人を幸せにする人になろう

松阪の町

◆近江もだが、伊勢もけっこう小麦?を植えている。青々と麦が育っている。9:45くらいに家を出て、12時過ぎに着いたのではなかったか。松阪は、下の娘が大阪に来るときに、レンタカーで引っ越し荷物を積みつつ、登呂遺跡やら御前崎などを見ながら西に向かdb05c59b.JPGい、伊良湖崎からフェリーで鳥羽406c9cd4.JPG港に入り、松阪で味噌煮込みうどんを食べたのが1回。近鉄の1日乗車券で志摩に遊びに行った帰り、夜の特急を押さえた上で、駅前の飲み屋に入り、牛肉を食べたのが2回目(確かに松阪で肉を食べた)。むろん、宝塚1号墳に行ったりしたのは別に何度かある。
◆なにも調べていないが、松阪といえば本居宣長。で町並み歩きをしようという企画。駅について地図を見て、城下町なんだということを知る(無知)。で、資料館や看板や冊子やら、どこもかしこも、蒲生氏郷が築城したと・・・。冊子を見たら、松ヶ島城があったものを、場所を変えて新たに突貫工事で築城し、けっこう逃げ出した農民もいたようなことも書いてある。氏郷自身はそのあと会津若松に転封になり、40才で死んだのだそうである(京都の墓の改修のため掘り出されたとも)。で、江戸時代はずっと和歌山藩領という。このへんが近世のわからんところですね。人口16万7000人という(伊賀市9万5000人よりかなり多い)。
◆なんとなく、伊賀上野と似た雰囲気を感じた。城下町で江戸時代には栄え、近代に鉄道が通り、駅前が新しい町として発展する。1980年代くらいまではけっこう栄えたのだろうが、いまは駅前が寂れている様子。でも、城跡をはじめ城下町に地元の人を含めて観光客はそこそこおり、またなんといっても松阪牛、牛銀と和田金という、好き焼き屋はかなり繁盛している様子でした。また古い町屋を利用した8bd06650.JPGしゃれた店やカフェや、おみやげ物屋もかなりあって雰囲気はある。われわれも松燈庵というところでお昼をいただきました。予21363638.JPG約でほとんど埋まっていて、カウンターでいいですかと言われて案内されたが、ちょっと席の問題があって、結局、2階の座敷でゆっくりとすることができた。これ城下町の一画なんだが、古い建物を利用した人気の店みたいですよ。われわれはタマタマの偶然ではあるが。
◆なかなか古い町並みといえるような、ある程度長く続くのは限られた一画ではあるが、単体の古い家屋はそこここに残っている。だいぶ新しい家になってしまい、そこが惜しいが、城下町、伊勢商人の町というもので、いま残っているものを大事にしながら、町おこしはできるだろう。いちばんいい雰囲気の城代?屋敷のところは、ちょっと迂回して城に行った関係で見逃した(残念、それと、はにわ館も。また出直そう)。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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