人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
本居宣長旧宅
◆城跡の一画に本居宣長旧宅がある。1909年に保存のために移築したのだという。移築前の跡地(写真)とともに特別史跡なんだと。国学者って、やっぱり偉いんだ(皮肉ですよ)。小津家と改姓し、木綿問屋として豪商の家柄だったのだそうだ(小津安二郎はこの家系なのだそうな)。が、宣長の世代で家運は傾き始め、義兄の死後、宣長は小津家を継いだものの、商いはやめ、氏名を祖先の本居に戻し、町医者を営むかたわら『古事記伝』の執筆をはじめとする日本古典の研究に取り組んだということである。で、この旧宅は、子孫が明治時代まで居住していたが、1905年に宣長に従三位が追贈されると保存の気運が高まり、1909年に鈴屋遺蹟保存会の手によって松坂城二の丸跡地に移築し、宣長当時の姿に復元されたのだという。で、全体を本居宣長記念館というそうで、遺品等の資料など1949点が重要文化財になっているんだと。
◆入ってもよかったのですが、入りませんでした。400円だそうです(そんな高くはないですね)。そこそこ城には人が来ているんだけれども、この旧宅に金を払って入る人は少ないように思った。古事記を研究するなど、偉い人なんだろうけれども、明治以来、祭り上げたのだろうが、今の人はどこまで関心があるのか疑問。カミさんは、無料にして寄付金箱を置くのがいいのではないかという。それはともかく、古い町屋でも、むろんいま生活している人がいるなら別だが、そうでないものについて、残すだけではなく、人に入ってもらったり使ってもらうようにした方がいいのだろう。宣長の旧宅は一部を公開しているに留まるという。そんなに大事に大事にして残すことそのものが重要なのだろうか。
◆構造物のない城跡のなかで、移築建物があり、資料を見せる展示施設があるのは、ひとつの材料ではあるが、極論を言えば、条件が許せば、再度、元の場所に戻すのがいいのではないか。
◆入ってもよかったのですが、入りませんでした。400円だそうです(そんな高くはないですね)。そこそこ城には人が来ているんだけれども、この旧宅に金を払って入る人は少ないように思った。古事記を研究するなど、偉い人なんだろうけれども、明治以来、祭り上げたのだろうが、今の人はどこまで関心があるのか疑問。カミさんは、無料にして寄付金箱を置くのがいいのではないかという。それはともかく、古い町屋でも、むろんいま生活している人がいるなら別だが、そうでないものについて、残すだけではなく、人に入ってもらったり使ってもらうようにした方がいいのだろう。宣長の旧宅は一部を公開しているに留まるという。そんなに大事に大事にして残すことそのものが重要なのだろうか。
◆構造物のない城跡のなかで、移築建物があり、資料を見せる展示施設があるのは、ひとつの材料ではあるが、極論を言えば、条件が許せば、再度、元の場所に戻すのがいいのではないか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。