人を幸せにする人になろう

2011年10月18日岡山市・千足の委員会

◆石障取り出しに向けて、岡山市埋文センター敷地内に石室の大きさに木枠を作り、実際にやるパイプで持ち送337c9bd7.JPGりの石室の安全確保のためのフレームを組み、砂岩製の石障を据え、それを持ち上げ搬出する訓練が続けられている。今日はその見学会。委員の日程があわないので2回に分かれるが、今日が1回目で、新聞記者が数多く取材に来ていた。
◆エアジャッキで少しずつもちあげ、20㎝くらいのところで油圧ジャッキに変え、40㎝程度までさらに持ち上げた上で、ステンの枠をはめ、ゆっくりと水平に寝かせ、石室内で90度回転させ、玄門部から取り出す。現状変更の許可が出ると、ただちに取りかかり、搬出は12月だそうだ。
◆なかなかよく考えられている。ただ、オレは若狭向山で、落ちそうになった玄門のなんとか石を(そんな大きなモノではない)、1人だったか2人だったか、動かして下ろそうとしたら、手の中で砂岩が崩壊し崩れ去った経験をもつ。風化した砂岩は怖い。できれば石障下部に長さいっぱいの金具が差し込めないのか検討できないかと最後に発言。既に治具もできあがり訓練をしているところ、イランことを言ったかもしれない。
◆田中哲雄さんと一緒。これから盛岡で、青森にまわり、北海道もと言ったか、そして秋田、ずうっと行脚だそうな。お忙しいことである。田中さんとは千足の会議で久しぶりに会えた。奈文研の先輩だが、就職したときは文化庁で、オレが文化庁に行っている途中で山形に出たのだったか・・・。違うかな・・・。そんなに重なってはいないが、お人柄ですね、親しく話ができることがウレシイ。

2011年10月14日城陽市の委員会

◆大雨。学研都市線に乗り、新田辺、近鉄に乗り換え、新田辺から寺田まで。整備事業が進行している。今年度から本体に取りかかる予定だが、震災の影響で補助金の交付決定がずれ込み、実際にはこれからのため、残り期間でできる事業内容に組み替えるそうだ。事業をする側としては、たいへん困ったことだが、それも仕方ないか。
◆ま、いろいろと細かい点も含めて議論ができ、いい会議だったと思う。いちばん元気なのが、委員長の樋口隆康先生。前方後方墳とできるだけわかるよう、前方部がわずかに残存する部位の遺構表示について注文をつけるなど、いつになく意見を出されていた。便益施設の位置を変えることになりそうだが、丘陵裾部でやや切り込む形になるようだが、湿気を帯びやすいことは注意すべきであろう。
◆4m×3mの旧地形模型を作ることになっている。でかいもんである。また金がかかる。焼き物か金属製か、焼き物は継ぎ目ができるのと、堅固なものをぶつけられるとやはり破損したりするのだそうだ。金属製かな。金属製といっても、シルバーとかのキンキンではなく、いまは着色できたりして、屋外での耐久性にすぐれるとともに、模型としてキレイなものができるようだ。金をかけるのだから、せっかくだし、是非、すぐれものの模型を作ってもらいたいもの。

大坂城天守閣横の貯水池(記事№900)

◆10月07日、ふだん入れない貯水池に立ち入る。60万人の上水をここから供給しているんだとか。桜宮からポ78e1d824.JPGンプアップして上町台地のトップにため、西側に供給するのだそうだ。この下に豊臣の天守閣があるんだけどね~。
 

2011年10月03日京丹後市

◆網野銚子山古墳の整備基本計画をまとめる会議。ずいぶんと下草刈りなどが定期的に行われるようになり、旧網野町時代の基本構想策定時に訪れたときよりも、すこぶる見やすくなっている。前方部側面に降り立つと、テラス面が見通せるようになり、確かに明確なテラス面がくびれ部で不明瞭になる様子が見て取れる。
◆会議では、いまは丹後町資料館長になっておられる三浦到さんが座長。前方部前面を発掘すべきとの意見。
◆帰ってきて、見解のペーパーを1枚まとめ、岡林さんに送っておいた。デジカメを忘れたのが失敗。きれいな墳丘の様子をお伝えできないのが残念。天気も良く、日本海もすこぶる美しかった。
◆当日は、早めに行き、湧田山古墳を見る。これ、かなり古いとする意見があるようだが、纒向型とはちがうんちゃう。地形の制約をうけるが、墳丘はちゃんとしている。葺石はないが、テラスを設け、きちんと作っている。ロクロセとかテグリガみたいに、尾根にあわせての成形だが、よくできたものだと思う。100mあまりだが、史跡指定はしぶられているという。湧田山・網野・神明山・黒部+産土山で群指定すれば、前期の丹後の隆盛を示すモノとして、200m・200m・100m・100mという、とんでもない内容をもつものとして、何ら問題ないと思うが・・・。
◆杉原和雄さんとは、城陽とこの会議でご一緒する。この日、書かれたものの抜き刷りを4ついただく、帰りに見ていると、展示物の写真をできるだけ自由に撮らせるようにせよという提言、オレの主張とまったく同じことが書いてあり、まったく同感。

「じゃばら」って知ってますか

◆紀ノ川SAで食事をしたときに飲んでみました。さっぱりとしたモノです。さわやか系。0fecff3c.JPG

番所庭園―台場跡

◆前に楠葉台場で現地見学検討会をやり、『ヒストリア』での特集の時、企画委員で分担して近畿地方の台場をaf3e3bf1.JPGe385a6e0.JPG紹介した。その時に、この番所の鼻(岬のとっさきを鼻というらしい)のことを知り、県博の絵図の掲載のことで、ちょっとゴタゴタした記憶がある、むろんちゃんと掲載許可を取った。
◆で、講座の修了後、そこへ行くことにする。完全に民間、個人が岬を庭園にしたもの。かつて台場の建物がめぐっていたようなところには説明看板を立ててある。若干、土塁状の高まりなどに台場跡の痕跡が残っているのかもしれない。なんかそういう文章があったように記憶する。文化財の側から言えば、遺構に即した部分を組み込んでほしいが、和歌1f308113.JPG山市が史跡整備をしているわけでないのでいたしかたなし。こうした岬のとっさきを個人が所有し、公園にして観光地とするに至る経緯がなにかあるんだろうが、頑張ってやっているようだし、夕刻だったが、そこそこ観光客がいる。景色をながめるだけでも、人をひきつける魅力はある。岩場の結晶片岸の路頭もまた見応えがある。
◆和歌山藩は異国船の接近に対し、早くに海防に取り組み、各所に台場を築いたことを『ヒストリア』の特集の時に学ぶ。遺跡としてよく残っているところはどこなんだろう。どこか、そういうところを選んで、幕末の台場を示すような史跡整備をしたらいいのにと思う。既にあるのかもしれないが、よく知らない。県博でも市博でもそうした企画展をやり、和歌山県下の台場跡をまとめた図録を作ってくれたら、基本的文献になると思うのだが。
【追記】風土記の丘の展示にも行きたかったが、それはまた次回・・・。
 

和歌山市立博物館

◆このところ不眠症気味。ブログを書く気力もない。土曜日は卒論中間発表会。なんとか考古の発表者を立7d90d409.jpgてる。日曜日、よみうり和歌山文化センターの講座。カミさんと和歌山にでかける。
◆車だと自宅から阪和道で50分くらいだった。早く着いたので、資料を渡し、和歌山市の博物館に行く。前に大谷古墳の遺物をならべる特別展で行った記憶がある。南海の和歌山市駅から歩いた。久しぶりである。岩橋千塚の天王塚の実大模型がある。大谷古墳の遺物はあんまり常設にはならんでいない。複製が多い。保存上の問題なんでしょうか。目玉なのに、常設でぜんぶ並べたらいいのに。これ目当てで来る人も多いだろうに。スペースの問題か。楠見遺跡の陶質土器?須恵器がならぶ。これって遺跡の性格は?窯があってもおかしくないか?あんまりふれられていない。ひととおり見たけれど、たとえば西庄の製塩なども組み込むべきですよね。民俗資料などを含め、普通の歴史民俗資料の展示である。以下HP。

◆和歌山市立博物館は、天正13年(1585)に和歌山城が築城され、城下町和歌山が拓かれてから、ちょうど400年目にあたる昭和60年(1985)11月に開館いたしました。本館は、郷土和歌山の歴史・文化遺産に関する市民の理解と認識を深め、教育・文化の発展に寄与することを目的とした歴史系博物館です。

◆開館から25年過ぎ、リニューアルしてほしいものだ。ニッッセイの例の図録は、前に1a649706.JPG行ったときに買ったのだろう、もっているが、館として作ったものはない?。古い写真の図録3冊を買った。ああいう古い写真を見るのが好きである。ああいう写真、エントランスとか、壁があるところを使ってどんどん配列すればいいのに。展示室のみがディスプレイ空間ではない。
◆で、12:50に出て、JR和歌山駅近くの文化センターに向かおうとするが、市民会館で催し物があり、それがちょうど終わったところのようで、駐車場の出口が列をなし、奥の駐車場からも車がどんどん入ってきて、結局、出るのに20~25分を費やし、文化センター会場に到着したのはギリギリ5分前であった。
 

競争原理

0096f723.JPG◆大阪市長選ならびに同時になりそうな大阪府知事選は、大阪市立大学にも大きな影響をあたえることになるだろう。選挙の論点はいくつもあり、全国的にも注目され、新聞にも識者の見解を紹介する記事が連載されている。
◆教育基本条例に関する記事をひとつ。カミさんが是非、載せておけ、と。公教育はエリート養成ではイカンというのは前から書いている通りだが、カミさん曰く、世の中のほとんどはエリートではなく、大企業よりはるかに多くの町工場が産業を支えているように、ふつうの人々がこの世を支えているのである。橋下のように司法試験に通って弁護士になるようなエリートだけでこの世が成り立っているわけではない。エリート教育は選別の力が働き、できるヤツはほっときゃいいのにさらにちやほやされ、一方で多量の切り捨てがむしろ進むのではないか。戦後の日本は、相対的には、かなりの水準の教育をなしとげてきたし、それによって、こんな狭い資源もない国が産業を支え経済的な発展もとげてきたのである。そうしたあり方を維持し、さらに底上げすることこそ重要であって、経済的格差を是正し、一人一人にむきあい学力を身につけさせ、一人一人が社会の一員として働く社会を再生産し続けることこそ、日本の将来にとって重要なのである。
 

なにかと

◆10月8日、祭り日和。朝から晩まで、大阪歴史学会の仕事でほぼ終わる。学内の重要な仕事があり、今日はできなかったが、また明日、頑張ろう。金曜日、いろいろあった。みなさんに支えられて生きている、ありがたさが身にしみる。オレがそれに応えなければならん。
◆明日、また頑張るのみ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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