人を幸せにする人になろう

かんじゃ山椒園

◆紙漉きの鈴木さんが、同級生が、あらぎ島の上のところでカフェをやってるというので、行く。山椒チャイというのを頼む。旦那は、「かんじゃ山椒園」をネットで調べるとわかる。とにかく有田川は全国一の山椒の産地なのである。全国のみなさん、山椒は有田川、と覚えてください。

あらぎ島

◆清水名物、あらぎ島。そんなん知らんわ、というところであるが、川が蛇行して張り出した地点の棚田というのだろうか、まあ見てほしい。

紙漉きをやってみる

◆とにかくこのおばさん、少し上くらいの年齢だが、まあ元気で、よくしゃべる。和紙のことを語りたいのです。そして保田紙をひとりで復活させ紙を漉いて、検品や販売や、むろん普及活動も、ぜんぶ1人でやってきたと。あとでネットで調べると、有望な後継者がおられたようだが辞めてしまい、どうしよかと公募したら、手を挙げる若い女性が現れたのだとか。
◆予約してないが、体験できるということで、紙漉きをやってみました。その公募に応じた方だろう、2人の若い女性が紙を漉いており、小さなものだが紙漉きをやってみた。

清水町の保田紙

◆旧清水町に行った目的のもうひとつは、和紙の産地だから。徳川頼宣が紙を作らせたのだとか。赤玉で食事をして、「和紙の体験館わらし」に向かう。清水温泉というのがあり、その手前に「あさぎり」という物販+飲食店がありコーヒーを飲む。そこで、和紙製品を2つほど購入する。「和紙の体験館わらし」は紙漉きを申し込んでいるわけではないが、どこだろうと、その奥へ進み、駐車場に車を入れて施設の方に入っていく。
◆そしたら、おばさんに待ち構えているような格好で招き入れられる。この方、鈴木孝代さんといい方。ここ旧清水町の和紙は保田紙というのだが、かつて400軒あった紙漉きは全部なくなり、ただ一人、この人が復活させ、保田紙を守り続けている。

有田川を下る

◆いまは平成大合併で有田川町となり、下流部は有田市(箕島)。
◆きれいな川が流れ、それにそって国道が続く。この川は有田川?、有田川でした。カミさんの実家から、驚くほど近い。26キロくらい。山越えではあるが、簡単に南の有田川水系に到達できる。
◆旧清水町の中心部に到達する。赤玉という店で「わさびすし」が買えるし、食べることができる(大和八木駅内・橿原神宮前駅内でも買える)。そこに到達。わさび寿司定食で、うどんのセットを猪肉香椒麺にする。そしてあまごのお造りを単品で注文する。赤玉という店は、70年くらいになるというが、食べながら、若い大将とカウンターのなじみ客の話を聞いていると、新しく大将が店を始めたようである。


旧清水町へ

◆一旦、紀の川側に戻るため国道480号線を梨木峠のトンネルを抜けたが、旧清水町に行ってみようということになり、引き返す。カミサンの実家の長谷宮から、貴志川を渡って山を越えて旧花園村(かつらぎ町飛地)に向かう。清水町はそこから谷沿いに下ればいい。目的は、わさび寿司。柿の葉寿司ではない、わさびの葉で巻いた寿司のこと。有田川の特産とわかったのは数週間前だったか、それを買いに行こうと。
◆旧花園村に抜ける。ここまでは来たことがある。が、そこから旧清水町へ下りたことはなかった。旧清水町は旧花園村から下って行った場所だったんだ、と学ぶ。数年前、旧清水町出身の学生が日本史コースにいて、演習では旧清水町の遺跡をまとめてもらった記憶がある。有田川の上流部だということはわかっていたが、近いイメージはなかった。しかし、旧美里町いまの紀美野町から山越えで南に行けば、そこが旧清水町でした。

2024年3月17日 旧清水町

◆本日、彼岸の入り。和歌山の墓参りに行くことにする。そのあと、職場に行くか、そのままどこかへ行くか、それは成り行き。泉福寺のお墓に行くと、和歌山名物、餅撒きの準備が行われていました。初午だそうです。初午って、何?、わかってませんが。
◆そのあと家に行き、仏壇の花を新しくする。この家、義弟の名義となり、売る話になっているようだが、どうなったのかな。

2024年3月16日 公大日本史第27号編集開始

◆去年は3月2日に半分弱くらいの原稿を入れている!。今年は集まりは悪いし、入稿もこれからだ・・・。今日から4月いっぱい、またこの仕事ですね。

足尾と田中正三

◆雑誌にまとめられた講演録の末尾です。

2024年3月16日 関隆志のこころ

◆さきほどトイレに行くと、むこうに4人の人影。用を足して出てくると、声をかけられた。西洋史院生だったK君とその奥さんと子供2人。いま同志社高校で教員をやっているそうだ。しばらく立ち話をする。奥さんは、発掘で1日通いで来てくれ、土嚢づくりをやらしたらしい。いや~なつかしいね。
◆そう、今日は2002年3月に退職された古典考古学専門の関先生が昨年亡くなられ、ちょうど一年後の追悼の集まりが田中記念館で午後に開催される。それに来てくれたとのこと。わたしが赴任して2年だけだが、同僚として過ごさせていただいた。わたしの研究室には、関先生から預けられたスライドのプロジェクタと、ギリシア関係のスライド3箱分がある。
【出席してきました】なかなか味のある会でした。先生は市大のあと宝塚造形芸術大学に移られたが、2004年のNHKのBS番組でパルテノンを取り上げた時、声優の女性と現地を訪れ解説する番組に出演し、その25分程度のダイジェスト版がまず放映され、そのあと関係者の言葉、そのあと歌と、長女の方の踊り(ダンサーで神戸大・准教授)が披露された。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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