人を幸せにする人になろう

東大・京大に投資しても

◆みな、外資企業に就職したい。頭のええのは日本のためには働かない。しかも、何ちゅうー職かを見れば、金を右から左に動かして利ザヤを稼ぐあくどいナリワイ。労働を何だと思っているのか。モノを作り出す、創造的な仕事をしてこその人間です。人のためになる仕事を応援して融資するというのではなかろう。人間のしあわせはカネではありません。何が自己実現なのか、金を収奪し、自分がエエ生活することが価値観なんでしょう、いやもっと進めば、だまして金をかっさらうというのに成り果てるのと違うか。ちゃんと働け!。
◆国費は地方国立大学にこ そ投じる必要がある。

枚方市

◆この4月に財団が解散して、市直営方式での文化財保護行政をスタートさせているとのこと。
◆大阪市はどうなった。

ひとつだけ

◆モリカケには腹が立つが、最近はなかなか書く気力もない・・・。のだが、これだけは、ということがひとつある。財務省の公文書改ざんの調査結果を、アソー大臣が発表、なぜこういうことが起こったのかとの問いに対する言葉、「それがわかれば苦労せん」だったでしょうか、これに腹が立つ。エラソーに言うことじゃないでしょ。通常でない事態が生じていて、なぜ国会議員やらソーリ夫人の名前を消したのか、国土交通省にまで出張して差し替えることまでした、それに抵抗したかった人が自殺までした。そこまでのことがなぜ起こったかを突き詰めるのが、あんたに課せられたのであって、そこを大臣が追求し切らず「それがわかれば苦労せん」では通りません。わかるまでやれ!。この言葉にもっと国民は怒らなければだめだ。八つ当たりして終わらせるわけにはいかない。
◆なんでも、やめた佐川が「方向性」を示し、それを承けて個人がやったというアホらしい説明。しかしまあ、もっともらしいいい繕いが不可能ということでしょうね。それにしても、やめた佐川が「方向性」を示し、それを承けて個人がやったというのは、日大の辞めた監督の逃げ口上とうり二つです。おれはそんなこと言ってない、学生が勝手に解釈してやっちゃったんだ、と。まったく構図が同じ。アホらし。国民の全員が組織的隠蔽と思っとりますよ。そんなこと上の指示なくやるはずないでしょ。だが、日大のなんとか君と違って、やらされた財務官僚が、誰それに支持されて作業をしました、と名乗り出ることもない。保身、保身・・・。内部告発をしようものなら叩き潰されるんでしょうね。
◆それと、いつまでモリカケという議論もあるが、そうではない。1年間、その過程には選挙もあった。ウソをつき続けて、今年になって発覚して認めたことは、1年前に認めなかったからこそ長引いているわけです。国会議員という、たいへんな給料をもらっている人たちの仕事が、お前らが正直に言わんから、その解明のために途方もない時間を費やして、国民の税金を無駄にしたわけだ。昔、小学校の先生がこういう言い方をしませんでしたか。3分遅刻したと、35人として105分の時間をお前は失わせた、みたいな。選挙結果も無効とちゃうのか。改ざんまでしていたとか、ソーリとコータローが会ったという愛媛県の文書なども明らかになっていれば、選挙結果もいくらかは異なっていたはずだ。
◆そういうウソで塗り固められた政府が提出する法律の審議のバカらしさ、例えば働き方改革法案も結論ありきのバックデータでたらめで出てきている、信用のない政府の提案説明がどこまで信じられますか。そういう問題です。
◆で、日大の理事長も、コータローも、当人は逃げ回っているわけです。卑怯者!。

近頃、そしてあと2週間

◆このところ伏見城の仕事に一定、時間を費やす。全体に調子はいまひとつ。ぜんぶやっつけたる!、という気概がない。頑張りがきかない。とはいえ、大歴大会まであと2週間、なんとか乗り切れば、ひとつ肩の荷が下りる。1年目の緊張、それによる準備にくらべると、2年目はなんとかなるモード・・・。これもあまりよくはない。仕事をいやでもしなければならないので、ややさぼり気味の現状にとっては、よいことかもしれない。
◆さて、本日(6月11日)の6月委員会後の後始末をやるか(頑張りどころですね)。

2018年6月10日、考古見学会 生駒西麓

◆9:30学研都市線東寝屋川駅(すこし遅刻)、寝屋川市資料館、石宝殿古墳、高宮廃寺、忍ケ丘古墳、四条畷市資料館、大東市資料館、堂山1号墳、石切神社(法通寺見れず)、参道商店街、枚岡神社、河内寺跡、東大阪市博物館、埋文センター、心合寺山資料館、愛宕塚。
◆1人を河内花園まで送り、次に大和路線志紀駅まで送り、河内国分18:30戻り、でした。いまは余裕なく、行程のみ。

国土地理院の・・・

◆教えてもらいました。わかりやすいですね。
◆サイトで地図一覧のところ、その左上の情報のところ、起伏を表した図→そのなかに赤色立体図 とともにある、傾斜量図というもの。これ等高線図だが、その粗密(したがって濃淡)で傾斜がわかるというものだろう。右側の機能で3Dにもなる。おそらく全域の空中レーザー測量ができあがっていて、それにより赤色立体図も、この等高線図もできあがっているのだろう。なお、陵墓はぼやかしてあるようだ。

2018年6月9日、土曜日

◆なかなか仕事がはかどりません。が、少しずつ少しずつ・・・。
◆第3の系列について、2013年の6月に歴博共同研究でちょっといじっています。ここにほぼアウトラインはできあがっているわけですが。築山がポイントですね。どのように葛城地域などの細めのものが派生したか、というところについて。

7世紀前半の古代道路

◆昨日、テジョンが狭山池博の紀要に掲載された論文の発表をした(図)。2011年の論文。TK43とか TK209ともみられる道路遺構がかなりわかっていることに驚く(長尾街道沿いのもの含めて10か所)。西除川の東と西にあるようだ。足利先生が推定していたラインでの検出事例を含む。
◆自分のファイルを見直してみると、足利説に学びながら、同じような道路復元をしていました。大阪府の条里というフォルダもあり、河内から作業をして止まっているが、大いにやる気になっていたようです。前も書いたかもしれませんが、こういうの、大阪府教委が狭山池博に委託事業で作成してもらうとか、そういうのをやってくれればいいのですけど 。

奈良は田植えのシーズンです

◆3月、宮崎に行くと田植え。5月はじめ、富山に行った時、車窓から見える滋賀県で田植え。奈良 はちょうど田植えでした。
◆法隆寺。1500円だが、修学旅行生はじめ、観光客は多い。金堂。金網でした。なんとなく昔ながら観があり、また鳥の飼育室みたいで・・・。ガラス張りでは反射するし、やむをえないのかな~、と。とはいえ、ほんとは何もないのがいいのでしょう。が、そうもいかないのでしょうか。違和感を感じた。宝物館。塑像の仏像がとてもきれいでした。常陸の国の調布というのが気になった。長さは?。現中宮寺に行ったのは小学校の時以来。父親が連れて行ってくれたのを記憶する。その時は、天寿国繍帳はホンモノでした。説明を聞いて、そこそこ感激したので、記憶に残っている。いまは奈良博に寄託。40年前という。辻褄は合っている。
◆法輪寺。昭和19年に、避雷針を軍に供出して落雷で焼失。そうでなければ世界遺産になってましたね。旧塔はいつ頃のものだったんでしょう。いや、法隆寺が670年に焼失後に建て替えられたものであるのに対し、法輪寺や法起寺は瓦から7世紀の中ごろにはあったとして、塔が創建以来のものとすれば、こっちがいちばん古いのか、とも。実際には7世紀末とかいわれているようだし、法起寺は706年とわかっているようで、法隆寺の塔がいつ建立されたのか知らないが、まあとんとん、なんでしょうか。
◆史跡中宮寺の史跡整備ができあがってきていて見学。なんでも間人の居宅のようなものは下層では見つからなかったとか。

ついでに長地型

◆奈良盆地の長地型。それとこんだけ見えれば、水路調査も十分できます。和泉市でやってた時、 もっと粗い画像で見てたわけです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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