人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
いや~すごい!また残念!
◆今日は教授会。11時から教室会議があるので、9時から10時まで久しぶりに現場に赴く。秋晴れの快晴で気持ちいい。埴輪列東北隅部の拡張をやってしまったらという話になっているとのことで、それやったらやってまうか、ということで図面上の推定角の座標を出し、その位置にピンポを立て、それを確保するようにテキトーに拡張区を線引きする。予定通り出てきてくれたようだ。
◆それより土器の集中部ですね。機械掘削後の雨上がり、北辺調査区から上面に出たところで高杯脚部が目に入ったのはずいぶん前。高い部分が引っかかってしまったわけだ。削ってしまったわけではむろんなく、留めるものがなければ望んでも出てこないわけだが、供献土器などが原位置で残っているような箇所が全体に乏しいなか、造り出しとなれば欲しい。ようやく埴輪のなかからタコが出て、また同じような壺が1、2、原位置で見つかってきてやや安心していた。そこに、今日の土器群!。現場にいなかったのが残念でなりません・・・。
◆それと埋葬施設だ。レベルをチェックすると現状で上面から25㎝くらいにしか過ぎない。もっと掘ってきたつもりだったが、黄色粘質土が昨年度は高く残っていたんでしょうね。そこから2スコくらいは掘った記憶がある。が、上面が掘り上がってみればマイナス25㎝だから、十分陥没にともなうものと説明できる。それとより深く埴輪や礫が落ち込んでいる南北ラインこそ、棺の位置。なので、そこに落ち込んでいるものは左右両側にあったものが引きずり込まれているということだ。埋葬施設の内部を掘るつもりはないが、残っている黄色粘質土を除去し、中央に残る陥没状況を示すところまではいきたいもの。
◆それから、昨年、墓坑上の黄色粘質土の埴輪たち。黄色粘質土の上層にもいっぱいあって、それは掘る際に上げ、さらに下部でまとまって出てきたものを残して図面を取ったわけだ。洪水で動いた上で入ってきたものではあるが。で、図面は取ったが、今年度の調査もあるので取り上げずに残しておいた。が、レーダー探査の機械が通るようにせなあかんというので、ある時、取り上げてもらったのだが、大きな破片がまとまってあるというので、念のため図面を取ったんだから、なんでナンバーを振りながら上げなかったのだろうか。アホやね~。
◆陥没坑の遺物、それに準ずるこれらの埴輪片は、もとの位置をおおよそ想定する材料となる。そうか、写真から一定の特定はできるかな。
◆そして須恵器!。時期の特定しやすい器種がさらに出てこないもんだろうか。いずれにしても、供献土器の一端として土師器とともに入っている。
◆埴輪列の角が出て、ひとつまえの記事の写真を見ていると、残りの部分も抜いてしまうべきですね。
◆それより土器の集中部ですね。機械掘削後の雨上がり、北辺調査区から上面に出たところで高杯脚部が目に入ったのはずいぶん前。高い部分が引っかかってしまったわけだ。削ってしまったわけではむろんなく、留めるものがなければ望んでも出てこないわけだが、供献土器などが原位置で残っているような箇所が全体に乏しいなか、造り出しとなれば欲しい。ようやく埴輪のなかからタコが出て、また同じような壺が1、2、原位置で見つかってきてやや安心していた。そこに、今日の土器群!。現場にいなかったのが残念でなりません・・・。
◆それと埋葬施設だ。レベルをチェックすると現状で上面から25㎝くらいにしか過ぎない。もっと掘ってきたつもりだったが、黄色粘質土が昨年度は高く残っていたんでしょうね。そこから2スコくらいは掘った記憶がある。が、上面が掘り上がってみればマイナス25㎝だから、十分陥没にともなうものと説明できる。それとより深く埴輪や礫が落ち込んでいる南北ラインこそ、棺の位置。なので、そこに落ち込んでいるものは左右両側にあったものが引きずり込まれているということだ。埋葬施設の内部を掘るつもりはないが、残っている黄色粘質土を除去し、中央に残る陥没状況を示すところまではいきたいもの。
◆それから、昨年、墓坑上の黄色粘質土の埴輪たち。黄色粘質土の上層にもいっぱいあって、それは掘る際に上げ、さらに下部でまとまって出てきたものを残して図面を取ったわけだ。洪水で動いた上で入ってきたものではあるが。で、図面は取ったが、今年度の調査もあるので取り上げずに残しておいた。が、レーダー探査の機械が通るようにせなあかんというので、ある時、取り上げてもらったのだが、大きな破片がまとまってあるというので、念のため図面を取ったんだから、なんでナンバーを振りながら上げなかったのだろうか。アホやね~。
◆陥没坑の遺物、それに準ずるこれらの埴輪片は、もとの位置をおおよそ想定する材料となる。そうか、写真から一定の特定はできるかな。
◆そして須恵器!。時期の特定しやすい器種がさらに出てこないもんだろうか。いずれにしても、供献土器の一端として土師器とともに入っている。
◆埴輪列の角が出て、ひとつまえの記事の写真を見ていると、残りの部分も抜いてしまうべきですね。
PR
久津川車塚9月11日(金曜日)
◆自分(~1000)、道上、山口、原田、大澤・園原・土谷・木下・安藤、井内(new)+
佐々木 城陽市担当者 橋本清一氏
◆第1Q 前日に引き続き造り出し南西隅の作業。犬走り周辺まで残り少しだが下げていく。こここで終了とする。斜面でも礫の濃密がある。地山の差?。原田・大澤で造り出し上面の家形埴輪集中部分を精査。トゲトゲをもつ囲形埴輪片確認。西区深掘り部で出土したものと似ており同一個体か。埴輪列のすぐ内側なので、破片が西斜面で出土したこととは整合する。北東拡張区の再拡張区を設定。
◆第2Q 園原に上面南端から肩部の精査をしてもらいつつ、ほぼ全員で北区造り出し上面の精査を始める。かぶりを取り除きながら西から東に下がっていく。家形埴輪周辺はそ
れほど破片が溜まっているわけではなさそう。上面南端で鉄の細片が出土。座標を落とし取り上げる。
◆第3Q 午前の続き。西肩部と埴輪周り、北区上面の精査を続ける。新たに土器片がぱらぱら。肩部は根によるヤラレも多いが平らにおさめ、黄色土の高い所をバチで落としていく。久しぶりにサクレ買ってきて食べる。暑い。
◆第1Q 前日に引き続き造り出し南西隅の作業。犬走り周辺まで残り少しだが下げていく。こここで終了とする。斜面でも礫の濃密がある。地山の差?。原田・大澤で造り出し上面の家形埴輪集中部分を精査。トゲトゲをもつ囲形埴輪片確認。西区深掘り部で出土したものと似ており同一個体か。埴輪列のすぐ内側なので、破片が西斜面で出土したこととは整合する。北東拡張区の再拡張区を設定。
◆第2Q 園原に上面南端から肩部の精査をしてもらいつつ、ほぼ全員で北区造り出し上面の精査を始める。かぶりを取り除きながら西から東に下がっていく。家形埴輪周辺はそ
◆第3Q 午前の続き。西肩部と埴輪周り、北区上面の精査を続ける。新たに土器片がぱらぱら。肩部は根によるヤラレも多いが平らにおさめ、黄色土の高い所をバチで落としていく。久しぶりにサクレ買ってきて食べる。暑い。
◆第4Q 北区の南北撹乱溝と東西撹乱溝の交差点付近で土器集中地点を確認する。小型丸底壺、ミニチュア壺、高杯など土器がザックザク。須恵器(!)1点が出土。小型の壺またはハソウの一部と考えられる。土器集中遺構からやや南で小型丸底壺が出土。さらにやや南に籠目土器(=笊形土器)が出土、以前のものと同様厚手。以前の高杯出土地点を含めてほぼ同じ南北ライン上に土器が集中していることが明らかになってきた。
◆再拡張区を黄色粘土部分まで掘り下げ、埴輪を検出。想定埴輪列屈曲部に合致する。現時点では角部の埴輪は未検出だが(ないかも)、北辺・東辺の樹立していると考えられる埴輪が頭を出した。埴輪の養生を強化しシートをかけて作業終了(~1715)。(by道)
【見学者】KS大S氏
◆再拡張区を黄色粘土部分まで掘り下げ、埴輪を検出。想定埴輪列屈曲部に合致する。現時点では角部の埴輪は未検出だが(ないかも)、北辺・東辺の樹立していると考えられる埴輪が頭を出した。埴輪の養生を強化しシートをかけて作業終了(~1715)。(by道)
【見学者】KS大S氏
久津川の調査成果のまとめ
①西造り出しが存在する。規模は長辺(南北)が28m以上、短辺(東西)が西へ13m張り出す長方形で、高さが約3mあり、後円部の墳丘にまたがり設置されている。なお造り出しは、17世紀前半と推定される大谷川の氾濫洪水層により完全に埋没している。
(北辺と後円部の接続部であるくびれ部は来年度調査予定)
②北辺と後円部との接続部、西辺斜面、南辺から前方部への屈曲部の3箇所で葺石を検出した。前方部への屈曲部では、斜面裾部に墳端を示す大型の基底石を配列するとともに、墳裾外にも葺石材と同程度の石材による礫敷をともない、この部位で水鳥形埴輪が3~4体配置されていたと推定される。
③造り出し上面の規模は、長辺20.5m/短辺11.8mであるが、西側長辺が19.5mと約1m短くなる台形状で、推定150本程度の円筒埴輪(朝顔形埴輪を含む)をめぐらす。埴輪列は前方部側(東側)のほぼ中央を境に、北半列を西へずらし、入口を表現する。埴輪列の規模は、埴輪の中心で計測して長辺18m/短辺10mである。造り出し上面に一部で礫敷が残り、後世の開墾等の改変で多くが失われているが本来礫敷であったと推定できる。
④埴輪列内部には、大型品を含む多くの家形埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪・盾形埴輪・靫形埴輪などが配置されており、南半部を中心に造り出し上面や斜面から多くの形象埴輪が出土した。本来の位置はほとんど不明であるが、中央西側の礫敷面で家形埴輪を確認した。次に述べる埋葬施設に対して配置されていた可能性が高い。
⑤造り出し南半部で、南北方向の7.7m×3.5mの長方形の掘り込みを検出し、埋葬施設と考えられる。木棺の陥没にともない凹部ができ、棺の位置では上面の高さから0.5m(適当)下部まで埴輪片が落下し洪水層が入り込んでいる。墓坑の深さは、レーダー探査の結果によれば、上面から1.6m程度(適当)と推測できる。
⑥北半部には埋葬施設はなく、食物供献を表現した籠目土器・小型壺・高杯などの土器片、また食物形土製品が認められ(まだ)、南半部の埋葬に対する儀礼の場であったと推測できる。なお、西斜面から小型の壺とみられる須恵器が出土した。
久津川車塚古墳の史跡整備に向けて、西造り出しの存在とその規模・形状、また前方部側面の墳端が明らかとなった。また、くびれ部に取り付く造り出しに埋葬施設が存在することが特筆できる。儀礼空間である北半部をあわせた長方形の形状に設計されり、造り出しが墳頂部とは別の埋葬空間として利用されたと考えられる。
(北辺と後円部の接続部であるくびれ部は来年度調査予定)
②北辺と後円部との接続部、西辺斜面、南辺から前方部への屈曲部の3箇所で葺石を検出した。前方部への屈曲部では、斜面裾部に墳端を示す大型の基底石を配列するとともに、墳裾外にも葺石材と同程度の石材による礫敷をともない、この部位で水鳥形埴輪が3~4体配置されていたと推定される。
③造り出し上面の規模は、長辺20.5m/短辺11.8mであるが、西側長辺が19.5mと約1m短くなる台形状で、推定150本程度の円筒埴輪(朝顔形埴輪を含む)をめぐらす。埴輪列は前方部側(東側)のほぼ中央を境に、北半列を西へずらし、入口を表現する。埴輪列の規模は、埴輪の中心で計測して長辺18m/短辺10mである。造り出し上面に一部で礫敷が残り、後世の開墾等の改変で多くが失われているが本来礫敷であったと推定できる。
④埴輪列内部には、大型品を含む多くの家形埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪・盾形埴輪・靫形埴輪などが配置されており、南半部を中心に造り出し上面や斜面から多くの形象埴輪が出土した。本来の位置はほとんど不明であるが、中央西側の礫敷面で家形埴輪を確認した。次に述べる埋葬施設に対して配置されていた可能性が高い。
⑤造り出し南半部で、南北方向の7.7m×3.5mの長方形の掘り込みを検出し、埋葬施設と考えられる。木棺の陥没にともない凹部ができ、棺の位置では上面の高さから0.5m(適当)下部まで埴輪片が落下し洪水層が入り込んでいる。墓坑の深さは、レーダー探査の結果によれば、上面から1.6m程度(適当)と推測できる。
⑥北半部には埋葬施設はなく、食物供献を表現した籠目土器・小型壺・高杯などの土器片、また食物形土製品が認められ(まだ)、南半部の埋葬に対する儀礼の場であったと推測できる。なお、西斜面から小型の壺とみられる須恵器が出土した。
久津川車塚古墳の史跡整備に向けて、西造り出しの存在とその規模・形状、また前方部側面の墳端が明らかとなった。また、くびれ部に取り付く造り出しに埋葬施設が存在することが特筆できる。儀礼空間である北半部をあわせた長方形の形状に設計されり、造り出しが墳頂部とは別の埋葬空間として利用されたと考えられる。
久津川車塚9月10日(木曜日)
◆道上、原田、大澤、土谷、木下、安藤/佐々木、城陽市担当者 橋本清一氏/京都平安文化財
◆第1Q 前日までの雨で水浸し。水替えとともに、ぐちゃぐちゃになっていたシートをほぼめくってやり替える。南区の撮影にむけて清掃、造り出し南西隅を全員でやる。
◆第2Q 結構手間がかかる。造り出し斜面と犬走りを整えつつ作業を進める。南西隅には結構汚い土がかぶる。礫は造り出し斜面でも上層に多く、下層(犬走り近く)になると見られなくなる。京都平安文化財の撮影終了。なお、昼に午後の史跡整備委員会に向けて埴輪を出す。
◆第3Q 造り出し南西隅を続ける。第4Q 1500史跡整備委員会。明日まで天気がいいようなので、埴輪を養生して造り出し上面にシートをかけ、その周りはシートをかけず干すことにする。(by道)
◆なお委員のみなさまの質問に答えます。ぜんぶ地山だと思っています。埋葬施設は当初です。
◆第1Q 前日までの雨で水浸し。水替えとともに、ぐちゃぐちゃになっていたシートをほぼめくってやり替える。南区の撮影にむけて清掃、造り出し南西隅を全員でやる。
◆第2Q 結構手間がかかる。造り出し斜面と犬走りを整えつつ作業を進める。南西隅には結構汚い土がかぶる。礫は造り出し斜面でも上層に多く、下層(犬走り近く)になると見られなくなる。京都平安文化財の撮影終了。なお、昼に午後の史跡整備委員会に向けて埴輪を出す。
◆第3Q 造り出し南西隅を続ける。第4Q 1500史跡整備委員会。明日まで天気がいいようなので、埴輪を養生して造り出し上面にシートをかけ、その周りはシートをかけず干すことにする。(by道)
◆なお委員のみなさまの質問に答えます。ぜんぶ地山だと思っています。埋葬施設は当初です。
久津川車塚9月7日(月曜日)
◆道上、山口、土井・土谷・木下・安藤、+佐々木、+京都平安文化財、城陽市担当者
◆
(第1Q)全員で南区の清掃。先週の段階で半分程度仕上がっていたので、葺石中腹から作業を開始する。前日の雨で下はドロドロであり、相変わらず手間と時間がかかる。(第2Q)1100頃までは学生に南区をやってもらい、1100以降は南区と、造出上面の精査に分かれる。中央区の西斜面と上面の肩の境界部分の黄色土、高まりを下げていく作業。前回調査区北端付近まではやはり礫が多く、礫敷きの残存と思われる。(第3Q)午前の作業を引き続き行う。(第4Q)今回の新規調査範囲の西肩はでこぼこか。平面的にさげても黄色粘土が残り、形にそって掘り進めると赤い面がでてくる。大きく穴が空いてしまいそうな部分もあるがそこは平面的に下げ、様子を見ながら整えて
いく作業となる。南区の石はかなりきれいになるが、濡れている現状ではほぼ限界か。
◆明日で肩部の作業はほぼ終了すると思われるので、北区の造出上面、掘り切れていない範囲を精査していく。オルソー画像作成の撮影は、北辺、西斜面、南辺上部は終了するも、清掃が追いつかず、南区深掘り部は明日になる。(by道)
◆
◆明日で肩部の作業はほぼ終了すると思われるので、北区の造出上面、掘り切れていない範囲を精査していく。オルソー画像作成の撮影は、北辺、西斜面、南辺上部は終了するも、清掃が追いつかず、南区深掘り部は明日になる。(by道)
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。