人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
発行された『書陵部紀要』と工事工法
◆郡山ニキヤマの報告があった。かつて見たときのことを思い出しながらざっと見る。郡山城築城時に葺石がかなりもっていかれているようで、石があんまりなく、墳丘が予想以上にがたがたになっている印象だった。が、地山の緩傾斜部の存在から、元テラスの名残かと思われる箇所もあったように記憶する。で、築造時期は中期前半になった。
◆それからコナベの護岸工事の報告があった。このところ定着をみた工法である。かなり下段斜面が傷んでいて、蛇篭はそれに応じて1~3段という。どのように傷みを止めるか、いろいろと試行されてきたが、この方法に落ち着いている。新たに掘削することなく、蛇篭の基礎の栗石を敷いてそこに篭を積み、削れた墳丘面との間に土を入れ、植生土嚢で斜面を作り、またそこから現状の生きた肩部までは芝貼りとする。がっちりとした基礎を構築するのでなく設置するもので、いざとなったら以前の姿に復せるものとするという説明も納得できる。今のところ、もっともよく考えられた工法といえる。
◆それからコナベの護岸工事の報告があった。このところ定着をみた工法である。かなり下段斜面が傷んでいて、蛇篭はそれに応じて1~3段という。どのように傷みを止めるか、いろいろと試行されてきたが、この方法に落ち着いている。新たに掘削することなく、蛇篭の基礎の栗石を敷いてそこに篭を積み、削れた墳丘面との間に土を入れ、植生土嚢で斜面を作り、またそこから現状の生きた肩部までは芝貼りとする。がっちりとした基礎を構築するのでなく設置するもので、いざとなったら以前の姿に復せるものとするという説明も納得できる。今のところ、もっともよく考えられた工法といえる。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。