人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
測量
◆行政の現場で測量をしなくなっているんでしょうね。古墳の墳丘を含む地形測量だけじゃないですよ、調査区設定、掘り上がりの位置図含めての話です。
◆まずは測量。自分らではせず業者委託。会社はキャド上で作業をし、データ納品もキャドデータ。土木に持っていったら開くかもしれないが、自分らでは開けないし、いじれない。PDFのアウトプットのみ。うちは、測量を委託した時も、データをイラレで納品してもらってます。たとえば津堂城山(うちには地上レーザのデータがあります)。最初、イラレに変換してもらったら、巻き巻きデータで出てきた(説明するのは難しいが)、これはダメといって直してもらう。これで等高線がベクトルデータになったイラレデータで納品してもらえました。人工物などのレイヤーも分けてあるので、リーフレットにする時は、こちらで仕上がりの大きさに応じて線の太さを変え、いらない情報を消すなどのこともした。
◆次に調査区設定。どうなんでしょうね。図上で線引きして4隅の座標を算出する。そこに杭を打ってもらうことも業者任せが多いのでしょう。で、重機で掘削。
◆掘っていく時の遺物取り上げ、遺構図化のため、調査区内にメッシュ基準点の杭があちこちにある風景もよく見る。それを一所懸命守っている(掘り下げていくと土柱となる)。これも自分らで測量するのなら、脇に2点あれば済むのだが。
◆そして掘り上げ後の実測。1/10はなにがしかの基準点をもとに図化。それと調査区平面図(1/20とか)、これ、今でも平板!で測量しているところもまだあるのでしょう。
◆自分らで測り、位置を落とせること、いろんな意味で重要ではないか。
◆さて次は久津川の仕事をするか。ちゃちゃがいろいろ入る。気持ちよく仕事をさせないお役所。
◆まずは測量。自分らではせず業者委託。会社はキャド上で作業をし、データ納品もキャドデータ。土木に持っていったら開くかもしれないが、自分らでは開けないし、いじれない。PDFのアウトプットのみ。うちは、測量を委託した時も、データをイラレで納品してもらってます。たとえば津堂城山(うちには地上レーザのデータがあります)。最初、イラレに変換してもらったら、巻き巻きデータで出てきた(説明するのは難しいが)、これはダメといって直してもらう。これで等高線がベクトルデータになったイラレデータで納品してもらえました。人工物などのレイヤーも分けてあるので、リーフレットにする時は、こちらで仕上がりの大きさに応じて線の太さを変え、いらない情報を消すなどのこともした。
◆次に調査区設定。どうなんでしょうね。図上で線引きして4隅の座標を算出する。そこに杭を打ってもらうことも業者任せが多いのでしょう。で、重機で掘削。
◆掘っていく時の遺物取り上げ、遺構図化のため、調査区内にメッシュ基準点の杭があちこちにある風景もよく見る。それを一所懸命守っている(掘り下げていくと土柱となる)。これも自分らで測量するのなら、脇に2点あれば済むのだが。
◆そして掘り上げ後の実測。1/10はなにがしかの基準点をもとに図化。それと調査区平面図(1/20とか)、これ、今でも平板!で測量しているところもまだあるのでしょう。
◆自分らで測り、位置を落とせること、いろんな意味で重要ではないか。
◆さて次は久津川の仕事をするか。ちゃちゃがいろいろ入る。気持ちよく仕事をさせないお役所。
2018年7月5日、大雨の中、京丹後へ
◆3月だったかの委員会で、過去の原図にあたることも含め、これまでの調査個所のデータをチェックし、現在考えられる復元案を作る作業をすると宣言。が、その後行けていなかった。来週の委員会に出れないので、その前に来れないかとの打診に、5日しかないので、この日に行くことにした。
◆河内国分を7:20頃に出て(出発やや遅れる)、宮津に9時頃着(京都縦貫経由)、網野の会場(郷土資料館)にほぼ10時ジャストに到着できた。それから、昭和の調査区から点検を始め、検出遺構や高さデータなどをチェックし、16時頃まで作業をする。帰りは園部あたり、沓掛あたりで土砂降りでした。帰ってきてから、翌6日の朝4時まで!復元作業をしていました。その6日は会議で続きはできず、本日7日(土曜日)、朝8:30には研究室に来て、ほぼ11時頃まで作業して、いちおうの成案にたどりつきました。
◆むろん、求められているし、自分がやるのも好きなのでやってます。とはいえ、これ本来はそっちの仕事です。古墳に詳しくないとしても、集落遺跡でもなんでも、過去の調査をつきあわせつないでいく作業は、別に専門には関係なくやる仕事だし、そう難しい作業ではないはず。
◆河内国分を7:20頃に出て(出発やや遅れる)、宮津に9時頃着(京都縦貫経由)、網野の会場(郷土資料館)にほぼ10時ジャストに到着できた。それから、昭和の調査区から点検を始め、検出遺構や高さデータなどをチェックし、16時頃まで作業をする。帰りは園部あたり、沓掛あたりで土砂降りでした。帰ってきてから、翌6日の朝4時まで!復元作業をしていました。その6日は会議で続きはできず、本日7日(土曜日)、朝8:30には研究室に来て、ほぼ11時頃まで作業して、いちおうの成案にたどりつきました。
◆むろん、求められているし、自分がやるのも好きなのでやってます。とはいえ、これ本来はそっちの仕事です。古墳に詳しくないとしても、集落遺跡でもなんでも、過去の調査をつきあわせつないでいく作業は、別に専門には関係なくやる仕事だし、そう難しい作業ではないはず。
事務局移動
◆6月24日の大歴大会の日に、事務局のモノを次の関大に運ぶ日取りについて、本日7月3日かな、と相談していたものの、関係方面の日程調整を怠り、しまった!と思っていたが、みなさんの間で調整していただいておりました。本日7月3日、信利さんが荷物を運び出し、明日、関大に搬入してもらいます。編集補佐の原稿類、新着原稿なども、後始末と切り替えにつき担当と相談し、保管場所からすべて抜きました。3通来たものを処理し、それ以降は開封せずに新事務局へ送ることにします。事務員の仕事場にしていた4階も大歴関係のものはすべて運びだされ、事務局終わりが形になりました。
◆後始末と、切り替えにともなう対応はなお必要だが、できる限りのことを今週中に決着をつけたいものです。
◆不在の間の郵便物に考古学研究があり、総会の記録をパラパラ。120名ほどの会員減が100名を切っていたのかな。頭打ちに近づいていればいいのですが。この5年ほど、毎年120くらいの会員減が続き、3000を切り、2000代になってました。ピークは5000だったか6000だったか。まあ、しゃーないですな。読み物の新設が続き会誌がにぎやかになってはいるが、肝心の論文が少ないと、会員となって定期購読しようという層も増えないのでは。査読がしっかりすることはむろんよいことだが、こういう仕組みが厳格となり、ハードル高めで維持していくことが、よいのかどうか。大会もむろん大事だが、基本は会誌でしょう。質を重視するのは当然だが、投稿がのびないのでは、本筋が危ういということでしょう。余計なことを申しました。
◆後始末と、切り替えにともなう対応はなお必要だが、できる限りのことを今週中に決着をつけたいものです。
◆不在の間の郵便物に考古学研究があり、総会の記録をパラパラ。120名ほどの会員減が100名を切っていたのかな。頭打ちに近づいていればいいのですが。この5年ほど、毎年120くらいの会員減が続き、3000を切り、2000代になってました。ピークは5000だったか6000だったか。まあ、しゃーないですな。読み物の新設が続き会誌がにぎやかになってはいるが、肝心の論文が少ないと、会員となって定期購読しようという層も増えないのでは。査読がしっかりすることはむろんよいことだが、こういう仕組みが厳格となり、ハードル高めで維持していくことが、よいのかどうか。大会もむろん大事だが、基本は会誌でしょう。質を重視するのは当然だが、投稿がのびないのでは、本筋が危ういということでしょう。余計なことを申しました。
社会復帰
◆この1週間、けっこう動きがありました。アメリカ滞在中、前半はメールチェックをちゃんとやっていて、すぐに反応しなくてもいいな~、と思っておりました。が、後半、さまざまメールが飛び交っておりました。もろもろ処理してますが、なかなか追いつきません。
◆また、今週はやたら、いろいろある。
◆7月3日、そこそこは片づけた。
◆また、今週はやたら、いろいろある。
◆7月3日、そこそこは片づけた。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/27)
(01/16)
(01/13)
(01/11)
(01/05)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。