人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
安倍君の米国会での演説
◆中身じゃない。なんで英語でやらんといかんのか。オバマ君が日本の国会議事堂で、へたな日本語で演説しません。同じ米国会で、中国のシュウキンペイは英語ではやらんだろ。フランス大統領だって。用意された原稿があり、それを英訳し、同時通訳すればいいのである。英語のうまいヘタは別の話です。なんでやねん。いちばんカッコいいのは、直前までオバマ君や議長などと流暢な英語で話をしつつ、演壇に立つや日本語でやる、というのが独立国というものでしょ。
◆ついでに英語。あの人、中学校や高校で、まともに英語をやってたんでしょうかね。
◆ついでに英語。あの人、中学校や高校で、まともに英語をやってたんでしょうかね。
古賀クンはどうしている
◆報道ステーション、自民党の呼びつけ、ありましたよね。ひどいですよね。古賀さんが思いあまって不規則発言をしたのは、テレビ制作側としては問題とせざるをえないんだろう。が、自民党が呼び出す権利がどこにあるのか。新聞と電波の違いがあるのかもしれないが、テレビは出演者に厳重抗議し、訂正とか取り消しとか、テレビ上で会社の措置を説明すればよいのだ。自民党の呼び出しに応じる必要はない。
◆で問題は事実関係なのだが、これまでのところ本人の説明は聞かれない。少なくとも、官房長官など官邸サイドからの圧力があったなら、そのことを堂々と主張して欲しい。この事実関係が、この問題のすべて。もうテレビ側が出演させることはないかもしれないが、週刊誌ならやるべきだし、本人が間違ってないというなら、いろんな手段で圧力を受けた事実を公表してほしいのだが、いまのところ音沙汰なし。これ、どういうことなのか、推し量りかねる。事実、なかったのか。いまの自民党なら週刊誌まで取り上げるなと通告しそうでもあるし。とはいえ、ネット社会で、ネット上に発表してもいいし、書いたものを報道各社に投げることもできるだろう。いったいぜんたい、どういうことなのか、わからん。
◆で問題は事実関係なのだが、これまでのところ本人の説明は聞かれない。少なくとも、官房長官など官邸サイドからの圧力があったなら、そのことを堂々と主張して欲しい。この事実関係が、この問題のすべて。もうテレビ側が出演させることはないかもしれないが、週刊誌ならやるべきだし、本人が間違ってないというなら、いろんな手段で圧力を受けた事実を公表してほしいのだが、いまのところ音沙汰なし。これ、どういうことなのか、推し量りかねる。事実、なかったのか。いまの自民党なら週刊誌まで取り上げるなと通告しそうでもあるし。とはいえ、ネット社会で、ネット上に発表してもいいし、書いたものを報道各社に投げることもできるだろう。いったいぜんたい、どういうことなのか、わからん。
今日はいったい何をしてたんだろう
◆GWでやろうとしていたことは1/3止まり。ずるずるやってられないので、毎日少しずつ・・・。今日は、大学史運営委員会というのに初めて出る。この会議ひとつだけだったので、この1ヶ月以内で処理できていないことを片付けようと思ったが、例の大阪の歴史演習と、考古研同窓会のことで終わってしまったではないか。博物館実習Ⅰとか博学連携とか、大学ミュージアムのことをするのが本筋なのだが・・・。
◆最近は、時事問題でブログを書いていない。いろいろネタは思い浮かぶが、書く気力があまりないのです。住民投票は反対が上回っているとの世論調査で、ほんまかいなと思いつつ・・・。投票率がそれなりに高く、浮動票の動向もあるだろうが、世論調査の比率がそのまま反映するのかもしれません。大阪市民でないので、どっちかに投票する決断を迫られるわけではない。傍観者。維新は嫌いだが、この住民投票に絶対反対でもないのである。大阪市民だったなら、どっちに入れるだろうか。大学の統合問題について言えば、否決され、政治的でない土俵で両大学で話を進めることを望んでいる。反対する側の説得力が乏しい。歴史とか文化とかいうが、大阪市だって何度かの合併で大きくなってきており、大阪市という今のまとまりが絶対的なものとは思わないし、大阪市がなくなっても悲しくはない。5区分割というのは制度的には悪くはない、と思うし。
◆しかしよくぞここまでもってきたものだと思う。大阪市民の判断に委ねるほかない、というところである。
◆最近は、時事問題でブログを書いていない。いろいろネタは思い浮かぶが、書く気力があまりないのです。住民投票は反対が上回っているとの世論調査で、ほんまかいなと思いつつ・・・。投票率がそれなりに高く、浮動票の動向もあるだろうが、世論調査の比率がそのまま反映するのかもしれません。大阪市民でないので、どっちかに投票する決断を迫られるわけではない。傍観者。維新は嫌いだが、この住民投票に絶対反対でもないのである。大阪市民だったなら、どっちに入れるだろうか。大学の統合問題について言えば、否決され、政治的でない土俵で両大学で話を進めることを望んでいる。反対する側の説得力が乏しい。歴史とか文化とかいうが、大阪市だって何度かの合併で大きくなってきており、大阪市という今のまとまりが絶対的なものとは思わないし、大阪市がなくなっても悲しくはない。5区分割というのは制度的には悪くはない、と思うし。
◆しかしよくぞここまでもってきたものだと思う。大阪市民の判断に委ねるほかない、というところである。
5月10日、考古見学会
◆院生と葛城の遺跡をまわる。橿原市の博物館、新沢千塚、鳥屋みさんざい、桝山、小谷、岩屋山、束明神、市尾墓山、宮塚、市尾瓦窯、掖上カンス塚、條ウル神、室宮山、風の森峠、南郷、笛吹神社古墳、葛城市博物館、北花内大塚、二塚、平林、当麻寺、二上山博物館、平野1号墳、平野塚穴山、尼寺廃寺、牧野、新山、乙女山、です。よく回りました。9時から19時まで。
◆初めてのところを中心にもうすこし書いておこう。橿原市の博物館はオープン1年。その前は狭い 1室だけだったが、立派な博物館としてリニューアルされ、なかなかよかった。高台・峰寺は前からちゃんと行きたいと思っているが、なかなか基本的なことがわからない。遺跡地図のための分布調査くらいしかないんだろうと思う。高取町が確認調査に着手しており、宮塚のある丘陵西斜面なので寄ると、調査場所にシートがかけてあり、よくわかった。瓦がぱらぱら落ちている。高台・峰寺の瓦窯群全体は相当な規模になると思われるが、前に『古代学研究』にチラと書かれているのを見ていたが、調べてないので、どの範囲に広がるものかわからず。もう一度、ちゃんと調べた上で冬場に踏査したいもの。笛吹神社の横穴式石室にはじめて行く。が、入れないようにしてある。葛城市の博物館は何度も 行っているが、なかなかよかった。企画展もよかったが、常設展も寺院関係など充実している。ちゃんとした企画展を続けている。二上山博物館では、下田東の木棺下のTK23の須恵器がならべてあり、しげしげと見る。例の邪馬台国シンポジウムも続けており、あれも貴重な資料集となっていると思う。尼寺廃寺は、塔の基壇を発掘していたのが90年代後半、その後、寺域の調査を進め、史跡指定され、整備されたことを知る。まだ芝生を貼ったばかりで、駐車場等の外構工事も続いており、正式オープンはまだのようだが、既に近所の子供らが遊んでいる。乙女山は、馬見丘陵公園のなかでどう位置付けられているのか知らないが、なんだかオマケというのか、悪く言えば邪魔者というのか、花や緑をテーマ としつつも、その一画に古墳があることもきちんと位置付けてほしいが、遮蔽して見えないようにしているように感じられる。内部も立木を整理するなどの管理をやっているようには見えないし。
◆初めてのところを中心にもうすこし書いておこう。橿原市の博物館はオープン1年。その前は狭い 1室だけだったが、立派な博物館としてリニューアルされ、なかなかよかった。高台・峰寺は前からちゃんと行きたいと思っているが、なかなか基本的なことがわからない。遺跡地図のための分布調査くらいしかないんだろうと思う。高取町が確認調査に着手しており、宮塚のある丘陵西斜面なので寄ると、調査場所にシートがかけてあり、よくわかった。瓦がぱらぱら落ちている。高台・峰寺の瓦窯群全体は相当な規模になると思われるが、前に『古代学研究』にチラと書かれているのを見ていたが、調べてないので、どの範囲に広がるものかわからず。もう一度、ちゃんと調べた上で冬場に踏査したいもの。笛吹神社の横穴式石室にはじめて行く。が、入れないようにしてある。葛城市の博物館は何度も 行っているが、なかなかよかった。企画展もよかったが、常設展も寺院関係など充実している。ちゃんとした企画展を続けている。二上山博物館では、下田東の木棺下のTK23の須恵器がならべてあり、しげしげと見る。例の邪馬台国シンポジウムも続けており、あれも貴重な資料集となっていると思う。尼寺廃寺は、塔の基壇を発掘していたのが90年代後半、その後、寺域の調査を進め、史跡指定され、整備されたことを知る。まだ芝生を貼ったばかりで、駐車場等の外構工事も続いており、正式オープンはまだのようだが、既に近所の子供らが遊んでいる。乙女山は、馬見丘陵公園のなかでどう位置付けられているのか知らないが、なんだかオマケというのか、悪く言えば邪魔者というのか、花や緑をテーマ としつつも、その一画に古墳があることもきちんと位置付けてほしいが、遮蔽して見えないようにしているように感じられる。内部も立木を整理するなどの管理をやっているようには見えないし。
大阪の歴史演習
◆金曜日、下見に行く。平野区民センターから出発するつもりだったが、言ってみるとフロア奧の展示の手前が住民投票の投票所となっており、仕切り板が並べられ、まさに記入する投票現場そのもの。期日前投票もあるので、使用中。1人だったので、隙間を開けて、入れて貰い見学するも、1人の職員があやしいことをしないかどうか監視つき。で、あした7人を案内したいんですけど、と言うと、それは無理、理解して欲しいと・・・・。
◆まあ仕方ないので、平野区画整理記念館から出発することにする。なので集合場所の変更。
◆寺田町から難波大道をすこし北上し、国分寺に寄り、俊徳街道で御勝山古墳へ。俊徳とはなにか。俊徳街道とは何か。ネットから拾うと、「謡曲『弱法師』や浄瑠璃『摂州合邦ケ辻』、説経節『しんとく丸』の題材となった河内高安城主の長男俊徳丸から名づけられた高安と四天王寺南門を結ぶ「俊徳道」。四天王寺南門を起点に勝山・巽・小路・三ノ瀬(東大阪市)で十三街道に合流」とある。この俊徳街道がよかった。
◆まあ仕方ないので、平野区画整理記念館から出発することにする。なので集合場所の変更。
◆寺田町から難波大道をすこし北上し、国分寺に寄り、俊徳街道で御勝山古墳へ。俊徳とはなにか。俊徳街道とは何か。ネットから拾うと、「謡曲『弱法師』や浄瑠璃『摂州合邦ケ辻』、説経節『しんとく丸』の題材となった河内高安城主の長男俊徳丸から名づけられた高安と四天王寺南門を結ぶ「俊徳道」。四天王寺南門を起点に勝山・巽・小路・三ノ瀬(東大阪市)で十三街道に合流」とある。この俊徳街道がよかった。
茶すり山
◆で、北上し高速道路で和田山まで行き、茶すり山をめざす。そちこちに竹田城見学の臨時駐車場 があり、その人気に驚く。麓のガイダンス施設で映像を見てから上に上がる。竹田城もよく見える。
◆そこからSA・道の駅に併設された朝来市のマイブンセンターに行く。えらい人です。GWはあなどれない。このうちのかなりは竹田城に上がったのでしょうか。城の山の三角縁神獣鏡もあった。茶すり山も。展示はちょっとあっさり目かな。
◆これで引き上げたが、いろいろガイドマップなどを手に入れ、目を通した。まず竹田城は上ってもいいのだが、下の町並みをゆっくりまわりたい。それとやはり生野に行くべきですね。生野銀山は播磨にとって重要でしょう。江戸時代以来の鉱山町、近代以降のものを含め、鉱山その場所、選鉱場とともに、やはり本拠地として見るところが多そうである。またこの次。
◆そこからSA・道の駅に併設された朝来市のマイブンセンターに行く。えらい人です。GWはあなどれない。このうちのかなりは竹田城に上がったのでしょうか。城の山の三角縁神獣鏡もあった。茶すり山も。展示はちょっとあっさり目かな。
◆これで引き上げたが、いろいろガイドマップなどを手に入れ、目を通した。まず竹田城は上ってもいいのだが、下の町並みをゆっくりまわりたい。それとやはり生野に行くべきですね。生野銀山は播磨にとって重要でしょう。江戸時代以来の鉱山町、近代以降のものを含め、鉱山その場所、選鉱場とともに、やはり本拠地として見るところが多そうである。またこの次。
明延に足をのばす
◆そのあと山越えし、一宮町に入り(播磨一宮伊和神社がある)、北上して但馬に抜ける。ここ も町村合併で養父市となっている。で明延。
◆錫鉱の発見は大きく、全国から掘り屋が集まってきたらしい。昭和31年で4000人の人口があり、鉱山従業員は1500人だとか。谷間に町ができたわけです。テニスコートやプール、映画館、不足する住宅対策としての集合住宅などなど。軍艦島が著名ですが負けていません。高度経済成長期まで、日本の工業発展とともに特異な町が出現したわけです。谷間に沿って、いろいろと見るところがあります。南から入っていったので、見学坑道の入り口を見て、近傍の資料館に行く。展示施設があり、また見学坑道の出口がある。駐車場にけっこう車があるのに資料館には誰もおらず、10:30からの見学に来た人たちで、資料館見学を終える頃、坑道から出てきていました。20人くらいはいたでしょうか、けっこうな人気ですね。これガイド料が けっこう高いが、コースを見ると、かなりの長さだし、その値打ちはありそうです。いつもは3日前までの予約が必要なんですが、この日はGWで飛び込みでもOKだったんですが、時間なく入りませんでした。それから旧小学校の滞在施設、それと1円電車の試乗ができる見学者用便益施設に行きました。そこで腹ごしらえをしました。ここにはかなりの人が集まっています。鉱石の道の歴史遺産の活用事業はかなり成功しているようです。経産省の近代化産業遺産に選定されたのと、生野は文化的景観になっているようで、やはり生涯学習の需要の重要さがわかります。
◆1円列車の試乗は1円で、4人で4円を払いました。これは作りもんのレールですが、もともとの軌道の600mほどをもう一度電車を走らせる事業を進めており、寄附を募っているようです。帰り に
北星住宅という、先の集合週宅に立ち寄り、これも見学施設にリニューアルしたところらしく、内部の展示を見たかったが、残念ながら先を急ぐことにする。
◆明延の閉山は昭和62年。ほぼ昭和とともになくなった。こないだまであったということです。ガイドさんも、ヤマで働いていた人たち。閉山の石碑を見ると、むろん外国の錫とも競争していたわけだが、円高に勝てず、という理由が挙げられていた。資源の枯渇でなく、まだやれるが、価格競争に勝てないということのよう。
◆錫鉱の発見は大きく、全国から掘り屋が集まってきたらしい。昭和31年で4000人の人口があり、鉱山従業員は1500人だとか。谷間に町ができたわけです。テニスコートやプール、映画館、不足する住宅対策としての集合住宅などなど。軍艦島が著名ですが負けていません。高度経済成長期まで、日本の工業発展とともに特異な町が出現したわけです。谷間に沿って、いろいろと見るところがあります。南から入っていったので、見学坑道の入り口を見て、近傍の資料館に行く。展示施設があり、また見学坑道の出口がある。駐車場にけっこう車があるのに資料館には誰もおらず、10:30からの見学に来た人たちで、資料館見学を終える頃、坑道から出てきていました。20人くらいはいたでしょうか、けっこうな人気ですね。これガイド料が けっこう高いが、コースを見ると、かなりの長さだし、その値打ちはありそうです。いつもは3日前までの予約が必要なんですが、この日はGWで飛び込みでもOKだったんですが、時間なく入りませんでした。それから旧小学校の滞在施設、それと1円電車の試乗ができる見学者用便益施設に行きました。そこで腹ごしらえをしました。ここにはかなりの人が集まっています。鉱石の道の歴史遺産の活用事業はかなり成功しているようです。経産省の近代化産業遺産に選定されたのと、生野は文化的景観になっているようで、やはり生涯学習の需要の重要さがわかります。
◆1円列車の試乗は1円で、4人で4円を払いました。これは作りもんのレールですが、もともとの軌道の600mほどをもう一度電車を走らせる事業を進めており、寄附を募っているようです。帰り に
北星住宅という、先の集合週宅に立ち寄り、これも見学施設にリニューアルしたところらしく、内部の展示を見たかったが、残念ながら先を急ぐことにする。
◆明延の閉山は昭和62年。ほぼ昭和とともになくなった。こないだまであったということです。ガイドさんも、ヤマで働いていた人たち。閉山の石碑を見ると、むろん外国の錫とも競争していたわけだが、円高に勝てず、という理由が挙げられていた。資源の枯渇でなく、まだやれるが、価格競争に勝てないということのよう。
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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。