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アンダルシアの旅(36)スペイン史(3)

◆ ボルボン朝(スペイン・ブルボン朝) 18世紀に入るとスペインハプスブルク家が断絶し、フランスのルイ14世は自らの孫、ブルボン家のフィリップをスペ イン王にしようとした。ところがそれに各国が異議を唱えスペイン継承戦争が始まった。この戦争は12年に及び、1713年のユトレヒト条約でフィリップが フェリペ5世として即位することは承認されたが、イギリスにジブラルタルを割譲。さらに新大陸におけるアシエント(奴隷供給契約)を譲り、海外での影響力 は著しく低下した。その後、オーストリア継承戦争、7年戦争に参加するがイギリス・フランス・オランダなどの新興勢力の後塵を拝することとなった。
◆ ナポレオンの侵攻 1808年、ナポレオンの侵攻を許し、カルロス4世退位。その結果ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カ タルーニャはフランス帝国の直轄地になる。しかし、スペイン人がそれに反発し1808年の5月ごろからスペイン独立戦争と呼ばれる内戦となる。このとき に、新大陸の植民地にも独立の動きが生じる。
◆王制復古 1820年1月、リエゴ革命が起こる。自由主義勢力がスペインの王朝を倒し、一時革命政府を樹立した。この混乱期にイスパノアメリカの植民地がスペイン王党派を破り、相次いで実質的な独立を達成する。
◆ 第一次世界大戦におけるスペイン 第一次世界大戦において、スペインは中立政策をとった。大戦中のインフレーションは、貧民層の困窮化を深めさせ、労働運 動が急速な高揚をみせた。1917年におけるロシア革命の成功は、労働運動をさらに刺激しただけでなく、カタルーニャやバスクにおける反専制・地域独立の 意識を高めさせた。都市部・農村部を問わず各地で頻発していた暴動や要人テロは第一次大戦後も続き、深刻な政治的混乱が起こっていることは明らかだった。 さらに、第一次大戦後のスペイン領モロッコにおける民族運動鎮圧に苦慮したことから、軍部の責任問題が浮上していた。
◆プリモ・デ・リベーラ独 裁 政権 こうした中、1923年9月にプリモ・デ・リベーラ将軍がクーデタを起こし政権を握った。混乱の収拾を望む世論が強かったため、共産党や急進的な労 働組合の一部が抵抗したものの、プリモ・デ・リベーラ独裁政権の成立は総じて各層から容認された。しかし、プリモ・デ・リベーラ独裁は第一次大戦直後の混 乱を乗り切るための暫定的措置として支持されたにすぎず、その独裁が長期化の様相を示すと反独裁の動きが各地で高まった。左翼勢力、地域主義政党の活動が 強まり、軍内部でもプリモ・デ・リベーラ独裁に反発する動きがみられた。こうして1930年にプリモ・デ・リベーラは退陣へと追い込まれ、新たにベレン ゲール将軍が首相の地位についた。プリモ・デ・リベーラ独裁政権の崩壊は、王制打倒を目指す共和派を勢いづけた。共和派や地域勢力はサン・セバスティアン で協定を結び、革命委員会を発足させた。1930年末の革命運動は失敗に終わったものの、1931年選挙において都市部で革命勢力は躍進、民衆の共和政を 求めるデモが各地で起こった。カタルーニャなどの地域運動も高揚した。こうした中、国王アルフォンソ13世は退位へと追い込まれたことで無血革命が成功 し、第二共和政が成立した。
◆1935年のコミンテルン第7回大会において、人民戦線戦術(反ファシズムの統一戦線)が採択されたことは、左派 勢 力の再結集を促した。当時の右派勢力の足並みが乱れていたこともあり、左派の巻き返しが進んだ。こうした中行われた1936年選挙では左派が圧勝、人民戦 線政府が成立した。
◆スペイン内戦 人民戦線政府の成立後も政治的混乱は続き、都市部ではストライキ、農村部では貧農による暴動が続いた。こう し た中、1936年7月にスペイン領モロッコへと遠ざけられていたフランシスコ・フランコ将軍がクーデタを起こし、各地で右派による反乱が勃発、スペイン内 戦へと突入した。フランコはドイツ(ヒトラー政権)とイタリア(ムッソリーニ政権)のファシズム政権から支持を受けて戦いを有利に展開した。一方、人民戦 線側はソビエト連邦から支持を受けたものの、イギリス・フランスは不干渉政策をとったために劣勢が続いた。国際義勇軍である国際旅団が各国から集まって人 民戦線を支援したが、1939年にはマドリードが陥落、フランコ側が勝利を収めた。
◆フランコ独裁 フランシスコ・フランコ・バアモンデは、 1937年に自ら組織するファランヘ党の総統となり、1939年、内戦終結後は国家元首として、その独裁は彼の死1975年まで続いた。フランコ政権はそ の成立時からドイツ・イタリアのファシズム政権から支援を受け、ファランヘ党の一党独裁、軍隊と秘密警察による厳しい支配を行った。1939年 に 始まる第二次世界大戦では、ヒットラーの要請にもかかわらず、スペインは枢軸国に入らず、参戦もしなかった。しかし、大戦終結後に成立した国際連合は、 1946年12月の国連総会で、スペインをファシストの国として国連から排除する決議を採択、フランコ政権は国際社会から孤立する。
◆一方、戦後 は東西対立、いわゆる冷戦が進行し、1950年には朝鮮戦争が勃発する。これをきっかけに、西側諸国は反共産主義という点でフランコ政権との関係の修復を 模索する。1953年9月に、アメリカ合衆国はスペインと米西防衛協定を締結。1955年にスペインは国連に加盟。1958年には国際通貨基金に加盟す る。1975年、フランコ死去。遺言によりフアン・カルロス1世が即位。独裁は終わりを告げる。
◆独裁政権の終結と現在 フアン・カルロス1世は即位後、フランコの独裁を継承せず立憲君主制の下、民主化と欧米諸国との協調を進めるようになった。

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HN:
雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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