人を幸せにする人になろう

5月18日、市大日本史学会

◆栄原先生の講演を聞いた。正倉院文書とはいかなるものか、全体をまとめたらこういう内容ということを示された。これ図d17adfe5.JPG化すべきですね。裏表はあれ、要するに写経所としての文書があり、そこには反故紙として再利用されたものがあり、それがどういうグルーピングができるのか。全体の脈絡を明らかにするという話。
◆大会そのものの参加者も多く、また懇親会も盛り上がった。N林さんにブログを見ていますと言われ、びっくり。6月あたまのレキハクの研究会の準備をボチボチしているが、そこではひととおりの古墳時代の王権論をやり、一方で、実際に突っ込むところを考えていて、佐紀東群と馬見丘陵をはじめとする奈良盆地西部の古墳の評価のことを、最終報告書ではやろうかと考えている。
◆懇親会の最後でなんかしゃべれと言われ、和泉市の調査の話、博物館課程の話、大学統合の話、そして市大日本史学会の話をした。人は入れ替わってはいくが、若い人が加わり継承されていく世界がここにはある。なんでもそう、家もそうだし、こういう研究組織でも、年寄りばかりで先細りというのでなく、重なりをもちつつ継承されていくのが、あたりまえながら健全な姿e834e5cc.JPGといえる。
◆昨日、船王後首の墓誌のことを書いていて(松岳山の測量報告をまとめている)、新任の磐下さんに闕字というのを教えてもらった。668年の埋葬の墓誌がなんで8世紀に下るのか、その説明は難しかろう。偽物説もあるのかもしれないが、7世紀第3四半期の墓誌として理解していいのではないだろうか。そんなことをグダグダ考えるのは、古墳の測量報告としてはふさわしくないのかもしれないが、そこは市大日本史にいる人間としては、高尚な判断はできないながら、どう理解されているのか、自分なりに理解した上で書きたいと思う。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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