人を幸せにする人になろう

まあそんなんで

◆そのあと、きっちゃ店に入り涼み、また戻ってきました。ちなみに加西市剣坂は、昔、剣坂古墳 というのをK大学が調査し、K大時代の恩師O先生が、痩せていて、石室の隙間から中に入ったとかいう話を聞かされたことがある。
◆宝殿に送り届け、姉の家に向かい、いろいろと親の病院通いのこととか、介護の話をして、18時頃に大阪に向かう。意外とすいていて、20時前には河内国分に帰り着く。ライフで買い物をして、買ってきた日本酒を呑む。

神崎酒造

◆地酒を調べ、神崎酒造に向かう。真名井の鶴、龍王の舞、というのが2大銘柄。

柳田国男・松岡家記念館

◆横に生家があり、横に記念館がある。松岡家は8人の男兄弟ばっかり。ものすごい確率ですね。両  親に拍手。が3人は夭逝し、5人がそれぞれひとかどの人物となる。なんで福崎を離れたのか、両親は相次いで死んだとのこと、5人兄弟はなぜにそれぞれの道を歩めたのか。
◆目を引いたのは、柳田国男は東大を出てキャリア官僚になり、参議院かなんかのなんとかになり、そうすると平安時代の服装とか刀とか弓矢とかが下され、それを正装とするようですね。平安時代の絵巻にあるようないでたち。明治政府もアナクロですね。

神崎郡歴史民俗資料館

◆旧の郡役所を移築して資料館としたもの。考古資料あり。  

三木家住宅

◆2人の方が受付に詰め、概要説明もしてくれる。もとの建物は18世紀初頭、大庄屋となり、増築す る。1990年代半ばころまで、おばあちゃんが1人住んでいたらしい。2004年に福崎町に寄付。県の文化財指定は1972年だが、公開するとなると、解体修理が必要。前に来たときは、その工事中ということだったんですね。
◆公開が始まって1年程度のようです。まだ、建物は広がっているのですが、修理等ができておらず、未公開部分も多い。書籍がヤマのようにあり、1年だったか、松岡(柳田)国男が預けられ、蔵書を読みふけったとか。明治に入っての播但一揆がこのあたりから始まり、ほかでは庄屋宅が焼か れたりするが、ここは、以前から困窮したときに蔵の米を供出するなどし、そこまでには及ばなかったんだとか。しかし、この時の刀傷が、縁に残る。
◆辻川というところで、市川沿いに下ってきた銀の馬車道が折れて、この大庄屋宅の南を東に抜け、その先でまた折れ、飾磨港へ向かう。

2018年7月28日、加古川に戻る

◆朝、出勤しないで久しぶりに加古川に行くことにする。いつも無計画で、こんな調子です。9:00 頃に出て、10:30過ぎには着いた。福崎に行くことにする。志方(中谷美紀の演じた黒田官兵衛の妻の出身地)を通り、西飯坂を過ぎ、姫が峠を越えて、加西市を北上、剣坂を抜け、中国縦貫脇の道を、市川流域の福崎町に入る。
◆まず、もちむぎのやかた、で昼ごはん。福崎は、前来たときは、資料館も閉まっていたし、大庄屋の屋敷も工事中であった。

2018年7月26日(木)佐紀陵山の陸橋を見てきました

◆前方部西陸橋の宮内庁書陵部佐紀の事務所が新たに南の位置に移設され(写真)、旧事務所を撤 去。その箇所の見学会に参加してきました。いまの陸橋上面は40㎝くらいは浚渫土が盛り上げられ高くなっているようだが、そこから、そこそこ、1971年の事務所設置時に基礎が穿たれている。その時、掘り進んでいると、陸橋上面の埴輪散乱にでくわし、奈文研が調査し、持ち帰られた埴輪は組み上げられ、書陵部の展示会の表紙を飾る大型盾形埴輪となる。今日の担当者の話では、いまの建物の5m×6mの掘削の墳丘寄りの部分で、列をなすように埴輪が出土したようである。工事が進み、研究所が調査したのは埴輪の検出段階ではないような話だったが、そのへんはいずれ『書陵部紀要』でまとめられるだろう。聞き漏らしたが、1972年にも、その続きの南側で楯の基部が間隔を空けて立っていたようである。
◆地山の理解で意見が出た。わたしも上まで地山のように思われた。大阪層群の専門家に見てもら うとよい。それと陸橋を横切る断ち割りが入っているわけで、稀有な所見がえられる。東壁南北断面は、きれいに整え、きっちり線引きし、鮮明な写真と、しっかりした層位図を残すべきだ、と発言。機械で基礎を撤去した壁を一定きれいにしているとはいえ、下は遺構なので(地山だが)掘り下げる必要はないが、壁は美しい壁面に整えるべきではないか。そうでなければ、ちゃんと線引きもできまい。それと、奈文研の記録も含めて、この箇所の正式報告をしてほしい。

夏休み前に『難波宮本』の決着を!

◆といきごんだ本日でしたが、大半、大歴と市大日本史の仕事で時間を取られる。残り時間で、1本の論文を組んでいたが、これが長くてたいへん(分量が多い)。おまけにインデを上書きしちまって、1本パー(ああ、バックアップ・・・)。

西陵のトレース

◆院生がひととおりやった。等高線はぜんぶヒゲを引っ張るべし、カチッはダメ。適度に間隔を空けて、つまり密でも疎でも困る。折れ部や穴ぼこのところなど、細かい芸当もできるだけ少ない点で実現した方がよい。測点があるのに、平気でそれを逸脱するのもやめてくれ。上下の等高線をみながら、間を引くべし。古墳の等高線です、人工物をカチカチなぞるのではない。原図を見て、おかしいところもあるはず。
◆まあ、教育ですが、直していくのも大変です。なぞりながら考えるところは?。測量の仕方そのもの、古墳の等高線のあり方、原図をいかに仕上げるか、ということ。

70兆円

◆その廃炉費用。ネットから
 経済産業省自身が12月9日、福島第一原発の廃炉にかかる費用や賠償費用の総額(=原発のコスト)が21兆5000億円に上りそうだとする推計結果を公表している。3年前の2013年の時点では総額11兆円とされていたので、いきなり2倍に増えたわけだ。
 事故コストの新推計では、従来は2兆円だった廃炉費用と汚染水対策費用の合計が、8兆円へと4倍増。賠償費用は5兆4000億円から7兆9000億円へと約1.5倍に。2兆5000億円とされていた除染費用にしても、1.6倍の4兆円に膨れ上がった。
 旧推計の11兆円でさえ、東京電力ではとても賄えない金額だったため、廃炉や賠償の費用は現在、国が一時的に立て替えている。決して東電が身銭を切っているわけではない。福島原発事故後に国が設立した認可法人「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」(11年9月の発足時は、用途を損害賠償と除染費用に限った「原子力損害賠償支援機構」だった。14年8月に現機構へと改組)が9兆円の融資枠の中で貸し付けてきたのだが、新推計に伴い、融資枠も13兆5000億円、もしくは14兆円程度にまで拡大させるのだという。驚くべきことに、この融資は無利子で実行され、原資は国費、すなわち血税である。設立当初、支援機構の融資枠は5兆円でスタートしていた。それが9兆円へと引き上げられ、今度は14兆円である。
 最初は控えめな見積もり額を公表しておいて、世間のほとぼりが冷めた頃を見計らって、徐々に金額を釣り上げていく。実質上、上限額の歯止めもないため、“青天井の東電救済策”としての正体が早晩バレる――。

  老舗の民間シンクタンク「日本経済研究センター(JCER)」が新たにまとめたレポート「エネルギー・環境選択の未来 福島原発事故の国民負担」は参考になる。
 それによると、廃炉、汚染水処理、除染、賠償を併せた事故処理費用の総額は最大で70兆円と政府の見積もりの3倍以上に達する可能性があるというからだ。
 加えて、このレポートは、今や電力が充足しているうえ、原子力が他のエネルギーに比べて割安でもないにもかかわらず、政府が原発の存続を目指すのならば、「東電の破たん処理など責任の明確化」や、原発存続の「必要性の立証」が不可欠だと連ねている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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