人を幸せにする人になろう

2018年7月1日、帰国しました

◆現地時間6月30日の、ユージーンからSFOへの飛行機は7時代。空港リムジンタクシーが5時に来 る。前日17時には2階の冷蔵庫に朝の簡単な食事が用意されている。夜やはり1時ごろに目が覚めたが、そのまま2度寝し、4時起き、ホテルを引き揚げる準備をする。シャワーを浴び、歯磨きをし、荷造り。手提げにおみやげ物などをまとめる。朝食とやらを見ると、ミニカップケーキ2個、ミニバナナ、トマトジュース、もう1個なんかあったような気もするが、それを食べ階下へ。
◆4人で空港へ。5:10頃に出て5:30には着いた。ユージーンの空港は、日本の地方空港くらいの規模です。
◆今回、窓側希望にしていたのだが、ぜんぶ通路側。一方、F氏が通路側希望なのに 窓側、ホリーさんが間違ったんでしょうね。で、行きも帰りも替わってもらい、窓側を確保。サンアンドレアス断層と平行する縦の隆起の連続(写真)。大きな湖と思っていたら、GG橋だった。東から昇る朝日に、逆光だが、シルエットがくっきり。サンフランシスコの街。そこから入り込んだ海の南端まで行ってから、南から北上しSFOにランディング(8:35)。小さな飛行機で、降りてから、T字のコンクリートブロックをならべた通路にしたがって歩きました。
◆乗り継ぎは2時間程度で適当(ターミナル1)。Fさんと飲みに行く、フランス4:アルゼンチン3、の試合の終盤、そして終わった頃の話です。スパークリングとビールと。けっこう6世紀史の話をしてました。
◆そこからKIX行きに乗り換え。11:25発がやはり遅れて11:50。11時間半のフライト。映画、パウロ→2001年宇宙の旅→チャーチル→私の愛したプレジデント→スターウォーズ(行きの残り30分分→オリエント急行殺人事件。日が変わり、7月1日午後3時に関空に着き、オレゴン1週間が終わる。

2018年6月29日(金)キングエステートワイナリー

◆10:00、ゴーブルご夫妻と大学院生エミリさんの車2台で、キングエステートへ。ユージーン南へ行ったロレインというところ(約20キロ)。外のテーブルは予約できないのだが、昼前に着いたので、8人席を確保できた。
◆ワイナリーは数多くあるが、試飲と販売をやってはいても、こうしたレストランを構えているところは多くはないのだそうだ。あとからあとから人がやってくるが、お年寄りが多い。高齢化社会は、世界共通のよう。
◆15時くらいに戻り、エイモス氏は空港に向かう。残ったわれわれ4人は(2人は今朝早く既に帰国の途につく)、17:30に食事に行くことを約束し、それぞれ部屋に引き上げる(結局18:30になったが)。韓国料理屋に行く。

基本的に解散

◆そのあと場所を移し食事。ビールを頼み(パッションフラワー)、メインを頼み(ケバブにし た)、ゴーブル夫妻のなれそめを聞き、エイモスさんの奥さんとの出会いも聞き・・・、と。
◆18:30頃から21:00くらいまでいたでしょうか。明日、帰途につく人も多く、食事後、オレゴン大のみなさんとの別れを惜しんでいる。なかなか日本人はハグしたり、握手したりはしないが。4人で歩いて帰りました。

ほどほどに

◆結局また、夜中に目が覚めて、いま朝の6時半まで起きていてブログを書いてましたが、ほどほど にしておきます。
◆ホワイトロータスギャラリーでのレセプション(17:00~18:30頃だったか)。なんとか「ゆうじ」さんの展示会をやってました。値段がついており、売り物でもある。本人も来て、エッチングの説明をしてくれました。もと東住吉区針中野の出身だそうです。大阪で版画を学び、アメリカに行き、教える職をえて、いくつか点々として、いまユージーンに。ギャラリーの責任者は台湾出身、とのこと。なんでアジア的なるものが、ここOR・ユージーンで受け入れられているのか。

ウィラメット川

◆で話が途切れたが、展望台のあと川に。日本のように土手ない。だんだん下がっていって自然と川に至る。 ビールを飲みに行く。サマータイムというやつ。
◆前にも書いたかもしれませんが、ワインも有名なんですが、地ビールがはやりで、15の醸造所があり、新しいビールが次々に出て、追い付かないほどだそうです。メニューの一番上にあるビールは、CBDとあり、マリファナ入りなんだそうです。
◆そのあとスーパーマーケットにより、チーズを買う。

今回のプログラム

◆6月26日(火)第1日
第1セッション
〇自分「5世紀に始まる難波の都市的発展」
〇古市晃(神大)「日本古代の国家形成と大阪湾岸」
〇コモ‧マイケル(コロンビア大)「聖遺物・聖賢・誓約―古代と中世の四天王寺」
〇ウォーリー・朗子(オレゴン大)「太田廃寺出土舎利容器にみられるミニチュア化の象徴性」
第2セッション
〇仁木宏(大阪市大)「大阪地域の流通・都市の変容と宗教、武家」
〇大澤研一(大阪歴博)「中世四天王寺の空間構造と寺院社会」
〇ゴーブル・アンドリュウ・エドマンド(オレゴン大)「都市医者(町医)出現―(副題略)」
〇海野・マーク(オレゴン大)「大阪、蓮如、と本願寺―(副題略)」
◆6月27日(水)第2日
第3セッション
〇渡辺祥子(市大研究員)「近世大坂の薬種流通」
〇ウォーオリー・グリン(オレゴン大)「大坂は通ぜずといへどもこれをよろこぶ―(副題略)」(馬琴の出版の話)
〇塚田孝(大阪市立大)「近世日本の都市と農村―大坂と和泉―」
〇エイモス・ティモシー(シンガポール国立大)「明治初期の大阪における裁判記録から見る、徳川時代の身分法違反と地方の統治の慣習についての決定」
第4セッション
〇佐賀朝(大阪市大)「近代大阪の民衆世界と都市社会構造」
〇ヘインズ・ジェフリー(オレゴン大)「『大阪は誰にものか?』近代都市における空間と建築の生産」
〇クロニン・マイケル(ウィリアム∙アンド∙メアリー大)「谷崎潤一郎の『細雪』」
〇出丸香織(オレゴン大)・スターツシリーサラン・シンディ(アリゾナ州立大)「大阪弁と父親像」
◆6月28日(木)
第5セッション
〇マックドウェル‧ケビン(オレゴン大)・マックドウェル‧久美子(オレゴン大)「商人社会の趣味人コミュニティ:納札」
〇ヤング‧ルイーズ(ウイスコンシン大)「大阪、いわゆる第2都市の研究と新たな都市史の最前観点」
〇オレゴン大学ナイト図書館所蔵日本関係資料特別閲覧
第6セッション
〇反省と論文集企画

ユージーンの天候

◆気持ちよく晴れており、日差しはギラギラするほどだが、まあカラッとしているわけです。最近は8月は世界的な温暖化で暑くなることもあるが、あまり今と変わらない過ごしやすい気候が続くのだそうです。で冬は雨期。12月から5月までどんよりで、雨が多い。ところが、傘をさす人がほとんどいないのだとか。
◆ユージーンはウィラメット谷の奥まったところだが、町を取り囲むのは低い丘、たぶん30mもな い。それよりも高い山はあるがやや離れ、立ちはだかるようなものでなく、ゆるゆると高くなっていく向こうに、比高100mくらいの山がある、というところ。高度の高い山はもっと遠い。

アメリカ人の発表

◆まず全体として、日本側は、日本の大阪研究を知ってもらう、わかってきていることを伝える、そこにオリジナルの見方も加えるというのに対し、アメリカ側はそれぞれが原著論文を書く目的で、新しいことや、これまでの自分の研究をむろんふまえつつ新しいことを言おうとする。そこに差がある。日本側のレビュー的に対し、アメリカ側は個別的。
◆で、要旨はあらかじめ出しているわけだが、そこから発表までうんうんやっているわけです。そのへんは日本と別に変わりはないのだろうが。スタイルとして、もち時間の読み原稿を、ぎりぎりまで仕上げることを一生懸命にやるんでしょう。パワポは付帯的なんです。読み原稿を見つつ、それを明確に読む、あるいは語る、そこが大事なよう。演説文化のイメージ。まあしかし、理系は違うのかもしれませんね。数式やグラフや、表や、パワポが大事に違いありません。
◆なので、この人文の世界、いちばんつらいのは、聖徳太子の画像1枚が投影され、あとはえんえんと 英語でしゃべるもの。これは寝ます。やはりそこは準備され、パワポに論点などを文字で列挙し提示してくれているものは、和文要旨もあるので、内容は追える。
◆思い出してみると、パワポを写真1枚投影しながらあとはしゃべり、のような極端なものはやはり少なく、それなりにみなさん使っていた。言語学の発表は、データの提示など基本はパワポ。しかし「読み原稿を作って」という文化が厳然としてあるんだろうな、と感じた次第。
◆だらだら書きましたが、読み原稿(それは笑いを取るところも含めて)を用意する文化、そしてそれをもとに演説する文化、というのを感じたということです。

スキナー丘展望台

◆会議終了後(14:30くらいだったか)、市内ダウンタウン(大学のある東端から西に行く)のホワイトロータスギャラリーでレセプション、さらに夕食がセットされている。ギャラリー集合が17時なので、ヘインズ先生にウィラメット川に連れて行ってもらう。
◆ヘインズ氏は、かつて市大の宮本憲一氏のところに留学した近現代史研究者。67歳、奥さんはスペイン人で、スペインで暮らしているのだとか。完全な関西弁の日本語。「ほんまに?」、などを連発。
◆まず、川の前に展望台に連れて行ってもらう。市街地が眼下に広がっていて、建物の向きからだいたい わかるのだが、緑が多いので、道路がほとんど見えませんでした。列車も近づいてきて警笛を鳴らし続けながら駅に入ってきました(山の下)。また、ウィラメット川の流れも見える。

午後は論文集について 記事№4400

◆車に分乗し、ダウンタウンというところにあるアスレチッククラブといううところに行く。ダ ウンタウンは一般名詞でなく、町名となっている。ヘルスセンターは、オレゴン大教員のジムなどの健康施設らしい。
◆まず昼食。こういうのを食べ続けており、いま現地時間29日の3時43分ですが、お腹が張っていて、胸やけがして・・・、という状態なわけです。
◆で、食事会場の場で、そのまま午後の会議に移行する。今回の研究発表を論文集にまとめたいとのことで、それをどういうものにするのかという議論。昨日も、セッション後の討論のなか で、なぜ大阪なのか、ということが議論された。むろん日本のどの地域にも歴史があるわけだが、なぜに大阪を焦点とするかということ。そういう問題はむろんアメリカの方がより必要なんでしょう。江戸・東京でなく、大阪をテーマとすることそのもの、またそれを出版社に売り込む上で、なぜ大阪なのか、がついてまわるわけでしょう。主にアメリカ側の発言が多く、塚田先生が率直にダメ出しをするわけですが、わたしもひとこと言いました。
◆塚田先生にも改めて話をしておく必要がありますね。発言の中心は中世以前のことについてだったが、江戸時代でいえば、やはり近世都市の研究の流れとかはむこうにわからないわけです。そういう研究の方法を含めた展開を伝える文章がまずいるのでは。それと実際は多様な文書が残されていて、個別論文も多数にのぼるなかで、例えば、ここまでのことがわかる、復元できるという、典型的な事例をひとつ挙げる、ということも考えられる。そしてこれまでの研究の全部は取り上げられないし、それで全貌がわかったわけでもないが、やはり現時点の到達点のまとめ、があってよい。
◆3日最後の発表は、思い出したが、ナイトライブラリーの納札の発表後に(現物を見る前)、どうやらまとめ的な役割を与えられたヤング先生の発表があった。そこはアメリカ的に、今回の提出された要旨をふまえた総論的な発表があって、ティーチャーが噛みついたわけです。そこは日本だと、固まってしまうという風になりがちだが、アメリカでは率直な意見はそれはそれで歓迎され、日本側のまわりはひやひやしているわけですが、おそらくそうでもないのでしょう。ただ、わたしの感覚でいえば、ヤング女氏はそういう役割を与えられて、考えたところを披歴したもので、彼女の和文要旨も理解はできる。そこはティーチャーと完全に相いれないかというとそうでなく、率直に語り合えば、それこそなぜ大阪か、という答えにつながるように感じながら聞いていた。
◆で、日本の近世史側も、アメリア側のまとめに、そんなんじゃないと否定しても折り合えないわけで、上記したような、近世都市研究の流れや、方法論や、都市大坂の研究の意味といったことを伝えるようにする必要があるんでは、と思った次第。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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