人を幸せにする人になろう

眼鏡は不便です・・・

◆なくした老眼鏡をもう一度作り、今度は紐をつけている(別になくしたのは紐がなかったからではない)。これ、眼鏡屋の推薦もあって、近・近というヤツ。老眼鏡なのだが、レンズの下が度がきつく本を読むため、半ばから上がパソコン用となっている。
◆前に作った時もうそうして、秋になくす前まで使ってみて、オレのような怠惰な人間にとっては、着けたりはずしたりするのがメンドクサイので、再び作るときに、上はダテ眼鏡にした方がいいのではないかと相談したのだけれど、目に悪いとかなんとかいわれて、そのままとした。
◆本を読むときに、ウルトラセブンのように老眼鏡をかけると集中しているような気持ちにはなる。一方で、なにか視野が狭くなっているような気がする。ほんとの視野のみならず、思考の幅という意味だ。で、着けたりはずしたりするのがめんどう。またメンドウなので、着けたまま廊下をうろうろしていると、遠くから歩いてくる人の顔がわからないのだ。日常生活は、裸眼で1.5はあり、まったく眼鏡なしで支障はなく、むしろ遠くなどは人よりもよく見える。だが、研究室でなんかやっていて眼鏡をつけて、そのまま外に行くと、そんなことにもなる。
◆なにか、大きな問題を考えたりするには眼鏡がない方がよいように思うのだが、でなにかメモを作ろうとパソコンに向かうとなると、とたんに眼鏡がいる。そうすると特定のことについて、いま目の前のことについては集中できるような気になるのだが、いろんな課題がおろそかになるような・・・。眼鏡は不便である。

イクシーが新しくなる

◆前のイクシーを息子に取られたので、新しく買うことにする。そんな高機能でなくていいので、カタログを見ていると、4種類出ていたが、いちばん機能的には低いものにした。ごっついズームや、フルハイビジョン動画なんて必要ない。それでも前のより画素数なんかはいいんだろう(たぶん)。1万2000円。安くなりましたね。SDカードやUSBメモリなども。
◆で、堺市の履中陵陪塚、寺山南山の調査指導の現場で、初デビューを果たした。だが、シャッターを切ろうとすると、カードが異常ですという表示が出る。あきらめかけたが、SDカードを抜いて再セットしたら、なんとか撮影できた。マシンも薄くなり、また軽い。
◆さてと、補講をしたもんだから、先週水曜日に授業の定期試験が2つあり、答案の束が2つある。が、卒論・修論を読むのが優先。試問が終わったので、答案の採点にかからなければいけないが、成績の〆切は今週である。通常よりも試験が1週間ずれているのでこうなる。
◆ともかくも、今週は、火・水が試問、両日、朝から晩まで。で、木・金が大学院入試。自分の授業の答案の採点もして、明日・金曜日に成績票をすべて提出し、院試も終われば、ホット一息である。

試問が終わって歴史の教員で呑む

◆2011年02月16日。毎年、恒例。実質、みなが集まって呑むのは、この1回。杉本町のいわし亭。西洋史にドイツ史の先生が2年前に着任し、昨年は東洋史にインド史の先生が着任し、この日の飲み会では、英語の話やら、イギリス人、フランス人、アメリカ人、インド人、中国人の話やら。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。

堺市の百舌鳥古墳群の会議

◆2011年2月17日、堺市の会議。宮川先生、一瀬さん、大阪府の小浜君と一緒。これまでも多くのトレンチ調査が894ac88d.JPGなされてきたが、伐採もやり、今回、まとまった墳丘調査が行われ、いくつもの成果がえられている。内容は、このあとの報道発表もあるので、差し控える。
◆講演会のチラシをもらったので掲げておく。

どう思いますか(記事ナンバー600)

◆前に少し書いたことがあるかも。レポートを課すと、ネットからコピペしてくる。ネットの文章の間違った「てにを9ab900c7.JPGは」や誤字なども、そのままでビックリした記憶がある。なので、もうレポートは出さない。すべて筆記試験。1時間半、答案を書くことはいいことだと思っている。
◆チラシが入っていて、学生のレポートのコピペ度判定ソフトというのを、ご苦労なことに開発したのだという。あきれるしかない。

ミュシャ展と自転車博物館

◆02月〓日、カミさんと娘がミュシャ展に行くというので堺市博物館まで送っていく。堺市が寄贈を受け、まとまったコレクションが41b097d4.JPGあるらしい。
f7799c16.JPGそのあと、前から行きたかった自転車博物館に行ったんだとさ。これがとても面白いそうだ。堺市にある自転車部品メーカーであるシマノが作ったもので、同じ大仙公園内にある。

口頭試問の準備

◆修論8本、「蝦夷との38年戦争」、「戦国期城下町と変容」、「古代の軍制」、「能登・畠山氏の研究」、考古「古代の集落論」、「戦国期・織豊期の近江での流通」、「織田政権の領国統治」、「若狭の中世寺院」。
◆卒論7本、「隼人の話」、「古代のヌヒ」、「任那復興」、考古「日本刀」、「中世スカンジナビアの都市」、「大阪の特定の町の近代史」、「京都における銀の貨幣化」。
◆卒論を終えて、修論にかかるが、みな力作なので、ひととおり読むのも時間がかかる(カッコはむろん正式な題目ではありません)。読んでから、試問で聞いてみることを考える。むろん議論に即した疑義や確認もあるし、本質的なとらえ方を問うもの、取り扱っている時期の前後とのつながりなど、限られた時間のなかで聞いておきたいことを考える。
◆市大の日本史の1人の教員として担当はこんなところだ。修論は副査でなくても全員分読む。卒論は日本史コース12人分+2部4本だが、うち7本が担当(世界史1本含む)。ほかのところのことは知らないが、うちの場合、こんなです。
◆これって勉強になりますよ。のちのち役に立ちそうなものは副本を取ってある。このへんは考古で複数教員がいて、考古の論文ばっかり読んでいるのとは違う。自ずから指向性が違ってくるでしょ。むろん、ふだんから学部の演習や大学院の演習でも、古代史や中世史などのことを、学生の発表から学んでいる。これが性にあっているというか、楽しいわけである。

倭国は卑弥呼共立にはじまる

◆どうなんでしょうね。神武天皇を打破するためには、初代倭王は卑弥呼だ、ということが教科書に載るところまでいかなきゃならんのでしょう。神武が橿原宮で即位したというフィクションを、みな信じちゃいないが、日本の国民に対し、戦争の持続を回避するために卑弥呼を共立することで国が生まれたんだ、ということをハッキリさせないといけない。ハッキリしているんだが、それがキッチリ、シャーシャーと、淡々と明記されるべきであろう。第2代も女王なんだよと。
◆それは遠からず可能かもしれない。そうすると、2月11日の建国記念の日は見直さざるをえない。そんなことはどうでもいい、という立場もありうるが、考古学をやっている者としては、戦うべき課題ではないだろうか。

2.11集会で高木さんの話を聞く

◆この日、今年は雪となりました。去年も書いたが、このところ、毎年、2.11集会へ行っている。谷町9丁目で地2c57cf2d.jpg上に上がると、たいへん寒かった。今年は高木博志さんの陵墓の話であった。鈴木良さんも来ておられた。220名と、昨年に比べると少ないが、これはきっと雪のせいであろう。
◆白石先生は、記紀と延喜式の陵墓に関する記載をそのまま信用することはできないとする。その理由は、百舌鳥に陵を造営したことになっているのが仁徳・履中・反正であり、それにふさわしいのがミサンザイ・大仙・ニサンザイだと。考古学的に判明する築造順序にしたがって、仁徳・履中・反正をあてることはできる。だが、古市古墳群を加えてみると、仲津山(古市)→ミサンザイ(百舌鳥)=仁徳誉田御廟山(古市)→大仙(百舌鳥)=履中→ニサンザイ(百舌鳥)=反正となる。応神→仁徳履中反正→允恭という王統譜からすると、御廟山にあてうる王はいないことになる。大王陵の築造順序はほぼ間違いないから、それからすると、百舌鳥および古市となっている、記紀や延喜式の陵名の記載に(帝記的な事項であるが)問題があると考えざるをえない、というもの。
◆これを紹介するのは、誉田御廟山は反正陵で大仙は允恭陵だと自分は主張しているわけだが、反正陵が百舌鳥とされ、允恭陵が古市とされていることと矛盾することについて、そうはいっても陵名が怪しいんだよ、だからありうるという傍証にしたいためである(ちなみに、『ヒストリア』には書かなかったかもしれないが、允恭が茅渟宮を造営し、しばしば日根野に猟遊したという記事から、允恭は和泉と関係が深いといえると思っている)。
◆白石先生は691年に陵墓守護の詔を持統が出すが、このときに陵墓の比定がなされたのであろうという。いずれにしても、白石先生の考証は、これはこれで説得的だと思う。
◆ただし白石先生は、最近では、須恵器の年代遡上で、御廟山が正しく応神陵でもいいんではと発言している。そうなると、仁徳=大仙、履中=ニサンザイ?、反正=?、允恭=市野山となり、反正陵にあてうるものがなくなるが、先の話で御廟山が浮いてしまうというようなことはない。これまた5世紀の年代観次第か・・・。
◆しかし、馬具の年代観その他から、中期のはじめが4世紀後半に大きく食い込むという見方については慎重であるべきだと考えている。そして、河内政権の始祖である応神の陵とみなしうるという御廟山の前に、津堂城山-仲津山-ミザンザイという3墳があることをどう説明するのか、困難だろうと思っている。塚口先生の4世紀末の内乱からしても、ホムダワケの活躍期は佐紀政権の時代であって、晩年にクーデタを起こすホムダワケ墓は津堂城山古墳の規模こそがふさわしいとも思う。
◆回り道をしたが、従来の年代観に立つ場合、紹介した白石の議論はなお有効である。百舌鳥3墳について、百舌鳥に陵を築いたという仁徳・履中・反正にそれぞれ再配列することはできるが、その間にくる古市の陵が浮いてしまう。基本的には帝記に陵名は伝えられていたと考えられるものの、5世紀前半のところの陵名については問題ありとせざるをえないという白石の主張は説得的だ。
◆ちなみに、オレの比定で陵名が怪しいということになるのは、仁徳(百舌鳥)=仲津山、そして反正(百舌鳥)=御廟山と允恭(古市)=大仙である。この3つはいじっていることになる。すべてを説明できないが、河内政権始祖の応神と、聖君仁徳の陵を、御廟山と大仙という巨大古墳にあてるという作為は、考え得るかもしれないと思っているわけである。

長岡京・恵解山古墳の整備がはじまる

◆2011年02月10日(木)朝から長岡京の会議に行く。いつもは電車だが、ある理由があって車で行く。やや遅刻。中尾さん、都出先生、高瀬さん、かっちゃんに会う会議である。今年度は調査最終で、補足的な調査をやり、基本構想をまとめる。整備事業は来年度から始まる。
◆今年の補足調査は上半期におこない、下半期まとめにかかる。上半期の調査で検討課題が生まれたので、秋に1本、トレンチを追加した。造出と前方部側面の取り付きの問題で、完全には解明されなかったが、追加トレンチで葺石が明瞭に検出されたことは、たいへんよかった。
◆おこの場合、墓場・学校用地とのかねあいの中で、やれることをやろうとしている。けっこうしつこく掘ってきたが、おかげで、墳丘の現状はかなり傷んでいるものの、かなり確からしい復元が可能になった。
◆文化庁の補助事業がスクラップ&ビルトで、名前が変わるらしく、補助要項を作成中とのこと。これは城陽市でも聞いた。前にも書いたかもしれないが、かなり土盛りをして、削られている墳丘を補うので、古墳を造っていくような作業になる。そういうプロセスを見せるのもいいことではないか、と1年前に言った記憶がある。基本構想をまとめるに際して、いくつかの検討事項があり、その協議をしたが、いくつかまだ議論が必要かなと思う点もある。意見があったら申し出るようにと言われているので、考えをまとめて提出しよう。
◆乙訓では物集女車塚古墳に続く、古墳の整備となる。前にも書いたかもしれないが、事務局がしっかりしているし、地元の愛護団体みたいなものが既にできていて、安心できる。
◆12時過ぎに終了後、堺市の寺山南山の現場に行く。来週会議なのだが、大学院入試とぶつかっているもので、途中で抜ける可能性が高いので、あらかじめ見ておこうと思った。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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