人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
211集会で宮本憲一氏の講演を聞く(1)
◆1965~1993年まで大阪市大商学部におられたんですね。でそのあと立命に出たと。なんで出たんでしょうね、出してしまったんでしょうね。それはともかく、まずは関一の話から。関一の話もあいまいな知識しかなかったが。
◆近代大阪市の市政は、近代化がもたらす富にたかる乱脈な市政だったのだそうだ。それをまともにしたのが、会津出身の池上四郎市長だったと。その池上が社会政策学会に人を求め、ただちに名前があがったのが関一で、ラブコールの末、大阪市助役となる。関は一橋の一流学者で、三羽ガラスの一人だったが、一橋を帝大に昇格させる運動の中心にもいたが、二度にわたって実現せず、自分の理論を大阪で実践する道を選んだ、と。
◆その後、大阪市長になり、1935年にチフスで病没するまで20年間にわたって市長を務め、当時、西欧で最先端の議論であった都市計画を日本にはじめてもちこむ。そのなかで、近代都市のめざすは「暮らしやすい都市」であるとし、労働者の住環境改善のための市営住宅の設置、福祉政策などを手がけたという。御堂筋や地下鉄だけではないわけだ。近代都市は市民が主人公であり、市の行政の使命はそこにあると。
◆近代大阪市の市政は、近代化がもたらす富にたかる乱脈な市政だったのだそうだ。それをまともにしたのが、会津出身の池上四郎市長だったと。その池上が社会政策学会に人を求め、ただちに名前があがったのが関一で、ラブコールの末、大阪市助役となる。関は一橋の一流学者で、三羽ガラスの一人だったが、一橋を帝大に昇格させる運動の中心にもいたが、二度にわたって実現せず、自分の理論を大阪で実践する道を選んだ、と。
◆その後、大阪市長になり、1935年にチフスで病没するまで20年間にわたって市長を務め、当時、西欧で最先端の議論であった都市計画を日本にはじめてもちこむ。そのなかで、近代都市のめざすは「暮らしやすい都市」であるとし、労働者の住環境改善のための市営住宅の設置、福祉政策などを手がけたという。御堂筋や地下鉄だけではないわけだ。近代都市は市民が主人公であり、市の行政の使命はそこにあると。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。