人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
『アイヌの碑』
◆むかし読んだこの文庫本をしばらく前、読み返しました。本多勝一の本で紹介されていたものです。著者の萱野
茂氏は国会議員にもなりましたが、亡くなりましたね。この本で『アイヌの民具』という本も知りました。昔、文化庁にいて北海道に出張したとき、終了後、萱野氏の建てた資料館(1972開館)のある二風谷に行きました。そういうことを道庁の人に言うと、その時、出張に同行してくれた担当の人が、わたしも行きたいので、一緒に行きましょうということで、そのまま予定終了後、二風谷に行きました。
◆ちょうど、二風谷ダムができあがり、それで犠牲になったアイヌの聖地の代替として、ダム脇に展示施設が竣工したこともあり、それも見に行きました。二風谷アイヌ文化博物館は1992年開館という、隣に沙流川歴史館というのもあり、こっちのことかな、とは思うが、あまり記憶にありません。できてまなしでした。2人でチャシにも登った記憶があります。で、資料館で『アイヌの民具』を安くはなかったが買いました。
◆苫東にも行った。で『アイヌの碑』に戻ると、萱野氏はある時期から、失われていく言語、失われていく文化、これをなんとか保存しようと目覚め、民具を集めて私設資料館を開設するところまでやったわけです。これ文庫本なので、単行本になった時のあとがきがあり、まだあれもせなあかん、これもせなあかん、ということが書いてあり、そして10年後に文庫化された時のあとがきで、さいわいこれは実現した、アイヌ語教室もこう拡充している、とか、その10年間の進捗がかかれていました。前に民博に行ったときに、アイヌの家が復元されていましたが、『アイヌの碑』を読むと、民博からの依頼に、一生懸命応えるべく、萱野さんが奥さんとともに、民博の復元住居にならべられている調度類その他を準備して納めたということが書いてあり、そうだったのか、と思いました。で、おばあちゃん子でアイヌ語がしゃべれる数少ない存在として、その当時まだ存命だった年配のアイヌにインタビューしてユーカラなどを採取し、テープに残し、そのテープ起こしとか、それを自分の使命と思い、努力を傾け、文庫化までの10年間の間にも、次々に自分がやらなあかん、と思っていたことを実現させていっている姿に、改めて感動を覚えたわけです。
◆ちょうど、二風谷ダムができあがり、それで犠牲になったアイヌの聖地の代替として、ダム脇に展示施設が竣工したこともあり、それも見に行きました。二風谷アイヌ文化博物館は1992年開館という、隣に沙流川歴史館というのもあり、こっちのことかな、とは思うが、あまり記憶にありません。できてまなしでした。2人でチャシにも登った記憶があります。で、資料館で『アイヌの民具』を安くはなかったが買いました。
◆苫東にも行った。で『アイヌの碑』に戻ると、萱野氏はある時期から、失われていく言語、失われていく文化、これをなんとか保存しようと目覚め、民具を集めて私設資料館を開設するところまでやったわけです。これ文庫本なので、単行本になった時のあとがきがあり、まだあれもせなあかん、これもせなあかん、ということが書いてあり、そして10年後に文庫化された時のあとがきで、さいわいこれは実現した、アイヌ語教室もこう拡充している、とか、その10年間の進捗がかかれていました。前に民博に行ったときに、アイヌの家が復元されていましたが、『アイヌの碑』を読むと、民博からの依頼に、一生懸命応えるべく、萱野さんが奥さんとともに、民博の復元住居にならべられている調度類その他を準備して納めたということが書いてあり、そうだったのか、と思いました。で、おばあちゃん子でアイヌ語がしゃべれる数少ない存在として、その当時まだ存命だった年配のアイヌにインタビューしてユーカラなどを採取し、テープに残し、そのテープ起こしとか、それを自分の使命と思い、努力を傾け、文庫化までの10年間の間にも、次々に自分がやらなあかん、と思っていたことを実現させていっている姿に、改めて感動を覚えたわけです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。