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人を幸せにする人になろう

2015年もあとわずか

◆27日の日曜日、朝9:00研究室。近頃は、土日に車で出勤すると、閉めてある正門を守衛さんが朝 晩開けてくれるようになっている。感謝。
◆さて今日は伏見城の仕事をせねばなりません。ある論文は、昨晩家でやってましたが、なかなか。これも本筋を離れて日本書紀の紀年論をぜんぶ解明してやる、と思っているのですが、そう簡単に落ちません。しかしきっと解けますよ。7末8初の編纂者が智恵を傾けたカラクリは、きっと解けるであろう。
◆飛び込みで入ってきた商業出版本ができたので送られてきた。見ていると、ねらいとはズレているんではないかな・・・、と。いろんな人が陵墓をやってるもんで、そういう研究をひととおり知ることはできるとはいえ、一般の関心は古墳時代にあるのではないか。
◆この本の一部を書いたから、というわけではないが、もうこういう商業出版本は断ろうか、と思う。本来やらねばならないことがある。むろん、講演も含め、こういう機会をもらうことで勉強し、研究が進むことも否定できないが、他律的でない自発性でもって課題に取り組み論文を書くことの方が大事である。それを知ってもらうことも必要ながら、それは自分でなくてもいいわけだ。この年末までに執筆承諾の返事をしないといけないオファーがあり、前に編集者から電話で頼まれたときはOKしたが、すこし躊躇しているものがある。OKと言った以上、これはやるかなと思いつつ、この本をめぐっては別の懸念がある。さてと。
◆今日は、部屋の片付けと、課題の列挙を中心に、年末の仕舞支度をやるというところか。ゆっくりと。
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伊丹着陸直前の虹

◆大阪に帰ってくる日は天気は荒れ目。離陸してしばらくして噴火湾沿いの陸地が見え、渡島半島 にかかり、次は函館が見え、五稜郭が見えた。そのあとはぜんぜんで、次は平群谷だった。で生駒を超えて河内へ。右側だったので古市古墳群は見えず(心合寺山は見えた)、雨も降っていて、窓に雨が横方向に流れる。で新大阪を越えたところで虹が見えたのでパチリ。

翌日は北海道博物館

◆札幌も暖冬で雪は少ないが、それでも松葉杖なので、あちこち出歩くわけにはいかない。娘は2限 の授業があるというので、午前中は北海道博物館に行く。前の名前は開拓記念館。20年近く前に一度行っているはず。が、もしかすると、その時は漆の特別展だけだったのかなと。開拓の厳しさを展示したジオラマなどを見た記憶もあるが、別施設だったのかもしれない。北海道の埋文センターも近くだったが行けず。
◆この博物館90年代はじめにリニューアルしたらしいが、常設展の記憶がないので。で名前も、この時は開拓記念館のままだったが、2000年代に入って北海道博物館になったらしい(今年の4月だそうです!)。ひとわたり歴史展示があり、アイヌ文化のスペースもある。2階の北海道らしさ、という展示は面白かった。通史的なものでなく、展示物や経緯は歴史的たらざるをえないが、諸産業など をとくに取り上げたもの。自然史がもうすこしスペースがあってもよく(別コーナー)、北海道らしさ、のところにも折り合って共存できると思う。自然史系の展示は別施設があるのかもしれない。そもそもこの所在地は広大な自然公園で、そのなかに開拓の村というのがあり、建物などが移築されているようである。そっちにもまた行ってみたいものである。
◆この日24日、娘もとくに予定もないらしく、あるのは20時だかに馬の世話をしに行かないといけないとのこと。昼過ぎに札幌に戻り、駅前で靴とかかばんとか、いろいろ買い物をして16:30から再び呑みに突入しました。この日は和風居酒屋で海産物、日本酒。
◆翌日25日、大阪に戻ってきた。

12月23日から札幌

◆娘は正月帰ってこないという。で息子もそれやったらと卒業研究中なので、そのまま東京にいる と。まあしゃーない。それりゃったらと札幌にこっちから行くことにしました。23日に出て、その日、ホテル近傍のベルギー料理屋で、楽しく呑みました。

実習展続き

◆学生とともに一緒に勉強していると、あれやこれや紹介したくなります。資料の所蔵は大学史資 料室なので、あんまり表にできませんが、いくつか。商大最後の学長は、京大滝川事件で、末川とともに商大に招かれた恒藤恭といいます。末川は文部省や官憲から目を付けられていたようで、京大法学部教授全員が辞表を出しますが、京大総長は末川のは受理して文部省に送り、そのまま辞職します。恒藤は残留組になるが、それはおかしいとほか1名とともに改めて辞職したわけです。その2人を大阪商大が採用するのです。
◆で、1949年新制大阪市大になったとき、恒藤はそのまま学長になり、山根の難波宮調査も支援します。で、恒藤の資料は市大に寄贈されて、いま大学史にあるのです。その恒藤が滝川事件当時に書いた自分の文章や、いろんな新聞記事や人の論評を切り抜いて貼ったスクラップブックがあるのです。そこから1点。
◆で、末川本もあり、滝川事件直後に出版された本が残っています。
◆そして特筆すべきことは、戦後、滝川事件の時のようなことが起こっているのです。これをパネルでは「商大の戦後処理」と呼びました。「大阪商大事件」で追われた教員の復職、その一方で、戦争に協力的だった教員の追放および辞職勧告です。それは学生1000人の集会でも決議されます。商大教授会は、恒藤に判断を一任し、全員が辞表を提出することになります。30数人いた学部の教授らは半分以下になります。その時の教授会決議がそのまま『学報』(大学の「官報」ですね)に掲載されている。

いまの正門と通用門

◆市大の前身である大阪商大は、戦時中に海軍に建物を提供することになり(学徒出陣および勤労 奉仕で大学教育は実質的に停止していた)、そのため9月末和歌山に上陸した米軍は、商大キャンパスも接収する。10月7日以降。1週間で立ち退けとの命令。ちょうどそのころGHQの指令で政治犯・思想犯が釈放され、大阪商大事件関係者も出獄する。
◆で10年かかっているわけです、返還に。なので、どことも1949年に新制大学化し、戦後の教育を再出発する重要な時期に、市大は学部ごとに、市内の旧小学校などに分散していたわけです。難波宮の第1次発掘だってそうですね。大阪市美が基地だったんではないか。文学部の先生はいまの靭公園のとこだったか、違ったかな。
◆まあいい、1952年に、敗戦後7年にしてようやく1部返還。さらに全面返還まで3年。その間、図のようなことになったわけです。旧商大キャンパスは2区間だった。それを越えて米軍は接収。赤の輪郭。1952年に水色部分が返還されたが、まわりは鉄条網があって、米軍の兵舎がならんでいた。これキャンプサカイという名前の駐屯地。
◆でです、商大が杉本に移転したときにできた正門は、どうやら米軍接収時代に撤去されている。で、いま踏切をわたったところにある通用門が、この水色部分のみが大学に戻った時の玄関だったんだ、ということを認識した、という話です。学生等は、そこを入って1号館に向かっていたわけです。ちゃんちゃん。

文系展示はじまる

◆この土日かかりっきりでした。理系は、パワポで、文字と図表の組み合わせを示してくれました が、文系は、文は文、そこにこの写真を入れる、くらいで、具体の組み合わせ、配列を示してくれないもんで。そこはパネルという実際の実物に仕上げるということは、そこまで計算しなければならないわけである。
◆いまのスマホ社会にも何となく通じるような気がする。いまかれらはやりとりはずべてSNSになっていて、情報を共有することはよいことなんだけれど、電子的というか、画面上の世界というか、バーチャルというか、実物に表現する、実物として仕上げる、ということと距離があるように思うわけです。頭の中で、この文にこの写真なんかをくっつけて、というイメージはするけれど、その写真はタテかヨコか、大きさはどのくらいにとか、そういうことをやるには、実際にプリントして打ち出しを見たり、配列してみたりという営為が必要なわけです。
◆まあしかし、昨日の時点でどうなるかと思ったが、本日の午前中を含めて巻き返し(いや~途中印画紙がない!と言われ、買いに走りましたが)、無事、5限の時間を中心に、少しオーバーして18:20にはなりましたが、展示を終えました。ちょこちょこ、手直しも発見され、それを居残りで今日中にやってくれるようです。24日以降、大学に来たくないですからね、今日中にすべてを仕上げる!、と宣言していた通り、なんとかなりました。

いくつかのこと

◆ここ数日で、カミさんと言い合いになったことが2点。ひとつは夫婦別姓の問題。当たり前だが、 選択肢として別でいっこうにかまわないことに賛成なのだが、しかし違憲とされなかった。最高裁の女性裁判官、弁護士出身の男の裁判官は違憲、裁判所あるいは法務省上がりのお役所の人間はすべて合憲ということがすべてを語っていよう。民意のグラフは本日の新聞に出ていた通り。通称で、なんでしたっけ不具合は一定解消されるから、違憲とはいえないというのが結論でしたね。戸籍上は同姓に甘んじよ、通称を名乗ればいいではないか、というもの。そうすることの精神的苦痛が、こうした裁判官には伝わらないのでしょう。我慢しろ、と。もめたのは、これを転換させるにはどうしたらいいのか、という手法の話ですが、詳しくはやめときます。
◆もひとつの、女性が再婚するのに100日間をあけるという規程が残ったことも、あほらしい話である。
◆昨日、八剣伝で呑んでいてもめたのは、なんだったか、もう忘れちまった。脳細胞はここまで衰えてきている。

五代友厚像

◆文学部と商学部の間に設置予定の銅像の基礎工事が始まっている。これはむろん「あさがきた」 なんかより早く、同窓会組織が発案して大学側に求めたもので、大学史室長らは、五代が創設者とはいえない、といった反論をしたのだが、その文章自体は出てこないので論点は不明。私設の大阪商業講習所1880の設立に深くかかわり、これが市大の源流というわけであろう。
◆これが1881府立商業講習所→1885府立大阪商業学校→1889市立大阪商業学校→1901市立大阪高等商業学校(東京と神戸、すなわちいまの一橋大と神戸大とならぶ3つの高等商業学校。高等教育機関への位置付け)→1928大阪商科大学(大学化)となる。
◆ちなみに市大は、1949年に、4つの学校をまとめるとともに、総合大学化したので、源流は大阪商科大学だけでない。工業関係の学校、家政科の学校、そして医学、それぞれの歴史があり、1949年までの発展があり、それら市が管轄する学校をまとめたわけである。むろんそのなかで、戦前から大学だったのが大阪商科大なので、メインストリームといえるが。
◆ちなみに調べていると官公立という言葉が出てくる。いまでいう国公立なわけだが、国家が枢要で「官」なる言葉のもつ重みがあったのでしょうね。官憲とかも。が引っかかるのは「公」の方で、むろん設置者の区別のために、ここでいう「公」には国が入らないという形で識別する必要性はあるのだろうが、国は「公」ではないみたいな気持ちになってしまう。本来はすべて公立で、そのなかに国立と都道府県立と市立がある、というのが現代社会では望ましいのだろう。
◆大学史資料室も、府大と一緒になるとさらにたいへんですね。ちなみに、いま大学史が図書館でやっている大学の歴史の展示は、図書館のなかでももっと東側の広報スペースに移して、いまの展示部分は企画展でまわしていくべきだ、と言っているのですが、そう簡単ではないようです。

さて12月19日

◆橋下市長の勇退。しばらく前には府?自民党の方針変更で、府・市両大学統合案が可決見込み との新聞報道。昨日の教授会でも冒頭おそらくそんな話になったのだろう。頭のところ、博物館実習展でパネルを作っている履修生等の仕事作りで、いなかったが。共通教育をどうするか、教室のキャパとか、そういうことが現実問題では大きいのだろうが、学部教育はそう変わりなく移行できると思うが。いよいよ進んでいくことになろう。
◆このところ気になる新聞記事を見ても、マメに切り取って保存することができていない。数日経って古新聞をめくる気力もない。なので、その時の引っかかりだけで流れていくのはよくない。博物館実習展で、戦前の「大阪商大事件」を勉強させてもらっています。マルクス主義経済学者はどこでも目をつけられていただろうが、自由主義的な考え方、あるいは反戦・厭戦の気風となると、大学によって差はあろう。しかし大阪商科大学では100人くらいの学生がケルングループの運動に参加しているという、そこは客観性が必要であれ、全国の大学でもレジスタンスの隠れた拠点になっていたわけです。しかしやがて特高に目をつけられ、30人くらいが治安維持法違反で検挙され、取り調べを受けた者が60人くらいはその外にいるという。
◆そして戦後、大学から追い出された教員の復帰、当局に協力的だった教員の排除という、大阪商大の戦後処理、これもまた面白い。学生等が集会を開き、ただちに辞職させるべき者3名、辞職勧告する者8名といったことを決め、学長に提出。大きく報道され、影響は大きい。教授会も、GHQそして文部省からの復職させる方の対応とともに、逆に出て行ってもらう者の取り扱いにもおよぶ。こうして大阪商大では半分がいなくなり、新たに若手の研究者を採用し、それは1949年の大阪市大へ移行する。広川先生の言でいくと、戦後、大学の民主化、戦後処理で、ここまでのことをやった大学は、全国的に見ても特筆すべきと。
◆京大法学部はそれはそれで大変だったろうし、滝川事件報復人事が行われたとも。大阪商大では単科大学だったのでそこまでだが、京大でも他学部のなかにはいろんな思想の人がいただろうが、戦後の刷新というのはほとんどなかったのではないか。東大とかは・・・。
◆まあよい。仕事、

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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