、明治の大演習の記念碑を立てる時に、朱が出て、それを見たことがあるとの話を、当時うかがったが、その話もした。いつ、どこで、ということを聞いておかないといけなかったで
◆字大帝塚の巨大古墳はあまり根拠がない。梅原先生が報告している小帝塚(ほんとはこっちが大きいと記載されているが)の位置もわかった(図の丸のところです)。
いろんな雑誌を
◆『博物館研究』の民具の特集を面白く読んだ。これ大学で取ってもらっているものだが、自分でも購入できるのかな。いま博物館にある民具の多くは、1970年の減反政策、ほぼ同じ頃からの機械化のなかで、収集が始まっていくのだそうである。
◆それと大東市の資料館が民俗資料の展示や活用では、けっこう有名みたいです。
◆『月刊文化財』には、新指定の史跡等の紹介があった。全国で文化財にかかわる仲間が仕事をしていることを感じさせてくれますね。そして久津川古墳群もあった。
◆それと大東市の資料館が民俗資料の展示や活用では、けっこう有名みたいです。
◆『月刊文化財』には、新指定の史跡等の紹介があった。全国で文化財にかかわる仲間が仕事をしていることを感じさせてくれますね。そして久津川古墳群もあった。
10月になりました
◆いろんなことが起こります。さて、昨日金曜日、久しぶりに電車で通勤。いろいろ仕事を片づけるものの先は見えない。まあ、ぼちぼち。
◆久しぶりに新聞をスキャンし、ストックした。PCのフォルダに入れていても忘却するだけなので、プリントした。それをファイリングするパンチファイルも作った。これにためていこう。今日は10月1日の土曜日で、朝日新聞のフロントランナーの紹介に感銘を受ける。新聞を読むのはニュースを求めているわけではない。調査報道とともに、こうしたいろんな生き方があることを知る、ためでもある。この日本にも、あまたの地域があり、そこで生きている人がおり、なにができるかを考え、取り組んでいる人がいるものだ。まったく世界が違うが、共感がある。記事のなかにも研修の話があった。知識や技能は都会の方があるかもしれないが、意識は、志ある人々の明確な考えや熱意があってこそ伝わる、ということなのだろう。もとい。そういういろんな生き方がある。「これでいいのか」という自問の繰り返しの上に、トヨタの高給を蹴って隠岐の島に行き、会社を作った。テレビでもそういう番組はないわけではないだろう。が、新聞には、こうした人を取り上げたものや、同じ今日の新聞でいえば、埼玉の高麗郡の話もあったが、この日本列島のさまざまなことがらが取り上げられる。若者こそ、とくに多様な人の生き方について、知って欲しいと思う。が、新聞購読数の減少は続いている。
◆左膝の裏がはれぼったく、筋肉まで痛くなり、今朝起きて、もうまずい、というので調べると、阪和住吉総合病院が土曜日午前も整形が開いているので、行く。結論、年です。左膝の内側の軟骨が薄くなっている。ヒアルロンサンの注射も選択肢としてあるが、湿布にして様子を見ることにした。このところ、肩が痛い、膝が痛い、かかともまだ痛い、と。正座もできません。もう老年!。かかとが痛いのは、もう治りません、むろん軟骨も治りません、と。膝に無理な作業は避けること、運動して筋肉を維持するようにと。はい・・・。
◆ふだんは机にず~と座っていて、なのに2015年2月以来の久津川の現場で、現場になると酷使しと、そういう落差もまた悪いのでしょう。車はできるだけ乗らず、歩くこと。
◆久しぶりに新聞をスキャンし、ストックした。PCのフォルダに入れていても忘却するだけなので、プリントした。それをファイリングするパンチファイルも作った。これにためていこう。今日は10月1日の土曜日で、朝日新聞のフロントランナーの紹介に感銘を受ける。新聞を読むのはニュースを求めているわけではない。調査報道とともに、こうしたいろんな生き方があることを知る、ためでもある。この日本にも、あまたの地域があり、そこで生きている人がおり、なにができるかを考え、取り組んでいる人がいるものだ。まったく世界が違うが、共感がある。記事のなかにも研修の話があった。知識や技能は都会の方があるかもしれないが、意識は、志ある人々の明確な考えや熱意があってこそ伝わる、ということなのだろう。もとい。そういういろんな生き方がある。「これでいいのか」という自問の繰り返しの上に、トヨタの高給を蹴って隠岐の島に行き、会社を作った。テレビでもそういう番組はないわけではないだろう。が、新聞には、こうした人を取り上げたものや、同じ今日の新聞でいえば、埼玉の高麗郡の話もあったが、この日本列島のさまざまなことがらが取り上げられる。若者こそ、とくに多様な人の生き方について、知って欲しいと思う。が、新聞購読数の減少は続いている。
◆左膝の裏がはれぼったく、筋肉まで痛くなり、今朝起きて、もうまずい、というので調べると、阪和住吉総合病院が土曜日午前も整形が開いているので、行く。結論、年です。左膝の内側の軟骨が薄くなっている。ヒアルロンサンの注射も選択肢としてあるが、湿布にして様子を見ることにした。このところ、肩が痛い、膝が痛い、かかともまだ痛い、と。正座もできません。もう老年!。かかとが痛いのは、もう治りません、むろん軟骨も治りません、と。膝に無理な作業は避けること、運動して筋肉を維持するようにと。はい・・・。
◆ふだんは机にず~と座っていて、なのに2015年2月以来の久津川の現場で、現場になると酷使しと、そういう落差もまた悪いのでしょう。車はできるだけ乗らず、歩くこと。
で和泉市肥子町の調査
◆いまは詳しく書く気力なし。ひとまず撮影した写真を地図上に番号を記入するという一次処理ま
で。これやっとかな、写真撮っても、どこかわからんで。GPSカメラっちゅうのも買ってみるか。で、3日間、お世話になった、中世史T氏作成の地図。これをもち、府中・肥子、そして泉大津の穴田などを歩いて書き込んだもの。緑が桑畑井の水かかりエリアです。
◆ここでもまた、実際に歩いてみると、1町平行に水路が通る。条里が中国の方式通り減歩分を加えた109mとなっている理由が理解できよう。耕地だけ区画して、水路はあと、ということはありえない。計画した水量があり、十分水がまわったかどうかはともかく、地割施工には水路掘削がセットとしてあったはず。むろん水の供給源については、さらに十分なものにする努力が続くだろうが、1町ごとの水路は、7世紀後半に施工されたはずである。和泉でも比較的平坦な、一定の広さのある部分では、例外なく1町ごとに水路がともなっている。条里地割といってしまうと、なんか畦だけのイメージがつきまとうが、そうでなくハナから水路がセットである、という認識を新たにすることができた。
◆現場が終わり、懇親会で余った酒などを搬入しに大学に来たが、いま18:53、今日は早く帰って寝て、金・土・日にバリバリ仕事をしよう。
◆ここでもまた、実際に歩いてみると、1町平行に水路が通る。条里が中国の方式通り減歩分を加えた109mとなっている理由が理解できよう。耕地だけ区画して、水路はあと、ということはありえない。計画した水量があり、十分水がまわったかどうかはともかく、地割施工には水路掘削がセットとしてあったはず。むろん水の供給源については、さらに十分なものにする努力が続くだろうが、1町ごとの水路は、7世紀後半に施工されたはずである。和泉でも比較的平坦な、一定の広さのある部分では、例外なく1町ごとに水路がともなっている。条里地割といってしまうと、なんか畦だけのイメージがつきまとうが、そうでなくハナから水路がセットである、という認識を新たにすることができた。
◆現場が終わり、懇親会で余った酒などを搬入しに大学に来たが、いま18:53、今日は早く帰って寝て、金・土・日にバリバリ仕事をしよう。
ああ疲れるわ
◆26日の朝4時になっちまった。25日、朝から晩まで仕事をする。明日の授業の準備。それから、それから、もう忘れた。大歴の仕事(この日の夕刻に委員会)は夜となり、まだ終わりません。ノートPCも、昼間落下し、壊れ・・・。
◆朝5時まで大歴の資料を作り、2時間寝て7時に起き、立命館大学に向かう。今期、2016年後期、立命の非常勤講師を頼まれ、月曜日の2限は京都となる。車、奈良盆地経由、阪神高速京都線、西大路を北上する。1時間前くらいには着いたか。事務室で出勤簿やコピー機のことを聞き、教室を聞き、と。受講生はヒトケタ(大学院の授業です)。ヘロヘロでしたが、なんとか終え、帰りは第2京阪で14時前には研究室に着いたか。そこから大歴の委員会の資料作り。今日の委員会は部会運営委員との意見交換が頭にあるため開始18時で、16:30過ぎには出たか。まあ、なんとか終える。宿題多し。
◆京橋でカミサンを拾い、途中でラーメンを食い、帰宅。ばたんと寝る。
◆翌27日からの和泉市合同調査に向かう。
◆朝5時まで大歴の資料を作り、2時間寝て7時に起き、立命館大学に向かう。今期、2016年後期、立命の非常勤講師を頼まれ、月曜日の2限は京都となる。車、奈良盆地経由、阪神高速京都線、西大路を北上する。1時間前くらいには着いたか。事務室で出勤簿やコピー機のことを聞き、教室を聞き、と。受講生はヒトケタ(大学院の授業です)。ヘロヘロでしたが、なんとか終え、帰りは第2京阪で14時前には研究室に着いたか。そこから大歴の委員会の資料作り。今日の委員会は部会運営委員との意見交換が頭にあるため開始18時で、16:30過ぎには出たか。まあ、なんとか終える。宿題多し。
◆京橋でカミサンを拾い、途中でラーメンを食い、帰宅。ばたんと寝る。
◆翌27日からの和泉市合同調査に向かう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。