人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
で本論
◆とはいえ立ち入ってはいないのだが、事後検討会でのみなさんの発言から、すこしまとめを。
◆(1)陵墓図で見える後円部3段・前方部3段は認められる。裾部のところが、もう1段あって4段になるのかどうか議論があったが、なかなか積極的にはいえない。(2)後円部のテラスと前方部のテラスをスロープでつないでいるかどうかは、下の面については認めてもいいのではないか、との意見。ただし比較的残っている北側面でも、この部分の墳丘斜面は崩れていて、みながそう見えたというのではなさそう。が、まあいいんでは、というところ。しかし上の面は、これは改変で原形がないので不明といわざるをえない。(3)前方部の頂部には土塁がめぐることは陵墓図から読み取れるが、そこにはけっこう石が顕著に見えるらしい。城郭といえるかどうかは専門家の意見を聞かないとわからないが、いらわれていることは確実である。(4)後円部南側のくびれ部寄りのところにある張り出しは、みなさん造り出しとは考えにくい、とのことでした。外からの観察でも、昨年の渋谷のような整った土壇にはならないことは明らかである。(5)前方部南側面は墳丘を崩し耕作地として利用していたようで、修陵前の絵図では3重?の石垣列が描かれているが、それは修陵時に撤去したようだ。(6)埴輪はほとんど見えなかった。
◆まあこんなところでしょうか。宮内庁のみなさん、たいへんお世話になりました。参加者のみなさん、お疲れ様でした。その後「反省会」。明日は大学入試です。
◆(1)陵墓図で見える後円部3段・前方部3段は認められる。裾部のところが、もう1段あって4段になるのかどうか議論があったが、なかなか積極的にはいえない。(2)後円部のテラスと前方部のテラスをスロープでつないでいるかどうかは、下の面については認めてもいいのではないか、との意見。ただし比較的残っている北側面でも、この部分の墳丘斜面は崩れていて、みながそう見えたというのではなさそう。が、まあいいんでは、というところ。しかし上の面は、これは改変で原形がないので不明といわざるをえない。(3)前方部の頂部には土塁がめぐることは陵墓図から読み取れるが、そこにはけっこう石が顕著に見えるらしい。城郭といえるかどうかは専門家の意見を聞かないとわからないが、いらわれていることは確実である。(4)後円部南側のくびれ部寄りのところにある張り出しは、みなさん造り出しとは考えにくい、とのことでした。外からの観察でも、昨年の渋谷のような整った土壇にはならないことは明らかである。(5)前方部南側面は墳丘を崩し耕作地として利用していたようで、修陵前の絵図では3重?の石垣列が描かれているが、それは修陵時に撤去したようだ。(6)埴輪はほとんど見えなかった。
◆まあこんなところでしょうか。宮内庁のみなさん、たいへんお世話になりました。参加者のみなさん、お疲れ様でした。その後「反省会」。明日は大学入試です。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。