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人を幸せにする人になろう

羽曳野市の展示室

◆これは前からあったもの。とはいえ、行ったことがありませんでした。世界遺産に向けて新しくし た、みたいな新聞報道があったので、ついでに寄りました。市役所横から墓山古墳に向かって入っていったところです。何年か前に向墓山古墳の宮内庁の調査を見せてもらったことがありました。で、その南側に資料館こちらですという園路が整備され、入っていくようになっていました。
◆展示室そのものはプレハブ1棟で埴輪がならぶ。しげしげと見たのは、軽里とボケ山と高屋築山(城山)のもの。前2者はとても立派な埴輪で、古市の土師氏が作ったんやろな~と。で、どっちが古く、どっちが新しいのか。軽里の方がタガが△だけどな~、と見ておりました。色も淡い。で、今城塚とかは別系譜なんでしょうね。でそれが日置荘に行くと。安閑は大塚山には葬られず、高屋築山だと。埴輪はきゃしゃで色が赤く、系統がだい ぶ違うわけです。安閑を急遽、築山に葬ったとすると、1mを越える日置荘の埴輪は立てさせないとして、ちっこいやつを急遽作って築山に配置するということはあるんかいな~、と考えておりました。
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LICのところの峯ヶ塚脇の施設

◆27日の水曜日の午前、まあLICのなかの羽曳野市中央図書館に行ったわけです。報告書を探しに。で、峯ヶ塚の脇の建物 をのぞくと、世界遺産のパネルがならんでいました。これ、何の施設かいな。峯ヶ塚のガイダンス施設あるいは古市古墳群のPR施設としてはいいところだと思うが。手前にちょこっと展示ケースが1個、そして広いスペースはこんな風景でした。誰が来るんでしょうかね。
◆峯ヶ塚の金属製品を置いておくことはできないにしろ、ここに行けば、峯ヶ塚の調査成果がひととおり学べる、そんなパネルを配置することは、1週間の仕事でできると思うけど。

まあちょっと

◆いろいろやりたいことはあるが、今日はやめておき、対応できていないことをやろう。最近、優先順位を考えることが、おろそかになって、かなり溜まっている。まわりのみなさんにかなり動いてもらって、懸案もなんとかなって、少し一息ついているが、あれもこれも、まだまだヤマのように仕事がある。大化改新シンポの資料も、あと自分1人だけで、半分は書いたが、これもいましばらく先でもいい。さてと。

1月30日の土曜日

◆いろいろあって、車出勤と電車通勤が交互になった週でした。自宅から河内国分駅は隣ですぐだが、杉本町で下りてから研究室へ行くのがけっこうな作業。朝はまだ気合いでなんとかだが、帰り、22時頃に駅に向かうのはかなり苛酷である。今朝も、研究室にたどりつくのに20分くらいはかかっている。松葉杖はもうやめたが、ニサンザイで雨の中で墳丘を一周していて、途中、傘を閉じて杖にすると楽でした。これからは傘をもつようにしよう。
◆センター試験に変わる新しい入試。複数回はやめる、記述の採点に60日を要するとか、ええかげんやめなはれ。役所がなんか新しい形にして、存在価値や予算をとり続けるために、制度を変えたり、看板を変えたりするのはやめにしてほしい。自分らの生き残りのためやろ。何を考えるべきかは、大学生の質を上げることでしょ。小・中・高一体で、基礎学力の維持を図るにはどうすればいいのかを考えるべきで、入試制度の問題ではない。センター試験の5科目で平均点が最低点になったと報道されたではないか。共通試験は基礎学力をマークシートで測るというのでよく、思考力や記述力は、各大学で2次試験をやってそれを見る、それの何があかんのか。前にグラフを出したように、平均点は下がってきてますよ。ああいう共通試験であっても、点が取れなくなってきているのであって、制度でなく、そのことそのものが問題であることは明らかでしょ。
◆アクティブラーニングというのも、はやりの言葉。それ何?。そんなこと、言われなくても、大学は自発的な学びの場である。教わるところでなく、自分が求めて学ぶ場なのだ。自走する補助をするのが教員の役割。たとえばアクティブラーニングとやらが、教員と履修生の相互の対話を求めるものだとしよう。自分の感覚で言えば、そういう練習や訓練の授業って、実にばかばかしいと思いませんか。そこにディベートといった言葉も入ってくる。議論のための議論はアホらしい。あるいは現実は、「ここのところがよくわからないので、もう一度説明してください」とか、学級会みたいなもんとちゃう?。大学で言えば演習がある。それは専門を通して、自分が勉強・研究しようとする対象があり、そのために調べ物をしたり、一定の分析をもとに自分の主張を発表し、それに対するやりとりこそ、ホンモノのアクティブラーニングなんだろう。そう、ちゃんと専門教育をすること、といえる。

堺市から戻ると

◆10年前に卒業した阪井田耕司君が、婚約者を連れて訪ねてくれました。小一時間ほど、楽しくしゃべる。うれしいですね。縄文の異形石器で卒論を書きました。

ゆえあって鉢伏山西峰

◆原稿がないもんだから、自分で書くほかなく、鉢伏山西峰古墳の紹介文を書くことになる。これ   でもけっこうかかってしまった。ひととおり書き上げて、もうこれでいいんだが、もひとつ調べることが残っている。ま、でも、でけた。その際に作成した図を。
◆ひとつは遺跡分布図。いや勉強になりました。これらの横口式石槨は百済王族なんでしょうね。もうひとつは西峰古墳の墳丘復元図。ほんとは多段だろうと思っているのですが、ミソは下のやつは基壇で、方丘が9尋13.5mということ。まあ石槨は唐尺なので、西峰のやつは省略する。で、この地域の横口式石槨を比較した図を作った。この3種を示しておきます。
◆オーコなどは7世紀前半で(高麗尺)、西峰が650年代で、観音塚はそのあとかな~と思っとります。

ホテイアオイ

◆最後に全景を。今年、みるみるホテイアオイが大増殖し、新聞記事にもなっていた。堺市では除 去作業も進めているという。

で護岸工事の様子

◆昨年度が後円部で、今年が前方部。これだけの護岸工事は、宮内庁としてもはじめてだろう。同 じ300mクラスの前例は、部分的か、分割実施。ぐるりと300mの墳丘護岸 がなされた景観は、かつてもなく、これからもないかもしれない、そんな工事である。
◆施工方法については、昨年も紹介した記憶がある。下に石を敷いて基礎とし、そこに高さ40から50㎝のL字金具を立て、石を充填し、その上にもう一段、こっちの場合は石を積める前に芝の種の入ったシートを貼り、上に重ねる。その上は墳丘斜面を復元するように盛土し芝を貼る。水は下段の石積みのところまで来るという。なので、よく見ると、際は垂直に近い壁となるが、それより上は墳丘斜面を復元したような姿となる。左の写真は、くびれ部位置で、左側が昨年工事され既に芝草が生え、右が今年の施工部分。そのアップが右側です。

土師ニサンザイを見てきました

◆本日は宮内庁の護岸工事をみせてもらう見学会でした。今年が最終年度で、足を引きずりつつ一周しました。
◆堺市による民地部分 の調査も最終年度となり、後円部南側と、後円部背後で検出された橋遺構の堤側の、2箇所を設定して実施中で、あわせて見せていただくことになっておりました。堺市の現場は既に前に見せてもらっていました。かつて墳丘側で7列6間分の柱坑が出ていたものが、堤側でも出るのかどうか、主軸直交方向に長い調査区を設定し、見事に7つの柱坑が検出され、前日の28日に新聞報道もありました。今日は雨で、堺市の現場は閉じており、シートがかけられた状態でしたが、調査事務所の方に来ていただき、説明をいただきました。
◆この柱坑、7列で6間分あるが、柱間が異なっているので、3間分と2間分の2つになるのではないかと思っている。で、おそらく初葬時のもの。こんなん、一度水を入れて、それを再度抜いて、ぐちゃぐちゃの状態で濠底で坑が掘れるか、と思う。追葬時じゃないという意味です。報道提供にむけて、もうちょっと考えたが、あまり確かなこともいえず、基本は上記の認識くらい。本日の写真を挙げておきます。

いやほんまに人さんに助けてもらい

◆今日から電車で通勤しております。鶴橋駅では、目の前を環状線が出て行き、一本あと、とか、時間はかかるが、まあ大丈夫。2限の授業にむかうと、学生が「先生、歩けるようになったんですね」と声をかけてくれる。帰り、本部構内の正門のところで、守衛さんにも「無理せんと」と声をかけてもらう。
◆いや、金曜日の難波宮と大化改新シンポⅢの打ち合わせでも、みなさんのおかげで3回続けてこられ、本番に向けて協力体制ができあががっていく。ありがたいことである。昨日の大歴の委員会でも、企画委員会としてまとめきれなかった今年度の現地見学検討会について、貝塚でセッティングしてくれ、みなさんに助けられてばかりです。
◆今年の目標は「功徳を積む」です。死ぬとき、幸せに死んでいけるよう、これからは「功徳を積む」ことを心がけたいと思います。はい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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