人を幸せにする人になろう

小山田遺跡

◆3月末に八木で呑んだとき、先輩の話を聞く。小山田遺跡の西にも適当な尾根先端部があり、これ が蝦夷と入鹿の墓で、これらを破壊した後、宮ヶ原古墳に遺骸を埋葬したのだろうという話を聞いた。なるほどです。2つあんのか、というところが問題だったが、ちょうど横並び、宮ヶ原が最終的な埋葬墓とする根拠はいま理解していないが、すべて説明が可能である。なるほどです。
【追記】新聞を見ると、朝日カルチャーセンターでこれに関する講座があり、舒明初葬陵説について講義するのだとか。どうするんですかね。カシコーケンが発表するのは、なんでもデカデカ報道し(弥生の米が現代のものという誤りも象徴的です)、さっそくに講座で速報してくれと。考古学の大本営発表みたいだし、それを求める需要もなんだか形成されている。根拠が希薄なのに結論めいた話をするのは、藤ノ木人骨の性別問題と同じではないでしょうか。個人的にそう思う人があってもいい。しかし、普通は組織として発表するとなれば、いろんな意見を聞きつつ、言える範囲で言及するのではないか。

相変わらず

◆市大日本史の論文5本、合同調査、購読など、大物はすべて入稿済みとなり、なんとか今号も間に 合うのではないか、との見込み。ここまでの進捗(戦いの記録)を出しておこう。
◆朝から、芦部町の図を作る。どうしても正方位だと表現が難しいので、条里にあわせて振る。昨年の合同調査の時に気づいたが、結局のところ、芦部町は坂本郷の、ひとつの里の単位が旧今在家村の村域となっている。今在家の名が示すように、村落成立は比較的後発と考えられるが、東の坂本、西の一条院から、どっかの段階で村域が独立したわけだが、それは古代的な36町を単位とする1里を基準としており、それを考えると、村そのものの成立は遅いとしても、今在家村となる 坂本郷域内での耕作の単位としての里は、伝統的に存続していたと考えられると思う。これ古代的なものが変容し中世でも意味を持ち続けた土地の単位であり、日本史上、きわめて重要だと思うんですけどね(カン)。実にものの見事に条里を基準に村域が作られているわけだ。
◆なお、右上は坂本寺のある段丘上の正方位地割の認められる部分。それと、切り離された右側になる坂本村の、太田井の水掛かり範囲は狭く、太田井が灌漑する主たる田地は、この芦部町の水田。これこそ5世紀に根使主弾圧にともない茅渟県主の袋かつぎとされた坂本氏が入植し、6世紀に開発を進め、推古朝の4大夫の1人糠手を生み出した生産基盤なのである。蘇我氏とも近く、軽寺式の坂本寺を640年代には建立させる。坂本糠手がここで生まれ育ったと考えれば、楽しいではないか。
◆さて次は信太山の戦後の図にとりかかろう。
【追記】芦辺町の図、信太山の戦後の図、門林家の系図、この3つの図面に7時間を要した!

今回の主要図カラー版

◆今回は、カラーデータを作ってモノクロにして資料に載せたのでなく、初めからモノクロで作っ たので、それをカラーにする作業がめんどうくさかった。資料集ではモノクロだ が、パワポを作るときにカラーにした主要図を挙げてお く。岡村さんの鏡の分布図もデータ化しとかなあかんな。

まあなんとか

◆第1日目終わり、懇親会。学生もかなり参加。が、もっとも遠隔地は鹿児島大で、愛媛大、あとは 関西圏だが、特定のところのよう。19時に始まり、21時には終わったんだろう。ひとつも食い物を口にしなかったので、おにぎりを食い、パワポの仕上げに。一通り終えたあと、初めから見直し、文字送りとか、フェードのスピードとかも調整。最後に2003で作業したデータについて、パワポ2010でのチェック。これでほぼ2時半。
◆実は、ポインター兼パワポの送れるヤツを忘れたと思っていて、実行委員長にあったら用意して欲しいと頼んだが「ない」と言われ、「しゃーない、演題でやるか」と答えつつ、PCを手にもつかと思い始めていた。で布団に入って、ふと、忘れないように、先週の授業で使ったあと、カバンに入れた記憶がよみがえり、起きて確認するとあった。これで安心して眠りにつく。
◆翌日は3番目で11時から45分、ちょっとオーバーして、最後は少々ハショリが生じたが、まとめは要点を打ち出し、まあなんとかやれたのではないかな。とはいえ、代表委員やディスカッション担当の方から、秋以降、顔をあわすたびに「頼むわ」と言われ、気合いを入れてやったつもりだが、寂しいのは会場に人が少なかったこと。弥生博で関心ある市民の前でやるほうが、よほどやる気が出る。
◆再び院生を3人乗せて岡山を出て、わりあいスイスイと帰宅。

考古学研究会にでかける

◆18日、10時天王寺集合で院生3人を乗せて岡山へ出発。高速を降り、岡山市街地で飯を食い、岡 山大学へ。総会に出よというので、13:30に間に合うよう無事に到着。院生等は手前で下ろし、講演が始まるまで、県博、岡山城へ行ったようだ。
◆総会。思った以上に深刻なんでしょうね。質問は主任文化財調査官のひとつのみ。あとはしゃんしゃん。どこの学会でもそうだろうが、ウルサ方の質問への対処といった緊張感はほとんどなく議案通過。こっちも発言することはないし、偉そうなことは言えない。が、考古学研究会のことも、すこしは考えるようにしたい。
◆例えば、大きな学会の会員減少は共通した課題である。が、その一方、考古学研究会固有の問題もあるわけだ。うちの院生の意見も聞いたが、それはそれで参加する若い院生等がどう思っているかを、率直に把握するためにはどうすればいいのかも考えて欲しい。アンケートをお願いする、だけでは無理だろう。まあ、それは横に措き、大会のあり方もそのひとつ。自分の関心でいえば、日本史上の重要な課題に対し、それを一歩進めるような具体のテーマ設定の方が性にあっている。今回のような方法論のことでもよい。でも例えば無理に学際的研究とかいわずとも年代論でいいのではないか。実質、そうなわけだし。たとえば弥生時代の開始年代だって、決着をつけてほしいのである。
◆会誌のこととか、いろいろある。大歴で研究部強化特別委員会を作って、アンケートを取り、今後の方針を総会で報告したことを思い出す。それが共有されていないとか、継承されていないとか、あかんな、とはよく思う。が、けっこうアンケートの回答は多かったし、その意見を取りまとめるとともに、特別委員の意見を聞きながらまとめた記憶がある。大歴の規模は小さく、講読会員は全国区でも実質はローカル。市民との関係がひとつの課題。高齢化社会、裾野は無限大に広がっている。
◆博物館経営論の授業を思い出す。『博物館研究』に載っていた論文をこないだの授業で紹介した。博物館経営とは、形而上学でも、理想とか理念ではない、泥臭くナマの問題。モスクワの国立古生物博物館は、ソ連解体の社会不安のなかで資料は散失したのに対し、もと私立のダーウィン博物館は、学芸員が交替で資料を守って生き延びた、という対比の話だった。博物館を守るのは、あなた任せでない学芸員の当事者意識といったところ。日本の博物館でいえば、経営とは事務方の仕事で、学芸は研究と展示をやってりゃいいのですよ、という話ではないと。公立博物館はむろん公立で、学会は任意の団体であり、違うわけだが。尻切れトンボですが・・・。

なんとか終盤まで来た

◆夜やっても1時半くらいまでしかもたないし、そうすると朝が遅くなり・・・。ちゃっちゃと寝て、朝は6時半には起きて、8時半くらいに職場に行くのが結局は効率的か。今日は、新たに就任した文学研究科長の、最初の仕切りの教授会。マシンガンのように進行し、2時間余りで終わったのか。会議というのは、むろん決まり切ったことの確認などつまらない面はあるが、それをも含めて情報を共有し、その都度、必要な対処をするための意思疎通ならびに意見交換の場。幹部はしかるべき全学の会議に出て、そこで議論されていることを率直に紹介し、どういうスタンスで対処すべきか、構成員に投げかける必要がある。メリハリは賛成するが、ひとつひとつ十分な理解を求めることも必要で、そのためには丁寧な、したがって理解してもらうための説明時間も必要だろう。
◆とはいえ、こっちも余裕がなく、ついでに疲労から眠りに落ち、あまり褒められたものではない。ただ今日は、15:45には終わり、22時までパワポを作る時間ができた。これでなんとか最後のまとめのあたりまできた。終わらしてしまいたいが、気力も途切れ、まあ明日もあるしと・・・
◆しかし考えてみれば、レキハクの弥生の共同研究によく誘ってもらったものだ。これは感謝しなければならない。そうでもなければ、あんな論文を書くこともないし、今度の考研の大会報告を依頼されることもなかっただろう。なにごともチャレンジです。専門も分化し、自分の領域を出ないでもいいのだが、しかしやったことのないことでも、やれば勉強になるし、なにがしか認識は深まる。条里制のこともそうである。なんでもかんでもできるわけではないが、もっと貪欲にチャレンジしたいものである。横穴式石室もまだ専門とはおこがましくも言えないが、やりたいことはやればいいのである。このへんでもう広げない、という守りに入らないことだ。

あ~あ

◆水曜日は比較的空いているんだが、本日木曜日は考古学の大学院の授業と研究会で、朝から、今日でいうと17時まで。院生らはそのあと、遺物の後始末の作業をしてくれた。比較的時間のあった昨日、そして今日、空いている時間は、結局、市大日本史で終わった。昨日は信太山丘陵の陸軍演習場の地図を作成した。今日は、新しい校正が送られてきたり、直しが済んで帰ってきた校正が何本か届けられ、すべて片づけると今20時です。考古学研究会のパワポは10枚くらいで止まったまま。明日は教授会で11時以降はず~と会議だし。
◆よう仕事するもんだべ。自分で言わないと、誰も言ってくれないし・・・。
◆考古学研究会が終わると、なんと市大日本史の書評原稿を仕上げないといけない。5月16日刊行なんですけどね。難波宮京ですわ。それと難波宮研究会。前年度最後の3月の研究会のあと、継続することにし、5月17日(大阪の住民投票の日)に設定したのはいいけれど、何をするか候補を考えないまま日が過ぎ、そうなると流さないとすれば自分でやるしかないから、難波宮京の設計についてやると宣言してしまった。あ~休めん。GWは別のある仕事を完了させる予定で、それが済んで1週間で研究発表にもっていく必要がある。前に出したように、高麗尺で説明がつくとの見通しはあり、それをある程度きっちりやるということが課題。

授業が始まり、

◆金曜日の博物館資料論に行くと、受講生があふれかえっている。あとで聞くと200名余りだと か。やはり試験は必要ですね。ほんとに資格を取ろうと考えている履修生には、よくない。
◆文科省の言いなりになる大学競争からは降りるべし。
◆阪神首位という短すぎる春。
◆朝日文庫の『学力と階層』というのをカミさんが読んで、いろいろ教えてくれる。
◆学校教員の学力が下がっているという話。例えば大阪府。あんな教育長のもとで学校教員なんてやってられないでしょうね。むろん、その前からの激務やら、管理など、学校の先生の世界がせちがらい魅力の薄いものになってしまってきている現実。意識はあっても、実情の前に教員になるのをやめるようになっている層があるのだろう。そういう層が別職に就き、優秀な層が先生にならなくなることで、以前なら合格しなかった層が採用されているのではないか。
◆『日本語の科学が世界を変える』という本があるそうだ。科学の世界で、それぞれの国で、母語の教科書がちゃんと作られているかといえば、ないんだそうである。英語の教科書で勉強するのだとか。英語ができてよろしい、という話ではない。ちゃんと日本語の専門用語が作られ、訳本でなく、日本の専門家が日本語で教科書を書き、それによって大学教育が行われる。それによって、借り物ではない科学的思考ができるのだそうである。そりゃそうですよね。真理の世界であって、英語でないと理解できないというものではない。概念をそれぞれの言葉で表すことができるはず(ただし蓄積は必要だろうが)。それにより母語の言語体系のなかで、英語のやつらと同等の思考を働かせ研究をすることができる。英語の教科書でもできないことではないのかもしれないが、そのへんはわからないが、そこは英語の枠にとらわれることは、思考や発想も制約を受けてしまうのかも知れません。少なくとも普及にとっては絶対必要だ。英語の教科書で勉強し研究するとなると、限られた人数になるにちがいない。そこは日本語の教科書があることで、誰でも、内容は難しくとも、日本語で学ぶことができる。それが世界を変えるかどうかはまた別だろうが、少なくとも対等に勝負できるわけだ。

ええかげんシンドイ

◆月曜3限に今季から始まる大阪の歴史演習なる科目があり、準備するも、10:40から大学史資料室 の移転WGの会議に行く。12時を過ぎ、戻ってから初回に配るものを残り整え、13時に授業に行く。それから、兵庫城を終わらせ、市大日本史の論文1本の入稿準備をし、19時。
◆そこから明日の授業の準備。明日は4つある。うちひとつは博物館経営論で初回とラストのみの担当。ふたつは実習。ひとつが考古学の講義。で、博物館経営論の初回の資料につき、昨年度のものを出してきて改良を加えているが終わりません(追記:水曜日でした。なんで間違って認識していたのかわかりません)。考古学の講義は、19日の予行演習をしようと、それにむけてパワポを作ろうと思っておりましたが、いま20:30を過ぎ、無理ですな。さて、どうするか。まあなんとかシャベリでカバーか。
◆考古学実習は301への遺物引っ越しから始めようか。博物館実習Ⅰは、ガイダンスだが、前期は大学ミュージアムとの関係で考えることがあり、ここ3年のやり方を変えようと思っているのだが、明日までに準備できるかな~。
◆けっこうしんどく頭が重い。帰りたいところだが・・・。依然、パワポは0枚である。

喜界町遺跡ガイドブック

◆喜界町でお世話になった卒業生は、3月で辞し海外青年協力隊の研修に入る。1月にあった城久遺跡群のシンポジ ウムなどの資料を送ってくれた。そのなかにガイドブックも入れてくれており、裏表紙は彼女の絵であったので紹介します。こういうのを描けるのは、とてもいいことだ。考古もそう。原図は手描き、次はトレース、こういう絵でも肉筆でもそのまま使える洗練の仕方もあるし、ペンタブでデジタルで描けるようになれば、なおと思う。こういうのはペルーでも役立つに違いないと思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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