人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
最後は燕市産業史料館
◆長岡から高速道路で新潟方面に戻り、燕市産業史料館に行く。ここで新潟大学の先生も合流する。展示もあったが見ず、子供がいるので体験コーナーに直行する。三条と燕は、ともに金物で発展したようだが、仲が悪いのだとか。新幹線の駅は燕・三条、高速道路のインターチェンジは三条・燕。
◆体験コーナーでは、小1の子がスプーンのメッキ、小5の子が錫の皿の成形。われわれ夫婦は銅製マグカップのタタキ。
◆そうこうするうちに、帰りの電車の時間が近づき、まだ上のお姉ちゃんが錫の皿の仕上げをしているなか、われわれは抜けることにする。
◆弥彦神社や山屋古墳なども行きたかったところ。また、豪農の屋敷にも行きたかったが、ちゃんと調べておらず、また次ですね。とにかく新潟は広大で簡単にはまわれません。桜が満開の行楽日和でした。ああ、桜の写真を撮っていない・・・。
◆体験コーナーでは、小1の子がスプーンのメッキ、小5の子が錫の皿の成形。われわれ夫婦は銅製マグカップのタタキ。
◆そうこうするうちに、帰りの電車の時間が近づき、まだ上のお姉ちゃんが錫の皿の仕上げをしているなか、われわれは抜けることにする。
◆弥彦神社や山屋古墳なども行きたかったところ。また、豪農の屋敷にも行きたかったが、ちゃんと調べておらず、また次ですね。とにかく新潟は広大で簡単にはまわれません。桜が満開の行楽日和でした。ああ、桜の写真を撮っていない・・・。
長岡市立科学博物館
◆次に長岡市立の科学博物館に行く。1946年にできたというからすごい。いまは市役所と文化ホールなどの公共施設がかたまってある場所にあるが、最初できた時は違うところだったらしい。県内第1号の登録博物館だそうです。植物・昆虫・鳥獣そして考古の4研究室で出発し、いまはもっと部門が増えています。
◆長岡藩の殿様は牧野というのだそうです。別途、牧野家史料館が、同じ建物の上階にある。長岡の城はいまの駅あたりだそうで、ほとんど地上遺構は残っていない。
◆この長岡藩、戊辰戦争時にやられ、城下も焼け、牧野家史料館の展示では、そこからの復興のことや、近代に活躍した人物を取り上げた展示がよかった。米百俵の話が有名なんですね。戊辰戦争後、支藩から米百俵が送られたが、領民に配らず、金に換え、それで学校を建てたという話。復興そして発展を支えるのは人だ、だから学問だというわけです。幕末以降の26人を取り上げた冊子を無料で配布していました。たしかに人材を輩出している。戦後すぐに博物館を立てたのも、長岡という城下町で育まれた学問や文化を背景とするのでしょう。
◆長岡藩の殿様は牧野というのだそうです。別途、牧野家史料館が、同じ建物の上階にある。長岡の城はいまの駅あたりだそうで、ほとんど地上遺構は残っていない。
◆この長岡藩、戊辰戦争時にやられ、城下も焼け、牧野家史料館の展示では、そこからの復興のことや、近代に活躍した人物を取り上げた展示がよかった。米百俵の話が有名なんですね。戊辰戦争後、支藩から米百俵が送られたが、領民に配らず、金に換え、それで学校を建てたという話。復興そして発展を支えるのは人だ、だから学問だというわけです。幕末以降の26人を取り上げた冊子を無料で配布していました。たしかに人材を輩出している。戦後すぐに博物館を立てたのも、長岡という城下町で育まれた学問や文化を背景とするのでしょう。
2024年4月14日、新潟県立歴史博物館
◆翌日、レンタカーを借り、新潟大学の先生のご家族とでかける(先生はこの日の大学でのセミナーに出席)。このご夫婦とは、インターラッドのスペインでの学会でご一緒し、われわれ夫婦と奥さんとは、セビリア観光に一緒に行って以来のおつきあいです(カミサンはその前からか)。大阪に来られた時に飲みにも行きました。その後、子供を2人出産され、上の女の子が小5、下の男の子が小1になっています。
◆家の近くの最寄り駅で集合し、奥さんと子供2人を乗せて、長岡の県立歴史博物館に向かう。
◆開館の930の10分前に着き、入り口で開くのを待つ。すぐ横には縄文の国史跡があって展示施設もあるようだが、立ち寄りませんでした。
◆県立博物館は、考古系としては縄文が特別に部屋があって、火焔文土器がずらっとならんでいました。面白かったのは、雪国の暮らしが展示の柱のひとつになっており、大阪の住まいのミュージアムのように、雪が2階の高さまで積もっている村の様子を再現しているもの。写真ではわかりにくいですね。家の本体があり、軒があって、そこは冬に通路として歩けるような造りになっており、道の中央部は、うずたかい雪の壁になっている。
◆家の近くの最寄り駅で集合し、奥さんと子供2人を乗せて、長岡の県立歴史博物館に向かう。
◆開館の930の10分前に着き、入り口で開くのを待つ。すぐ横には縄文の国史跡があって展示施設もあるようだが、立ち寄りませんでした。
◆県立博物館は、考古系としては縄文が特別に部屋があって、火焔文土器がずらっとならんでいました。面白かったのは、雪国の暮らしが展示の柱のひとつになっており、大阪の住まいのミュージアムのように、雪が2階の高さまで積もっている村の様子を再現しているもの。写真ではわかりにくいですね。家の本体があり、軒があって、そこは冬に通路として歩けるような造りになっており、道の中央部は、うずたかい雪の壁になっている。
2024年4月15日 網野銚子山をドローン撮影
◆3月の委員会での議論。2024年度は整備はサインの設置くらい。墳丘の傷みを補うなどの整備工事は基本的に23年度で完了し、いまがいちばん状態がいいと。この機会にいい写真を撮っておけ、という話。ドローンの話は自分だっかた。
◆京丹後市にドローンを貸し出したことがあり、その提案に対し、今度も機材を提供するから撮ってはどうかと、会議では話をする。が、自分でやってみたいと思い、4月はじめあたり行くかもと、会議の帰り際に伝える。とはいえ時間はなく、「草が生えてきました~」という催促を受け、4月15日に行くと。
◆10時に現地に行こうとするも、やはり片道3時間はかかりますね。
◆思い出しつつやるも、なかなかうまくいかない。風も強く、いい静止画・動画は撮れなかった。20分飛ばして1時間充電というのを4回やったが・・・。
◆京丹後市にドローンを貸し出したことがあり、その提案に対し、今度も機材を提供するから撮ってはどうかと、会議では話をする。が、自分でやってみたいと思い、4月はじめあたり行くかもと、会議の帰り際に伝える。とはいえ時間はなく、「草が生えてきました~」という催促を受け、4月15日に行くと。
◆10時に現地に行こうとするも、やはり片道3時間はかかりますね。
◆思い出しつつやるも、なかなかうまくいかない。風も強く、いい静止画・動画は撮れなかった。20分飛ばして1時間充電というのを4回やったが・・・。
2024年4月13日 新潟
◆授業が始まって第1週目が終わりました。韓国の最後あたりから、のどが痛く、それをず~と引きずっていたので、なかなかしんどかったが、金曜日あたりにはほぼ回復したかなと。博物館実習は、この2年、2クラスでやってきたが、美術史の先生が前期サバティカルなもんで、履修生34名を1人で引き受けることになり、前期はこれがしんどいですね。
◆金曜日、博物館資料保存論。この2年やっていなかったが、これもサバティカルの関係で、久しぶりに第1回目と第15回目をもつことになる。だいたい80名くらいかな~と資料を刷って行くと、100名くらいはいたのかな。金曜日、開講授業が少なく、空いてるから入れてきてるんだろう。増し刷りに戻り、なんとか1時間半しゃべる。
◆今日13日は、新潟大学の松岡篤先生の退任パーティがあり、カミさんに誘われ、ついていくことにした。明日は、レンタカーで新潟を。新潟は、25年ぶりかな。
◆金曜日、博物館資料保存論。この2年やっていなかったが、これもサバティカルの関係で、久しぶりに第1回目と第15回目をもつことになる。だいたい80名くらいかな~と資料を刷って行くと、100名くらいはいたのかな。金曜日、開講授業が少なく、空いてるから入れてきてるんだろう。増し刷りに戻り、なんとか1時間半しゃべる。
◆今日13日は、新潟大学の松岡篤先生の退任パーティがあり、カミさんに誘われ、ついていくことにした。明日は、レンタカーで新潟を。新潟は、25年ぶりかな。
2024年3月31日 いくつかの書類
◆31日〆切の書類をやっつけないといけません。それと研究費の申請書。それから2日から相生に測量に行くのでその準備。
2024年3月30日 ソウル
◆昨日のことですね。朝は7:10集合。シンギル駅から地下鉄で、漢城百済駅まで行く。地下鉄で隣にすわったおじさんと英語で会話(悲しいが)。日本人とみて、こないだ?、ツアーで下関・広島・広島に行ったというから、こっちは大阪からだと言い、5日目で今日帰るのだと。漢城百済駅に行く方法を、間違わないよう熱心に話してくれる。ソウルの地下鉄は、各停と快速(急行)があって、石村で快速を降りて各停で漢城百済が順当なのだだが、オリンピック公園駅まで行ってひとつ戻るかと思っていたが、とにかく総合運動場で下りろと指示され、言われたようにするつもりはなかったのだが、3人が下りてしまい、ひとりはドアにはさまれる。3人と3人になり、わたしは下りるつもりがなかったので残った3人側。で、次の快速停車駅で下り、オリンピック公園駅と思ったが石村駅だった。地下鉄だが確定と快速があるので、時間調整などで止まっている時間などがあり、もどかしい。ラインで漢城百済で集合としていたが、まあ結局、各停に乗ろうとすると、下りた3人が乗っていたので再び合流。
◆8:30くらいに漢城百済博に行くが開館が9時なので、夢村土城をざっと見る(1周する時間はなく、風納土城も、石村洞古墳群も省略、中央博の時間を2時間程度は取る)。
◆新しくできた漢城百済博に行く。入口を入ると風納土城の剥ぎ取りが出迎えてくれる。TK23の須恵器というのは、並んでいたのでしょうか。探してみたんですけど。
◆地下鉄でイチョンに行き中央博。集合を13時として自由行動。こちらは何度か来ているので、3階からざっと見回り、1階を見て回るとちょうどくらい。彼らは通史的展示の1階を重点的に見て時間となったようです。
◆ソウル駅から空港線に乗ろうとするが、これまた直通は指定で満席、一般となる。まあ16:55発にはちょうどくらいでした。こっちは預ける荷物なしで来ているので、学生ら4人が荷物が出てくるのを待っているところで、あとは無事帰り着くよう言い、先に離脱する。これが19:30くらいのよう。みな無事に家にたどり着いたようです。
◆8:30くらいに漢城百済博に行くが開館が9時なので、夢村土城をざっと見る(1周する時間はなく、風納土城も、石村洞古墳群も省略、中央博の時間を2時間程度は取る)。
◆新しくできた漢城百済博に行く。入口を入ると風納土城の剥ぎ取りが出迎えてくれる。TK23の須恵器というのは、並んでいたのでしょうか。探してみたんですけど。
◆地下鉄でイチョンに行き中央博。集合を13時として自由行動。こちらは何度か来ているので、3階からざっと見回り、1階を見て回るとちょうどくらい。彼らは通史的展示の1階を重点的に見て時間となったようです。
◆ソウル駅から空港線に乗ろうとするが、これまた直通は指定で満席、一般となる。まあ16:55発にはちょうどくらいでした。こっちは預ける荷物なしで来ているので、学生ら4人が荷物が出てくるのを待っているところで、あとは無事帰り着くよう言い、先に離脱する。これが19:30くらいのよう。みな無事に家にたどり着いたようです。
2024年3月29日 公州
◆テジョンのホテル7:40出発。バス停に向かう。7:53、102番でバスターミナルに向かう。昨日とはまた違うターミナル。昨日は昔からの古いターミナルだったが、こっちは路線多く、電光掲示板が壁一面に設置された最先端のターミナルでした。あとから考えると、鉄道でユソンまで行くべきでした。8:55発のバス。公州まで5600ウォン。
◆9:05着。コンサンソンの入口手前でバスを降りる。まあ1周してみようかと、基本的に城壁沿いを反時計回りにまわる。史跡整備が進み、発掘調査のトレンチもいくつもあり、うちひとつでは内部の城壁の石積みを掘っているところでした。屋外だが、屋根をかけた四阿で画像を流しているところもあった。錦江に面した側にまわると、さすがに眺めがよい。ただし、途中、晴れ間も差していたが、城壁をまわっているころは雲が薄暗く立ち込め、ぽつりぽつりと雨粒も。
◆コンサンソンを出たところで、交差点向いのカフェに入り、栗饅頭を食べる(公州は栗が名産なんだとか)。さらに隣の店で栗ケーキを買い、タクシーで国立博物館へ。いうまでもなく武寧王陵の出土品が目玉。木棺が組み上げられていました。これはすごいですね。密封状態なら、木棺そのものの部材もけっこう遺存するのだ。国立博物館のリニューアルをぜんぶ調べてみる必要がありますね。
◆そこから山越え。国立博物館は丘陵地の北側、宋山里古墳群は南斜面。新しく、なんとかという展示館もできているが、まずは古墳群手前の武寧王陵展示館を見て、これは確かにあったなと思い出した。上に少しあがって武寧王陵の入口を見る。ひきかえし、新しい展示館を見る。駐車場があり、観光案内所があり、そこの女性がすごく親切で、荷物を置かせてもらい、さらにタクシーも呼んでもらった。タクシーで錦江を渡ったむこう側のバスターミナルに向かう。
◆15時にタクシーを呼び、予定通りバスターミナルに行く。が、ソウル便は売り切れ。1時間半くらいあとだが、グレードの高いバスにする。待ち時間の間に軽く食事(アルコールは販売していませんでした)。
◆金曜日の夕刻、ソウルに向かう高速道路は渋滞していて、着は1時間程度遅くなった。バスから外を眺めると、黄砂で空気が黄色がかっていて、夕日もかすんでいた。
◆ソウルの高速バスターミナル駅から、地下鉄を乗り継いで、ホテルに行く。その後は自由行動とする。女性人はコスメやら小物の店やら、お土産物やら、そこはソウルで夜遅くまで店が開いていたらしく、けっこう買い物を楽しんだよう。われわれはコンビニでビールとつまみを買い、部屋で軽く飲んで寝ました。
【追記】この日はカメラをフル充電したつもりが充電されておらず、スマホになりました。スマホ画像を移すのがこないだ失敗したので怖いので、まだやっていない。また後にします。
◆9:05着。コンサンソンの入口手前でバスを降りる。まあ1周してみようかと、基本的に城壁沿いを反時計回りにまわる。史跡整備が進み、発掘調査のトレンチもいくつもあり、うちひとつでは内部の城壁の石積みを掘っているところでした。屋外だが、屋根をかけた四阿で画像を流しているところもあった。錦江に面した側にまわると、さすがに眺めがよい。ただし、途中、晴れ間も差していたが、城壁をまわっているころは雲が薄暗く立ち込め、ぽつりぽつりと雨粒も。
◆コンサンソンを出たところで、交差点向いのカフェに入り、栗饅頭を食べる(公州は栗が名産なんだとか)。さらに隣の店で栗ケーキを買い、タクシーで国立博物館へ。いうまでもなく武寧王陵の出土品が目玉。木棺が組み上げられていました。これはすごいですね。密封状態なら、木棺そのものの部材もけっこう遺存するのだ。国立博物館のリニューアルをぜんぶ調べてみる必要がありますね。
◆そこから山越え。国立博物館は丘陵地の北側、宋山里古墳群は南斜面。新しく、なんとかという展示館もできているが、まずは古墳群手前の武寧王陵展示館を見て、これは確かにあったなと思い出した。上に少しあがって武寧王陵の入口を見る。ひきかえし、新しい展示館を見る。駐車場があり、観光案内所があり、そこの女性がすごく親切で、荷物を置かせてもらい、さらにタクシーも呼んでもらった。タクシーで錦江を渡ったむこう側のバスターミナルに向かう。
◆15時にタクシーを呼び、予定通りバスターミナルに行く。が、ソウル便は売り切れ。1時間半くらいあとだが、グレードの高いバスにする。待ち時間の間に軽く食事(アルコールは販売していませんでした)。
◆金曜日の夕刻、ソウルに向かう高速道路は渋滞していて、着は1時間程度遅くなった。バスから外を眺めると、黄砂で空気が黄色がかっていて、夕日もかすんでいた。
◆ソウルの高速バスターミナル駅から、地下鉄を乗り継いで、ホテルに行く。その後は自由行動とする。女性人はコスメやら小物の店やら、お土産物やら、そこはソウルで夜遅くまで店が開いていたらしく、けっこう買い物を楽しんだよう。われわれはコンビニでビールとつまみを買い、部屋で軽く飲んで寝ました。
【追記】この日はカメラをフル充電したつもりが充電されておらず、スマホになりました。スマホ画像を移すのがこないだ失敗したので怖いので、まだやっていない。また後にします。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。