人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
アンダルシアの旅(34)スペイン史(1)
◆以下、ウィキから。
◆古代 紀元前12世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出。フェニキア人はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。イベリア人に数字やアルファベットを伝えた。紀元前1000年ごろ、ガリアのケルト人がピレネー山脈を越えてイベリア半島に進入し、ギリシャ人もイベリア半島を訪れるようになる。
◆ローマ帝国時代 紀元前2世紀、ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争。イベリア半島はお互いの陣営による激しい攻防戦が続けられたが、紀元前205年ローマ軍の手に落ち、その後ローマの支配を受ける。イベリア半島は、帝政を始めたアウグストゥスのもとで、三つの属州へと再編された。「パックス・ロマーナ」のもとで商品作物を栽培して繁栄したほか、帝国最大の版図を現出させたトラヤヌス帝のように多くの人材を輩出した。セビーリャやカルタヘナなどの都市部ではローマ化が進展した。また、紀元1世紀よりキリスト教がもたらされ、徐々に都市部から農村部へと浸透していった。
◆西ゴート王国の成立 415年に南下してきた西ゴート族によって西ゴート王国が建国され、南フランスのトロサ(現トゥールーズ)に都した。560年に西ゴート王国はトレドに遷都した。585年には西ゴート王国によって、現ガリシアにあったスエボス(スエビ)王国が併合された。
◆イスラーム勢力の盛衰 イスラーム勢力のウマイヤ朝は、北アフリカにまで勢力を伸張させると、さらに711年にベルベル人を率いたターリク・イブン・ズィヤードのもとでジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ上陸し、西ゴート王国を滅ぼした。一時は北部の都市まで彼らによって征服され、イベリア半島の大部分がイスラーム勢力の支配下に入り、アル・アンダレスとして716年よりウマイヤ朝の属州となった。ウマイヤ朝は、ピレネー山脈を越えてフランク王国に戦いを挑むが、732年にトゥール・ポワティエ間の戦いでカール・マルテルに敗れたため撤退した。
◆ウマイヤ朝は750年に滅亡したが、756年にウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世によって後ウマイヤ朝が建てられた。この王朝は、10世紀前半のアブド・アッラフマーン3世のもとで最盛期を迎え、自らカリフを称してアッバース朝、ファーティマ朝といった他のイスラーム勢力に対抗した。10世紀後半には混乱が続き、1031年に後ウマイヤ朝は滅亡した。後ウマイヤ朝の都のコルドバは、トレドとならんで西方イスラーム文化の中心地となった。
◆後ウマイヤ朝の滅亡後、小王国分立の時期を迎えた。代表的なものは、セビーリャ王国・トレド王国・サラゴサ王国・グラナダ王国・バレンシア王国などである。これらの諸王国が結束を欠く中、1085年に西方イスラーム文化の中心地の一つであったトレドが、キリスト教勢力のカスティーリャ王国に征服されるという事態が起こった。この状況を憂えた小王国は、マグリブのムラービト朝に援助を求めた。これに応えたユースフは、サグラハスの戦いでアルフォンソ6世を破りアンダルシア地方などの支配を回復させるとともに、アル・アンダレスの小王国を統制下においた。
◆しかし、まもなくキリスト教勢力が巻き返しを図ったことに加え、イスラーム勢力の内部でもアフリカから来たムラービト朝と在地の小王国の対立が深まり、さらに北アフリカではムワッヒド朝が台頭していた。こうした中、13世紀にはムワッヒド朝によってムラービト朝は滅亡へと追い込まれ、再びイベリア半島は分権的な状況が生まれた。その後、ムワッヒド朝もイベリア半島へ進出して統一的な支配を行おうとするが、やはりアル・アンダレスの在地勢力との対立が深まったことや、1212年にカトリック連合軍とのナバス・デ・トロサの戦いで決定的な敗北を喫したことから、分裂期を招いた。徐々に台頭するキリスト教勢力と比べ、著しく結束を欠いたイスラーム小王国の多くは、レコンキスタ(再征服運動)に屈して支配下に入った。滅亡を免れたナスル朝グラナダ王国も、まもなくカスティーリャ王国への貢納を余儀なくされた。
◆レコンキスタ(国土回復運動) 当初はイスラーム勢力に圧倒されていたキリスト教諸勢力がイベリア半島北部より台頭し、「国土回復」の名のもとレコンキスタ(再征服運動)を展開した。その担い手となったのが、ポルトガル王国・カスティーリャ王国・アラゴン王国などであった。1479年、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、1492年にナスル朝グラナダ王国を滅ぼしてレコンキスタを完了させた。
◆イベリア半島における文化交流 キリスト教勢力とイスラーム勢力はイベリア半島で衝突を繰り返したが、こうした両勢力の接触は一方で文化的な交流をもたらすことにもなった。11世紀後半、イスラーム世界における西方の文化的な中心都市トレドがキリスト教勢力によって奪われたことを契機として、この地でアラビア語からラテン語へ諸文献を翻訳することが盛んに行われた。こうして、イベリア半島は西ヨーロッパ世界に先進のイスラーム文化をもたらす窓口としての役割を果たし、西ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」を導いた。
◆古代 紀元前12世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出。フェニキア人はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。イベリア人に数字やアルファベットを伝えた。紀元前1000年ごろ、ガリアのケルト人がピレネー山脈を越えてイベリア半島に進入し、ギリシャ人もイベリア半島を訪れるようになる。
◆ローマ帝国時代 紀元前2世紀、ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争。イベリア半島はお互いの陣営による激しい攻防戦が続けられたが、紀元前205年ローマ軍の手に落ち、その後ローマの支配を受ける。イベリア半島は、帝政を始めたアウグストゥスのもとで、三つの属州へと再編された。「パックス・ロマーナ」のもとで商品作物を栽培して繁栄したほか、帝国最大の版図を現出させたトラヤヌス帝のように多くの人材を輩出した。セビーリャやカルタヘナなどの都市部ではローマ化が進展した。また、紀元1世紀よりキリスト教がもたらされ、徐々に都市部から農村部へと浸透していった。
◆西ゴート王国の成立 415年に南下してきた西ゴート族によって西ゴート王国が建国され、南フランスのトロサ(現トゥールーズ)に都した。560年に西ゴート王国はトレドに遷都した。585年には西ゴート王国によって、現ガリシアにあったスエボス(スエビ)王国が併合された。
◆イスラーム勢力の盛衰 イスラーム勢力のウマイヤ朝は、北アフリカにまで勢力を伸張させると、さらに711年にベルベル人を率いたターリク・イブン・ズィヤードのもとでジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ上陸し、西ゴート王国を滅ぼした。一時は北部の都市まで彼らによって征服され、イベリア半島の大部分がイスラーム勢力の支配下に入り、アル・アンダレスとして716年よりウマイヤ朝の属州となった。ウマイヤ朝は、ピレネー山脈を越えてフランク王国に戦いを挑むが、732年にトゥール・ポワティエ間の戦いでカール・マルテルに敗れたため撤退した。
◆ウマイヤ朝は750年に滅亡したが、756年にウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世によって後ウマイヤ朝が建てられた。この王朝は、10世紀前半のアブド・アッラフマーン3世のもとで最盛期を迎え、自らカリフを称してアッバース朝、ファーティマ朝といった他のイスラーム勢力に対抗した。10世紀後半には混乱が続き、1031年に後ウマイヤ朝は滅亡した。後ウマイヤ朝の都のコルドバは、トレドとならんで西方イスラーム文化の中心地となった。
◆後ウマイヤ朝の滅亡後、小王国分立の時期を迎えた。代表的なものは、セビーリャ王国・トレド王国・サラゴサ王国・グラナダ王国・バレンシア王国などである。これらの諸王国が結束を欠く中、1085年に西方イスラーム文化の中心地の一つであったトレドが、キリスト教勢力のカスティーリャ王国に征服されるという事態が起こった。この状況を憂えた小王国は、マグリブのムラービト朝に援助を求めた。これに応えたユースフは、サグラハスの戦いでアルフォンソ6世を破りアンダルシア地方などの支配を回復させるとともに、アル・アンダレスの小王国を統制下においた。
◆しかし、まもなくキリスト教勢力が巻き返しを図ったことに加え、イスラーム勢力の内部でもアフリカから来たムラービト朝と在地の小王国の対立が深まり、さらに北アフリカではムワッヒド朝が台頭していた。こうした中、13世紀にはムワッヒド朝によってムラービト朝は滅亡へと追い込まれ、再びイベリア半島は分権的な状況が生まれた。その後、ムワッヒド朝もイベリア半島へ進出して統一的な支配を行おうとするが、やはりアル・アンダレスの在地勢力との対立が深まったことや、1212年にカトリック連合軍とのナバス・デ・トロサの戦いで決定的な敗北を喫したことから、分裂期を招いた。徐々に台頭するキリスト教勢力と比べ、著しく結束を欠いたイスラーム小王国の多くは、レコンキスタ(再征服運動)に屈して支配下に入った。滅亡を免れたナスル朝グラナダ王国も、まもなくカスティーリャ王国への貢納を余儀なくされた。
◆レコンキスタ(国土回復運動) 当初はイスラーム勢力に圧倒されていたキリスト教諸勢力がイベリア半島北部より台頭し、「国土回復」の名のもとレコンキスタ(再征服運動)を展開した。その担い手となったのが、ポルトガル王国・カスティーリャ王国・アラゴン王国などであった。1479年、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、1492年にナスル朝グラナダ王国を滅ぼしてレコンキスタを完了させた。
◆イベリア半島における文化交流 キリスト教勢力とイスラーム勢力はイベリア半島で衝突を繰り返したが、こうした両勢力の接触は一方で文化的な交流をもたらすことにもなった。11世紀後半、イスラーム世界における西方の文化的な中心都市トレドがキリスト教勢力によって奪われたことを契機として、この地でアラビア語からラテン語へ諸文献を翻訳することが盛んに行われた。こうして、イベリア半島は西ヨーロッパ世界に先進のイスラーム文化をもたらす窓口としての役割を果たし、西ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」を導いた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。