人を幸せにする人になろう

豊臣期の石垣

◆1959年の総合調査の際に見つかった石垣は、埋め戻さずにのぞき込めるようになっているのだ。そんなん、c925bff7.JPGダアレも知りませんよ。実は、今日も人混みで混雑する大阪城c50885bc.JPG天守閣前の「広場」(天守閣の入場料600円*1000人として=60万円、すごいわ)、円筒形の井戸状のものに蓋をしてある。それがそうなのだ。通常は鍵がかかっている。それを開けてもらったわけだ。
◆もう一箇所は、水道管埋設のために、貯水場と御金蔵の間で見つかった、櫓の角の石垣。これは埋めてある。だが、なんの看板もない。むろん遺構表示もない。徳川期において、南の御殿と異なり、東側(いまも現役の貯水場がある)は空閑地であるようなので、発掘調査で、豊臣期の石垣の頭を1m分くらい露出させたような遺構表示は可能だと思う(むろん、上層で徳川期の遺構がないのが前提)。もったいない。
◆さらに、この貯水場のある、いまの本丸の東北が、豊臣期の天守台に相当する。明治28年にできた貯水場は、近代化遺産相当らしいし、なによりも今も現役なんだが、豊臣期の天守閣の価値と比べると、どうなんでしょうね。あの場所がすっかり使えるなら、面的に豊臣期の天守閣を発掘し、見せることができるはずである。で、その貯水場の北と東で、ボーリングで地下の石垣があたっているらしく、そのうちの1箇251a3b4c.JPG所は、やはりコンクリートの筒を入れて、のぞけるように保存してある。これ、1959年の石垣のようにきれいに積み上がったものではなく、天守台の北の石垣そのものかどうかはわからんようだが、これなんぞも、ダアレも知っちゃいない。
◆まず、1959年の石垣は、いまある鉄格子でもいいし、モノを落とさないようガラス張りにするかなんかして、常時、見せればいいのだ。それだけ。安全対策をしてただちに公開すべし。
 

市大・大阪城プロジェクト

◆8月13日、朝9時天守閣前集合、起きたら8:30、あちゃ~。車で飛ばすと、法円坂出口までほぼ30分で行く80e53a0c.jpgが、そこから大手門を抜けて天守閣まで行くのに時間がかかり、約20分の遅刻。天守閣の入り口では、ミストを噴霧していた。気持ちいいモンですね。
◆メンツは、大阪市大・文の仁木先生(研究代表)、生活科学・谷直樹先生、それと理学部の地質専門のみなさん、松尾館長、そして大阪市のユトミド・観光室の合田さんほか。
◆具体的な調査の打ち合わせ兼、現地確認。現地はやはりよかった。どこがどうなっとるのか、よくわかる。ただやはり、データは散漫で、いろいろ統合して、いままでどこまでわかっているか、わかりやすいものを作らなければ、先に進まない。今年度の研究の半分はこれに充てるべし。
◆で、天守閣の模型はよかった。撮影禁止だが館長の許可をもらって撮影。勝手に使っては悪いが、使わせてもらおう。豊臣大阪城はよくわからんが、いちばんいまイメージできるのは、この模型。立体構造物としての把握は、この模型がいちばんである。この模型をレーザースキャンすることを、今日、考えた。今後、調査をする上で、この模型のデジタルデータと、それにもとづく3次元画像があれば、調査成果が上がったときに大いに参考になる。そもそも調査をする際に、予想することが可能になるから、ちょっと金をかけてもいいのではないかと思った次第です。
◆模型の写真、勝手なアップ、すいません。怒られたら除去します。だが、古文書や絵はしゃーないけど、こんな模型など、撮影禁止にする必要はまったくない。前からそうだったからそうしているだけ。ではなぜダメなんだろう、なぜダメということにしているんだろう、と考えて欲しいものだ。前にも書いたが、「写真を撮ってください。秀吉が築き、大阪の陣で焼け落ちたのは、この城なんです」、くらいのことをやればいいのだ。
 

京大の鏡

◆京大のみなさんのご配慮で、博物館蔵ではない鏡8面分の撮影が実現した。阪口君にはたいへんお世話になった。京大はオープンキャンパスで、高校生たちが博物館にも押し寄せていた。
◆文学部博物館から総合博物館になったのは、だいぶ前。実は、総合博物館の展示は見ていないのである。撮影場所は、かつての文学部博物館4階の考古学研究室だった。
◆松岳山の鏡の破片2~3点、もう1点薄い青銅器片があるが、鏡かどうかはわからん。で、小片2点は省略。まあええでしょう、あんな破片は。で厚みのある2点だが、錆でぼろぼろであるが、はじめて観察する機会をえた。うち、1点は確実に三角縁神獣鏡でしょう。鈕が脱落し、有節重弧文がめぐり、その外に傘松形文様がある。表現2かもな~。同笵関係をチェックしてみよう、わかるかもしれない(やったけどわからんかった)。もう1点は、内区外周の破片で、界圏鋸歯文があり、銘文?があり、櫛歯文がある。先のものと同一個体かどうかはわからんが、可能性はあろう。これは収穫でした。

津堂城山の図、ひとまずこれで

◆津堂の図、前と変わらないのですが、周囲に等高線を入れてもらいました。周堤や外濠部などをさらに測量し7df604c4.jpgようとすると、さらに経費がかかるのですが、どこまで有効か、つまり高低差がある程度出るかどうかを見極めて、考えてみることにします。
◆で、キャドで作成されたデータを、そのままイラレにしてもらったのですが、バージョンの問題もあり、うまくいかなかったりしましたが、ようやく互換性あるデータとなりました。等高線は20㎝間隔で描いてありましたが、25㎝間隔のも作ってもらいました。前にも書いたとおり、これでイラレ上で、自由に線描の加工ができることになりました。前から準備していたリーフレットの作成に進みます。

同成社の挿図がやっとこさ、できる

aae4c76e.jpg◆第1巻総論の「古墳の編年」を仰せつかっている。その挿図だが、なかなか大変でした。今日、初校も返した。第1回配本で、原稿提出で既に迷惑をかけている。読み返すと、気になるところもあるが、まあ自分の力量の範囲でしかできない。
◆次は第4巻の三角縁神獣鏡の原稿だが、まあ秋になってから・・・。
 

好太王碑

◆大阪経済法科大学に好太王碑のレプリカを見に行く。オープンキャンパスが終わったあとのようだった。なんでc961eee4.JPGこんなモンがあるんでしょうね。
◆またまた愛宕塚古墳に行く。八尾の資料館で、出土遺物を含めた報告書があるのを知る。現地に行き、学生にその大きさを体感してもらう。蚊の集中砲火を浴びる。墳丘は草を刈ったばかりのようで、上に登る。河内平野を見渡すことができ、いい場所にある。これはいったい誰の墓なんでしょうね。
 

八尾の資料館と心合寺山

◆それから八尾の資料館。何度か行ってますが改めて展示を見る。ここはもう少しスペースが欲しいですね。河内のba07642c.JPG木綿栽培と藍染めが一方のウリで、2階はその体験室だが、1階の展示部分、八6f62b881.JPG尾も数々の発掘をしているし、東大阪の博物館のように、ひととおり八尾の歴史を示すような展示ができればいいのだけれど、面積が限られている。久宝寺や八尾の寺内町に行けば、またそこはそこで展示施設があるのかもしれない。心合寺山の展示館を含めて、各所各所に必要なものを配置していくという考え方なのかもしれない。
◆それはそれで結構だが、現地と結びついた施設とは別に、八尾の歴史を通しで勉強できるところがあってもいいだろう。たとえばプリズムホールなど、近鉄八尾駅前のどこかとか。
◆写真は心合寺山の展示館のパネル。また季節のいいときに高安古墳群をめぐりたいものだ。なかなか工夫されたいいパネルがある。ここは指定管理だが、女性がきめ細かく施設を飾ったりしている様子がよい。あんまりこういう言い方はよくないかもしれないけれども、どこかの引っ越し会社の「心遣いが細かく社長さんは女性に違いない」というコマーシャルではないが、こうした施設を維持していくには、地元の女性を中心とする団体が確かにふさわしいかも、というようなことを考えていた。実によく整いきれいにしてあり、見学者の親子連れに対応している様子もほほえましかった。
 

安中新田会所植田家住宅

◆鴻池は行ったことないんですけど(一度行ったんですが閉まっていた)、八尾の安中新田会所に行きました。きれいになり、建物を開放し、ギャラリーのようなものも設け、工夫してある。6891e38c.JPGce697966.JPG127ecf3e.JPG

渋川神社

◆渋川神社は八尾市植松町にあり、 若江郡の式内社。祭神は、天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、a79ada4e.jpg菅原大神を祭神としている。物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧f7cf637e.JPG大和川の東側の字川向にあったが、天文3年(1533年)の大洪水で境内全域を流失。 その後元亀2年(1572年)、お旅所のあった現在地に再建された。【ウィキ】
◆これとは別に渋川天神社というのがあり、渋川廃寺があるらしいですね。で、寺院が見つかっていることから、物部氏が廃仏派というのに疑問が投げかけられている、みたいなことがネットにありますが、寺跡は7世紀第2四半期だそうで、別にええんとちゃうの。
 

大阪府下市町村の規模

◆大阪市253万人/堺市83万人/東大阪市48万人/枚方市40万人/豊中市39万人/高槻市35万人/吹田市34万人/茨木市27万人/八尾市26万人/寝屋川市23万人/岸和田市20万人/和泉市18万人、だそうである。
◆これ、むろん人口のみナラズ、予算規模も調べた、うちの教育費も調べた。そうすると、市民ひとりあたりナンボかけているか、というのも出てくるわけである。大阪府がそうした統計データを公表してくれているので、そういう計算もした。が、結果は発表しないでおく。あまりにも、ある市が問題があるので。要するに、人口は多いのに、市民税が他の市町村にくらべて圧倒的に少ないんだろう。格差は歴然とある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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