人を幸せにする人になろう

ようやく亀山

◆で、ようやく亀山。午後もかなり時間が経過し、16時に博物館に入る。外は雪が舞い始め、か なり寒い。ノボノの鰭付朝顔形埴輪がある。開館20周年ともらったものにあったので、1994年にできたのだろう。
◆いろんなことをやろうとしていることがわかる。例えば、子供達を意識して、小学生と中学生の学習に対応させて見てもらおうとしている。それと手作り感がよい。そこが鈴鹿の考古博とだいぶ違う。説明しようという意識。それで自分らで作ったパネルがごちゃごちゃあって、逆にすっきり感がないともいえる。むろん、説明を読もうとする人にはいい。全体として好感がとてももてる。これに加え、プロのライターがベストだが、学校の先生でもよい、展示+解説パネルを客観的に評価してもらうようなことをすれば、より洗練されてくるだろう。でも、好みから言えば、自分らで語ろうとパ ネルを作る方が前提で、よりよくす るのは+α。また、すっきりしすぎるのはよくない。
◆井田川茶臼山古墳のパネルも、そうした象徴的なもののひとつ。県の住宅供給公社が、保存協議をしているのに壊したことに抗議している。

まちかど博物館

◆日永郷土資料館というところにあった無料のもろもろのパンフレットをもらい、東海道のガイド マップ500円を購入する。で、この「まちかど博物館」は、三重県が音頭を取ってやっているようだが、とてもいいものである。お酒や醤油や、陶器や、和菓子や、特産品なんでもいい、いままで公開するような性質でなかったものも、この企画に賛成し、博物館として認定を受け、公開施設として見学者を受け入れるもの。東海道筋でもあり、町歩きなどしているあちこちで、こうした施設があれば、ふらりと立ち寄ることができ、話も聞ける。これぞ、エコミュージアムの考え方そのものである。
◆で東海道のガイドマップ、これも便利です。A5冊子で、見開きA4で地図があり、東海道が書いて あり、見所を配置している。立ち寄った日永郷土資料館のところを掲げて おこう。桑名から鈴鹿峠まで、見開き19葉。これをもって、桑名の渡しから歩いてみたいものである。
◆あちこちで「まちかど博物館」のような事業ができれば、日本もずいぶん文化的になるだろう。そして四日市の地場産品売り場で胡麻油を買ったが、地域地域の品物を買い求める文化とともに。

四日市

◆お昼どうしよか、というので、四日市に行く。博物館はリニューアルで閉めているという記憶が あったが、やっぱり閉まってました。3月に開くそうです。
◆東名阪とかいまの1号線を車で抜けてしまうと、東海道は味わえない。東海道を歩いているグループもあり、車で通るのは申し訳なかったのですが、市街地からしばらく旧道を行く。1号線が込んでいて、抜け道で利用する車の量も多く、すいません。本来は歩くべき。
◆で、資料館と銘打つ旧家があったので立ち寄ると、おじさん3人にどうぞどうぞと中へ招き入れられる。なんて言ったか、ここのもとの家が紀州藩のなんとかで、と、そう いう近世文書から、明治以降のもろもろの器具、扇風機やらアンカやら、和文タイプから、最近、こういうの見る機会が多いですな~。須恵器もありました。日永郷土資料館というのだそうである。

1月17日は鈴鹿亀山

◆17日、センター1日目は仕事はやめ出かける。前にノボノへ行ったとき、中途半端な時間で、亀山 の博物館や町なみを見ることができなかったので、そこを選択。
◆で、まず鈴鹿の博物館(1998~)。3度目くらいでしょうか。いま国分寺の整備が進められている。90年代には長者屋敷の発掘もやっていて、国府の所在地が動いているみたいな話を聞いた記憶がかすかにある。河曲郡衙正倉も見つかっているのだ、これは知らなかった。ちょっと展示は?。考古博物館といえばそうなのだが、モノがありキャプションがあり、が地域の歴史を語るという意識が希薄。いま現在の仮設的な姿なのかも知れないが。資料をさわれるようにしてあり、この日もトンボ玉作りのイベントが行われるようで準備が進められていた。
◆それと古代鈴鹿郡といまの鈴鹿市はかなりずれとんのとちゃうかな。市の名前はしゃーないこと ではあるが。調べてみました。鈴鹿郡の鈴鹿郷はまあ関であり、井田川から東がいまの鈴鹿市で、旧鈴鹿郡でも安楽川一帯の北部が鈴鹿市域のようである。でもいまの鈴鹿市の中心部は河曲郡になる。

飛鳥の方墳

◆その金曜日、鶴橋駅のゴミ箱で、飛鳥の方墳の記事の載った新聞を見る。なんじゃそれは、とチェックする。舒明初葬 陵と銘打っている。よくわからんが、年代を特定できる土器が直接あるわけでなく、榛原石を使っていること、それを積み上げている様子が段の塚と共通する、というところが根拠のようである。まあ、板石を積み上げる仕上げ方については、そうかいなとは思うが、平石でもあったんではなかったっけ。蘇我とみる方が理解しやすいだろう。帰ってきて新聞を読み、識者のコメントを見ると、古墳と言い切れないとの見方があり、古墳とみての被葬者像について、やはり舒明陵への疑問も多かった。
◆そう確実な根拠がない中で、特定の見方に絞る必要はない。議論を導くというより、話題性を優先しているのだろう。学校建設前の残存状況、古い空中写真からの復元などなど、いろんなことをやる必要がある。どこまでいま残っていて、掘る余地があるのかどうかはわからないが、追加の確認調査の問題も浮上しよう。まあ、眺めておきましょう。
◆岩屋山が舒明初葬陵ではないかという私説は、平田梅山を起点とする、あの一帯の葬地の性格、岩屋山古墳の内容と年代観から、総合的な状況からすると、そういうこともあるんちゃうか、ということ。ヒストリアに出した地図を挙げておこう。ついでいにいうと、牽牛子塚は崩れて修復している。滑り谷というのも、あそこの谷で、ということはないかな~。

無事、修論も卒論も出て

◆で、大学は論文〆切が年明けなもんだから、忘年会も新年会もなく、〆切の週の終末であった16 日、新年会ということになった。幹事が選んだのは、本町のブラジル料理。卒業生にも声をかけ、総勢13人となる。18:30からで20分前近くに到着し入ると、アジアカップをやっていた。知らないうちに時間が経つ。途中、パンデイロ(タンバリンじゃないんだそうです)を打ったかすかな記憶がある。途中、喜界島にも電話をして。しまった、ちゃんとした記念写真も撮っとくべきでした!。

それで黒江

◆漆器の産業会館みたいなものもあるが、年末年始でぜんぶ閉まっていたが、しばらく散策、けっ こうな町で、平行する小路がいくつもあり、古い家屋がまとまって残っていると ころもある。ここについては、道、すなわち西側は海なのだが、それに対して家屋をやや斜めに振っているのが特徴で、そういう話を前から聞いていたのである。カミさんの通学路が、一画を横切るものだったらしく、むかしそういう話を聞いたということで、それを見たかったわけである。
◆多くの家の前に出してある木の大きな容器は、ぜんぶ漆を整える時のもののよう。再度、資料館が開いている時に見学に行く必要がある。

2日、平福へ。

◆佐用の平福にでかける。以下、ウィキ。

赤茶色の土蔵と川屋敷が建ち並ぶ「川端風景」で有名な旧宿場町・在郷町。秋から冬の朝霧の名所 としても知られる。棚田百選に選ばれた乙大木谷も近い。
 室町時代は赤松氏の拠点で、江戸時代初期に築かれた利神城の城下町を起源とする。 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史は短かったが、陣屋や鳥取藩本陣が置かれる因幡街道最大の宿場町として発展した。また高瀬舟が坂越から千種川を遡って支流の佐用川の当地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛、その1.2kmの区域の300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となった。
 昭和初期まで出雲街道・因幡街道および佐用の中心として繁栄していたが、鉄道が敷設されな かったため衰退しその地位を失った(1994年に漸く智頭急行が開通し平 福駅が設置された)。 往時の面影を伝える旧街道沿いにある連子窓と千本格子を持つ古い家並みと水運で賑わった佐用川沿いの石垣上の川座敷と土蔵群は、1983年に制定された佐用町歴史的環境保存条例の保存区域の指定を受けている。
 1349年、佐用川対岸の利神山(標高373m)に別所敦範が城(利神城)を築く。1578年、羽柴秀吉の中国攻めで山城落城。1601年、池田由之が利神山の利神城を近代城郭へと大改修し、現在の町並みの原型となる城下町の築造を開始する。1605年、利神城竣工。1615年、池田輝興が入封し平福藩が成立する。1631年、池田輝興が赤穂藩に転封し平福藩が廃藩、利神城廃城。1631年-1644年間、旗本松平康朗によって陣屋が建設される。

◆だそうである。この日は雪。歩いていると、旧田住家のところで、いまの持ち主が、地域興しで、貸し会場にし、庭を公開し、お茶も飲めるようにしており、さすがに正月はやっていなかったが、中に案内してくれる。またある一画では、佐用の名所を案内するところがあり、おじさん1人がやっているようで、いろんなチラシやガイドマップ、壁には写真を貼りだし、やっていて、しばらく話をする。

年末年始のこと

◆もう1月も17日、年末年始のこともずいぶん遠くになりにけり。31日は海南市黒江に出かける。こ れについては改めて。1日、加古川へ移動。2日、生石神社に初詣。おみく じは大吉。神社から、印南郡大国郷をながめる。

1月16日

◆本日は考古の呑み会。15時からは研究会。すこし朝、出発が遅れ、まず10時の会議にすべりこむ。11時になり、同僚が別の会議に抜け、声がかかる。なんですか?、博学連携の会議だと。知らんかった。自分のスケジュールのマネージメントもできてません。これで12時過ぎ。いま13時。ほとんど時間がなくなった。
◆明日明後日、センター試験で、2日空いたのだが、やらねばならないことがあるのはわかっているが、さぼりたくなってきた。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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