人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
豊臣大坂城天守台サウンディング
◆夏の山里丸の続きの第2弾が当初計画であったが、工事?の関係で、追加調査が難しそうなので、
対象を変えて天守台とした。これ博学連携の共同調査で、経費は同僚のN氏の研究費である。
◆豊臣大坂城の復元案は、なんとかさんが図化しているが、2年前だかに作成した500分の1本丸図に、改めて下層の豊臣大坂城を重ね、比較的浅い位置で石垣が捉えられるのではないかと思われるところを、埋設管も考慮して計画。右図は2012年6月の報告会の時に作ったパワポの1枚で、豊臣大坂城本丸は3段築成だが、その一番上の詰の丸の石垣を捉えるにはどこが候補になるか、考えたときのもの。
◆3月8日~10日の3日間で実施。中日の9日は雨で、午前やり始めたが、ぜんぜんガラに
当たって入 らんし、やめにした。写真は3日目(10日)の天守台東辺ねらいの設定の様子。
◆この間、呑み会も続いてしんどく、終了後、大学へ行く気力もなく、早く家に戻り、だいたい寝ていた。また大阪城公園駅からのコースを選択するが、本丸は遠く、足が痛む。足の方はまだ完全とは言えず、右足をひきずりつつ、2年ほど前からの左膝も痛い。
◆豊臣大坂城の復元案は、なんとかさんが図化しているが、2年前だかに作成した500分の1本丸図に、改めて下層の豊臣大坂城を重ね、比較的浅い位置で石垣が捉えられるのではないかと思われるところを、埋設管も考慮して計画。右図は2012年6月の報告会の時に作ったパワポの1枚で、豊臣大坂城本丸は3段築成だが、その一番上の詰の丸の石垣を捉えるにはどこが候補になるか、考えたときのもの。
◆3月8日~10日の3日間で実施。中日の9日は雨で、午前やり始めたが、ぜんぜんガラに
◆この間、呑み会も続いてしんどく、終了後、大学へ行く気力もなく、早く家に戻り、だいたい寝ていた。また大阪城公園駅からのコースを選択するが、本丸は遠く、足が痛む。足の方はまだ完全とは言えず、右足をひきずりつつ、2年ほど前からの左膝も痛い。
条里制・古代都市研究会つづき
◆研究発表の話はこれくらいとし。この間、都城やら古代寺院やら、地方官衙やら、基本的には遠のいていたが、年1回くらいは、こういう話を聞くのも勉強ではある。
◆初日の懇親会はどうしようかと思ったが、考古側の発表者の知り合いも少なくないので参加、2次会にも行きました。帰り着いたのは0時20分くらいだったか。2日目も、午後終了後、16時くらいから西大寺で呑む。
◆府中の森博物館に、ごっつい国府の模型ができて据えてあるらしい。熊野神社古墳の時に委員会に出ていたが、博物館にいかずじまい。機会を見つけて行かないといけません。府中市が50年間1700次にわたって発掘調査を継続してきたことに改めて敬意を表するとともに、備後国府の40年の取り組み含め、それだけの覚悟と腰を落ち着けて調査を重ねることの重要性を感じざるをえない。
◆初日の懇親会はどうしようかと思ったが、考古側の発表者の知り合いも少なくないので参加、2次会にも行きました。帰り着いたのは0時20分くらいだったか。2日目も、午後終了後、16時くらいから西大寺で呑む。
◆府中の森博物館に、ごっつい国府の模型ができて据えてあるらしい。熊野神社古墳の時に委員会に出ていたが、博物館にいかずじまい。機会を見つけて行かないといけません。府中市が50年間1700次にわたって発掘調査を継続してきたことに改めて敬意を表するとともに、備後国府の40年の取り組み含め、それだけの覚悟と腰を落ち着けて調査を重ねることの重要性を感じざるをえない。
またしばらくご無沙汰でしたが、この間
◆3月5日と6日は条里制・古代都市研究会に行きました。委員になり、また自分が発表して以降、行くようになり3年目ですが、1回目、2回目とも、翌日は別の研究会でしたが、今回初めて2日間とも参加しました。
◆府中の武蔵国府の話や、受領の話など、国府がどう推移し、終わっていくか、というのがひとつのテーマでした。2日目の備後国府を含め。12、13世紀くらいまでのようです。
◆素人的には、地域による差があるのはわかる一方で、なにか共通の経緯みたいなものはないのか、と漠と考えていた。自然消滅ということはないんだろうから、どこかで国庁はじめ国府諸施設を基本的に放棄するということなのだろうから、それはなんで?と。全国的に廃止令があるようなものでないにせよ、守護が置かれるとか、共通する経緯があるんとちゃうんかな、と。
◆それと、中世府中への移行の問題。ぜんぜんわかりませんが、古代的国府はなくなるにしても、国衙の機能もあるのか?とか、中世の府中とはいったいなんやねん?、という基本的な理解がないもので。場所が変わるところはそうとして、古代国府が中世府中に移行しているところも多かろう。武蔵だってそうなわけです。古代国府がいつごろ姿を表すのか、7世紀の後半とか終わりだとして、12世紀まででも500年のなかで地域の中核としての伝統は形成されており、人々の一定集住する都市的な発展も遂げたとして、不連続的に中世府中として再利用されていくのか、なにがしかの機能が続いていて古代的国府遺跡外でそれが継続していて、そこに守護所もくっついてきて、府中として連続していくのか、そのあたりの問題。
◆府中の武蔵国府の話や、受領の話など、国府がどう推移し、終わっていくか、というのがひとつのテーマでした。2日目の備後国府を含め。12、13世紀くらいまでのようです。
◆素人的には、地域による差があるのはわかる一方で、なにか共通の経緯みたいなものはないのか、と漠と考えていた。自然消滅ということはないんだろうから、どこかで国庁はじめ国府諸施設を基本的に放棄するということなのだろうから、それはなんで?と。全国的に廃止令があるようなものでないにせよ、守護が置かれるとか、共通する経緯があるんとちゃうんかな、と。
◆それと、中世府中への移行の問題。ぜんぜんわかりませんが、古代的国府はなくなるにしても、国衙の機能もあるのか?とか、中世の府中とはいったいなんやねん?、という基本的な理解がないもので。場所が変わるところはそうとして、古代国府が中世府中に移行しているところも多かろう。武蔵だってそうなわけです。古代国府がいつごろ姿を表すのか、7世紀の後半とか終わりだとして、12世紀まででも500年のなかで地域の中核としての伝統は形成されており、人々の一定集住する都市的な発展も遂げたとして、不連続的に中世府中として再利用されていくのか、なにがしかの機能が続いていて古代的国府遺跡外でそれが継続していて、そこに守護所もくっついてきて、府中として連続していくのか、そのあたりの問題。
岩屋山のリーフレットがでけた
◆これについては2年前にデータ提供とか、関係機関にお世話になりながら、できていなかったが、文殊院西に続いて仕上がりました。表紙の写真がちょっとボケてて、あれれ。3月中に、もうひとつカラー16頁モノを上げるので、いろんなところに送るのは4月に入ってからですね。
◆国の予算も通ったそうだし、科研は4月1日に結果はわかりますね。通らんもんかな。採択されれば、スタートダッシュで、横口式石槨をばしばし計測してやる!、と思っているのですが。
◆それとこないだ、フォトスキャンのデモを見せてもらいました。画像のマッチング技術はすごいですね。4つキーを叩いたら、3D画像ができる。発掘された葺石がグルグル回ってました。
◆国の予算も通ったそうだし、科研は4月1日に結果はわかりますね。通らんもんかな。採択されれば、スタートダッシュで、横口式石槨をばしばし計測してやる!、と思っているのですが。
◆それとこないだ、フォトスキャンのデモを見せてもらいました。画像のマッチング技術はすごいですね。4つキーを叩いたら、3D画像ができる。発掘された葺石がグルグル回ってました。
3月5日(金)
◆朝早めに行き、午後からの卒論演習(これいまの3回生全員に対する卒論の説明と、各自の構想発表という定例行事)の資料を印刷する。10時からは博学連携の会議。改新シンポⅢのアンケート結果も示された。主な議題は次年度の話だが、既にメタセコイア、真田丸のシンポ、石山本願寺の連続講座、とだいたい固まっている。来年度は、真田丸のシンポでの豊臣大阪城で1本しゃべるくらいかな。とはいえ、これ山里丸でのサウンディング調査を報告しろ、ということで、むろんやらせてもらえるならやるんですが、詰の丸の再発掘の話も1本あり、そっちと一緒にしゃべってもらった方がいいように思い、なにか別ネタをとも思っている。が、まあ戦国期のもちネタがあるわけでもなく・・・。
◆13時から卒論演習。まあなんとか説明する。古代史は多いが、来年は考古は0なのです。氏姓制度とか、対外関係とか、古墳時代にかかわるテーマの人もいるんですが。まあ院生3人(うち修論2)に集中しよう。
◆まあ、へろへろです。明日は条里制・古代都市研究会だし・・・。1月31日に枚方宿に遊びに行って以来、休んでないですね。富山に行ってホタルイカを食ってカラオケをしたいものです。
◆13時から卒論演習。まあなんとか説明する。古代史は多いが、来年は考古は0なのです。氏姓制度とか、対外関係とか、古墳時代にかかわるテーマの人もいるんですが。まあ院生3人(うち修論2)に集中しよう。
◆まあ、へろへろです。明日は条里制・古代都市研究会だし・・・。1月31日に枚方宿に遊びに行って以来、休んでないですね。富山に行ってホタルイカを食ってカラオケをしたいものです。
3月3日ひなまつり
◆ひさしぶりに研究室でと思っていたら、そうか今日は考古の作業日にしていた。上原先生の本をこのところ整理を続けている。あと、書いてませんが、作業をしている301という部屋、昨年、考古の研究展示室としてもらったものですが、なにかと倉庫に押し込めていた資料を、ケースにならべるものはならべ、参考資料は桐の引き出しにいろいろと収納する作業も1ヶ月前くらいにやりまして、なんとなく研究展示室として姿形がそれっぽくなってきています。ひとつの壁のところに収納棚を入れており、ここにコンテナを積む予定ですが、そこに今は本の入った段ボールを置いております。本の整理が片づいたら、整理中のコンテナを搬入したい。
◆午後、大学史移転のWGの会議に出る。0査定が多い中で、なんとか移転費が計上された。が額が1900万が600万・・・。まあ、大学史のいまの機能を移転させる経費への支出が最優先で、展示の費用は、また別途、手当しないといけない、と。とはいえ、金はなくてもできることをやるべし。すこし躊躇していたが、来年度の博物館実習Ⅰでは、大学史の展示を1年かけてやることを宣言してしまいました。大学史、恒藤、そして学内標本の3つ(もひとつ杉本村の古文書)。いよいよ本格的にやらないといけません。すぐ4月が来る。
◆そのあと収蔵庫の話を続ける。どんだけ書架を入れるか、収蔵棚を入れるか、いまある上等のマップケース状のもの5つをどこに配列するか、といったことを具体的に検討する。生活科学部の建築の先生が、設計等を担当しており、いろんな絵を描いてくれている。理学部の先生もメンバー。そのなかで展示部門を担うことになるが、設計側、それと理学部の標本関係など、いまのWGのメンバーとも密に打ち合わせながらやらんといけませんね。
◆そんなんで、4日の第1回卒論演習の準備をやろうと思っていたができず、資料は既存の昨年のままでいくことにする。
◆午後、大学史移転のWGの会議に出る。0査定が多い中で、なんとか移転費が計上された。が額が1900万が600万・・・。まあ、大学史のいまの機能を移転させる経費への支出が最優先で、展示の費用は、また別途、手当しないといけない、と。とはいえ、金はなくてもできることをやるべし。すこし躊躇していたが、来年度の博物館実習Ⅰでは、大学史の展示を1年かけてやることを宣言してしまいました。大学史、恒藤、そして学内標本の3つ(もひとつ杉本村の古文書)。いよいよ本格的にやらないといけません。すぐ4月が来る。
◆そのあと収蔵庫の話を続ける。どんだけ書架を入れるか、収蔵棚を入れるか、いまある上等のマップケース状のもの5つをどこに配列するか、といったことを具体的に検討する。生活科学部の建築の先生が、設計等を担当しており、いろんな絵を描いてくれている。理学部の先生もメンバー。そのなかで展示部門を担うことになるが、設計側、それと理学部の標本関係など、いまのWGのメンバーとも密に打ち合わせながらやらんといけませんね。
◆そんなんで、4日の第1回卒論演習の準備をやろうと思っていたができず、資料は既存の昨年のままでいくことにする。
西都原2015年度(続々)
◆やはり露出展示は難しいですね。100号も再整備。それと171号の現状を見たが(写真)、なかな
かしんどい。両者で状況は違うのだが、171の場合はモグラなんだとか。無数の土が起きた箇所があり、これぜんぶモグラです、とのこと。昨年も生目で地下式の壁がモグラにやられてたのを見たような・・・。あまり近畿ではお目にかからないように思うのですが、そうでもないのでしょうか。
◆豊臣石垣の公開でも、徳川の盛土を剥ぎ取りも劣化は必定だし、地べたにしても地球とつながっている面をそのまま出すのは困難、といった議論をしている。「精巧なつくりもの」が管理上もいいのだろうと話をしている。宇治の太閤堤も、見ていないが、遺構を保護した上にレプリカをのせるようで、作成作業が進めれらていると前に聞いた。
◆そのあと、博物館で、今年度残りで何をやるかと、来年度の調査方針について話し合う。いろいろ過去の報告書をチェックしながら、こうした議論ができたのも有意義でした。最後、博物館の企画展を見る。船がテーマでした。
◆帰り、車で送っていただきましたが、時間帯が時間帯で、空港についてのはけっこうぎり
ぎりでした。伊丹には20時着で、いつも外をみてますが、やっぱり進入路がよくわからないまま、奈良盆地だというのがわかり、平群谷が見え、生駒山系を越え大阪側に入ると、まあ明かりだらけです。「東高野街道」は細く、いまの170は太い。古代の直線官道を楽しみました。
◆まあ、けっこうヘロヘロで。
◆豊臣石垣の公開でも、徳川の盛土を剥ぎ取りも劣化は必定だし、地べたにしても地球とつながっている面をそのまま出すのは困難、といった議論をしている。「精巧なつくりもの」が管理上もいいのだろうと話をしている。宇治の太閤堤も、見ていないが、遺構を保護した上にレプリカをのせるようで、作成作業が進めれらていると前に聞いた。
◆そのあと、博物館で、今年度残りで何をやるかと、来年度の調査方針について話し合う。いろいろ過去の報告書をチェックしながら、こうした議論ができたのも有意義でした。最後、博物館の企画展を見る。船がテーマでした。
◆帰り、車で送っていただきましたが、時間帯が時間帯で、空港についてのはけっこうぎり
◆まあ、けっこうヘロヘロで。
西都原2015年度(続)
◆再整備した100号墳?。発掘中の小型方墳101号墳。そしてメサホの外周溝の調査。昨年に続く265号墳の発掘。現在調査中の3箇所はいずれも実に面白かった。
◆101号は、5世紀前半段階のメサホ・オサホの時期に、ひとつ離れて前期以来の段丘縁辺のところに築かれた小方墳ながら埴輪をもつ。甲冑形、家形、蓋形など、立派。ところが、それが故意に壊され、周溝が埋められているんだとか。う~ん。半分納得。あとは、埴輪を接合して、打ち割られた具体像がわかればきわめて面白い。なぜ壊されたのか?、出過ぎた?。
◆メサホの外周溝は実に面白かった。およそ復元は可能になりつつあり、あとは171号との
取り付き、あるいは陸橋部が明らかになると、宮内庁管理地外での遺構表示が可能となる。写真はメサホの周堤である。実に美しい。だいたい導線からしてメサホ前方部を見ても、なかなかぐるりと西にまわり、オサホ側まで足をのばして見に行くことはないのではないか。かといって東側は、密に杉が生えていて見にくい。西側から見るような環境整備をしてやれば、柵越しにメサホ・オサホとも近づいて見ることができるわけである。そっち側を整備していこうというのは、実にいいことである。
◆265も、二重の周溝になることがほぼはっきりした。確かに松本塚とよく似た、土師ニサ
ンザイか軽里大塚くらいのもの。去年、造り出しを掘っていたことはよく覚えているが、周囲の溝の調査はほとんど忘れていたが、これも俄然面白いですね。メサホ・オサホでドカンといくが、そこまででポシャッたものの、5世紀後半に再び前方後円墳が現れ、しかしそれも続かない。が一方で、前方後円墳でないが円墳や地下式横穴が現れてきて、甲冑ももつと。雄略期に軍事編制に取り込んでいくようなことか、な。
◆101号は、5世紀前半段階のメサホ・オサホの時期に、ひとつ離れて前期以来の段丘縁辺のところに築かれた小方墳ながら埴輪をもつ。甲冑形、家形、蓋形など、立派。ところが、それが故意に壊され、周溝が埋められているんだとか。う~ん。半分納得。あとは、埴輪を接合して、打ち割られた具体像がわかればきわめて面白い。なぜ壊されたのか?、出過ぎた?。
◆メサホの外周溝は実に面白かった。およそ復元は可能になりつつあり、あとは171号との
◆265も、二重の周溝になることがほぼはっきりした。確かに松本塚とよく似た、土師ニサ
西都原2015年度
◆1日は16:55発の飛行機。とても天気良いが寒い。東海道新幹線も混乱したよう。四国の石鎚山あたりか雪がかなり顕著。四国の西海岸あたりも耕地に雪があるように見える。トレースをしていたか、某原稿を書いていたか、忘れたが、あっという間に宮崎。ホテルに入り懇親会に向かう。年1回の楽しい顔合わせである。終了後、いつものように織田薪の釜揚げうどんで占める。九州だと、最初は生ビールでも、あとは焼酎である。部屋にもどってばたっと寝る。
◆4時に目が覚め、のどが渇き、コーラやお茶でアルコールの分解を助ける。シャワー。ちょっと原稿を書くも、眠くなり、起きたら8時前。ひさしぶりに「あさがきた」を見て、朝食。9時前にフロントに。そこから西都原。
◆高千穂もよく見える。もっと連なったように見えるのかと思ったが、手前の高千穂が独立山塊のように姿を現している。
◆4時に目が覚め、のどが渇き、コーラやお茶でアルコールの分解を助ける。シャワー。ちょっと原稿を書くも、眠くなり、起きたら8時前。ひさしぶりに「あさがきた」を見て、朝食。9時前にフロントに。そこから西都原。
◆高千穂もよく見える。もっと連なったように見えるのかと思ったが、手前の高千穂が独立山塊のように姿を現している。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。