人を幸せにする人になろう

46歳になる・・・めでたいことではない

◆3月22日、振り替え休日、誕生日である。46歳か。19日、カミサンが、早いけど、誕生日プレゼント、といって財布とキーケースをくれた。びっくり。で、いま使っている財布を捨てるkabann.jpgsaihu.jpg
◆このバックパックと財布、2004年に韓国に40日間行くときに買ったもの。あれから丸6年使い、ずいぶんくたびれてきて、買い換えると言ってたので、財布を買ってくれたのだった。
◆それから前日の21日、帰ると、前方後円墳ケーキが作ってあった。これで3年目である。スポンジを3段にしたのだそうな。年々、凝ってくる。カミサke-ki.jpgンと娘が作ってくれる。幸せ者である。ひそかに来年は自分で作ろうと思っている。リアルさを追求すると、ここまでできる、という前方後円墳ケーキをめざそうと思う。
◆で、22日当日、この日に老眼鏡を買うと決めていたので、カミサンにつきあってもらい、眼鏡市場に行く。その前があるのだが、それは項目を改める。初めて眼鏡屋に行き、視力検査をしてもらい、レンズを決め、フレームを決め、眼鏡がこうしてできあがった。あれから1週間もたたないで、どっかいってしまっていたが、無事、家の部屋から発見された。

古代を偲ぶ会

ab6d6b4e.jpg◆2010年03月20日、古代を偲ぶ会でしゃべる。半島派兵の話。いきなり佐紀遷都と書いている。みんな、なにそれ・・・と思っている。あんまり聞いたことがないような話だろうな。むろん奇をてらったものではない。2時間・・・。もうちょっと絞ってもよかたかなとは思う。これまた前日から用意を始め、当日の午前に資料を完成させ、コピーし・・・。
◆同じ会場のホールでは、朝日新聞社主催の纒向のシンポジウム。こっちは後日、朝日の誌面1頁をあてて特集が組まれた。纒向で見つかった建物をめぐり、邪馬台国の話で盛り上がったようだ。

河内大塚は安閑未完陵

◆2010年03月18日、堺市の委員会に行く。なかなかイイ会議だった。この会議のメンバーに入れてもらって光栄である。
◆で、河内大塚山古墳について、このブログでもいくつか記事にしてきたが、自分の無知を知る。河内大塚は、堺市の十河さんの安閑未完陵で決まりだと思う。聞いた瞬間から、そうか、それに違いないと思った。後日、『埴輪論叢』ほか、日置荘の埴輪の分析、そしてそれが河内大塚への供給目的に、継体の今城塚造営の新池の埴輪工人組織が丹比に移されたものであるとの、関連論文をおくってもらった。ざっとみた程度で、きちんと紹介する必要があるが、これで決まりであろう。531年の政変ともリンクした説はまことに興味深く魅力がある。全国第6位の巨大前方後円墳が途中で作るのをやめるというのは余程のこと。それを求めるなら531の政変というのは納得できる。もちろん、そのまえに埴輪の緻密な分析あってのことで、それだけに固い!と思う。
◆オレと違って、きちんとした考古学的分析で、ここまで迫れるというスゴイものだ。文献を示しておく。十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」(『埴輪論叢』第6号,2007年)。是非、御一読下さい。

書きたいことが山ほどあるが

577f47ae.jpg◆忙しい・・・(03月31日)。データが飛んで・・・、復旧しなかった・・・。まあなんとかなるが、釜山大の原稿がなくなり、イチから書き直し・・・、トホホ。
◆昨日、4月2日、玉手山1号墳を入稿した。右は3D化したもの。画像まわりでなお問題を残しているので、これから出力まで、印刷屋とのやりとりがあり、データ差し替えもあり、すんなりとはいかないだろうが、それでも自分のなかでは、この仕事は完了した。次は、玉3の概報と摩湯山の測量調査報告である。
◆ブログをいろいろ書きたいところだが、明日の日曜日は別件でつぶれそうなので、今日一日で、論文1本を仕上げるつもり。なので、ブログはまたこんど。

カミさんの主張

◆いまの人不足について。ひとまず仕事柄、研究の場における話だ。人が削減され、若い人は期限付きで将来に不安をいだきつづけることについて、2つの害があると。
◆有能な人が、書類作成その他に追われ、つぶしていくこと。そして若い人を育てないと。
◆次は今朝の話。子ども手当とかではなく、乳幼児の医療費を全国一律無料にするなどのことをせよと。まったくだ、国が直接、個人や家庭に金を支給するようなことはやめ、同じ予算を使うなら、実際的な負担減になるような政策をとるべし。まったく同感である。事務手続きのことを考えても、愚策であろう。保育士は全員、公務員にしたらエエと。なるほど。
◆公はすぐに成果や効果があがることはせんでもいい、地道なセーフティーネットの整備を進めるべし。そうやと思う。それこそ民活。下支えすることに徹するべし。
◆天理教にも話がおよぶ。間は飛ばすが、役所のまわりにテント村ができるような社会(むろんないにこしたことはないが)がよい。道路掃除とかなんでも奉仕作業をやったら、役所で給食があてがわれ、風呂に入れて、簡易宿泊所で寝泊まりできるような、そんなんであるべきや。これはオレの主張か。

ほ乳類展はやめて平成館の考古資料をみる

◆久しぶりである。写真撮っていいんやね~。東博も変わったもんだ。鏡を見る。東大寺山の滑石製坩をしげしげとみる。真土大塚山の定角式銅鏃を見る。和泉黄金塚の玉類を見る。佐味田の石製剣を見る。大丸山の竪矧板短甲を見る。埴輪を見る。飾履を見る。

長谷川等伯展がなんであんなに人が入るのか

◆東博だ。むかし文化庁にいたとき、速報展をまだ東博でやっていて(いまは江戸博)、準備に通っていe950ca1d.jpgた。通勤が千代田線だったので、根津まで行き、歩いた。
◆根津かいわい、谷中のあたりの下町はよいものだ。で、根津の交差点に出たが、東博へ行くのはどっちだったか、思い出すだろうと思ったが、まったくわからん。前に通ったルートをたどることはできなかったが、まあ東京芸大のところに出ることはでき、東博へ。
◆長谷川等伯展がスッゴイ人。入場制限をして70分待ちだとか。文化的でよろしいが、なんでか理解できない。

東大に行く

◆慶長和泉国絵図を見に東大に行く。東大に行くのは3回目かな。1回目はカミさんの授業料3c1f43fa.jpg4d3e464f.jpgを納めに行った文化庁時代。2回目は、何年か前に枚方の万年山古墳の三角縁神獣鏡などを見に、総合博物館へ。あの時の学芸員は最低だった。
◆こないだの正保の絵図は神戸市博で、学芸員がついて一緒に見たが、今回は、図書館で、いちおう一般図書と区別されているが、あとは勝手に見ろという感じである。写真が撮れないのはつらい。吉田伸行氏などに口を聞いてもらったら撮れるんだろうが、まあいい。絵図を筆写し、文字を読む。7b961634.jpg史料編纂所もあった。
◆1時間くらい。東博へ行こうと思い、根津に出ることにする。構内を横切っていると、生協の食堂があったので入る。レトロ食堂という名前だったか。カレーライス230円。お盆にJTBの広告、なにかと思ったらUSJ行きのプランの宣伝だった。行くつもりはなかったが安田講堂に出る。合格したボクチャンが母親と一緒に歩いている。
◆なんか雰囲気がよかった。キャンパスが広く、建物と建物の間がゆったりとしている。建物は古く歴史を感じさせる。看板「段さ有り」、これはヘンだ。普通なら「段差あり」ではないだろうか。

佐味田宝塚

◆牧野は数年前に学生と大和西部をまわったときに訪れた。市尾墓山からはじめ北上した。その時、日没が近づいていたので、佐味田宝塚に行くのを断念した。今日、レーザースキャンしながら、ヒマなので、宝塚に行くことにした。地図ではきわめて近い。
◆すぐにわかった。三角縁神獣鏡の破片が落ちていないか、くまなく探したが、残念ながらない(笑)。埴輪はパラパラ。おっきな底部片もあった。墳丘ががたがたなのはわかっていたが、初めてである。
◆それにしてもや、牧野とは至近の距離、片や広陵町で、片や河合町。そうなのだ。牧野の説明看板だけでなく、佐味田宝塚への行き方なども示してほしい。一方の河合町。馬見丘陵の古墳の整備もいいが、佐味田宝塚についても、すこし距離があるのだろうが、環境整備をして、少なくとも説明看板をちゃんと立てるべきだ。佐味田はまったく放置状態である。そして行政界もあって、両者の行き来がしにくいし、互いを入れあった散策路の地図もない。悲しいことである。牧野に来たら宝塚にも足を運んでもらう。宝塚に来たら牧野にも足を運んでもらう。マニアは調べていくだろうが、そうではなく、普通の人にも行き来してもらうように考えて欲しい。それぞれが史跡で住宅開発の時に、公園にしたり、公園を付設したりしている。が、つなぐ発想が0なのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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