人を幸せにする人になろう

小造山は

◆測量報告書は出てこず、既存資料のスケールもない図で・・・。ぱっと見の印象が市野山だったもの で。
◆かなり土曜日のネタ仕込みができた。あとはなんですかね。佐古田か。宿寺山は。いや~、時間があれば3時間弱でこれくらいできるんですね。

神宮寺山

◆都市計画図ではね~。でもこれにある復元線でいけば120歩166mという規模ですね。われわれは キンクラ以上に、神宮寺山の偉大さを思い知る 必要がありますね。東大寺山クラスで すよ。規模からするとより大きい!
【追記】岡山市史の測量図をネットから拾いました。アラアラではありますが。
◆ついでに網浜も。

中山茶臼山

◆行燈山です。重なり方を見ると、茶臼山の東北の斜面部についても一定の説明が可能だと思う。 大枠は2段分なんだけど。後円部径はそこまで取れず、しかし行燈山後円部径の分を張り出させて大きさを実現しているように思う。
◆これで4世紀前葉の話がひとつ。吉備津彦でもおかしくはない。丹後の湧田山もそうだし、会津大塚山古墳も。四道将軍といったとたん袋だたきに遭うが、4世紀前葉が王権の伸張の画期であると思っており、四道将軍の伝承もそれを反映すると思っている。
◆でキンクラは五社神でばっちりなんだが、陵山型がほしいところ。神宮寺山なんでしょうか。さて、神宮寺山の図はどこにあったか・・・。岡山市史だったですよね。
【追記】すごい、リポジトリがある。が旧図はないような・・・

次は浦間

◆西殿ではないかと意見にヒヨリましたが、ちゃんとやったらやはり箸墓と考えるのが妥当でしょ う。

まずは楯築

◆円丘部径35歩48mでしょう。南面の突出部の墳端が説明できるかどうかは定かではないが。別 途、西谷もやってますが、これもいけますよ。

大学史にずぶずぶと

◆博物館実習展を通して、大学史資料室にお世話になり、学情にお世話になりしていた。が、前年度末から、大学史移転のWGのメンバーとなり、また4月から大学史運営委員会の文学部委員となり、会議があって、深みに入っている。学長裁量経費の原案を書くことにもなった。展示設計の委託費を取ってくるための申請書である。別途、構想中の大学ミュージアムとは切り離した形ではあるが、既に大学史の展示設計にかかわりつつあるということだ。生活科学の先生のところで絵は描いてくれるのも大きい。展示室壁面や空間や、そこを出たフロアの展示など、こっちで絵も描いてみたい気もあるが、そこは切り分けておこう。

翌日17日は難波宮研究会

◆で難波宮京の設計について2人が報告した。まあその一方をやったのである。 前から出してい るものと同じだが、中枢部のより詳細な復元図にあてはめたもの。これでいいと思うんですけど、反応はいまいちです。
◆飛鳥寺、浄御原宮なども追加で当日の朝、図をつくる。もう、原稿を書いてしまうのが早いと思うが。
◆大宝雑令にある通り(5尺は一時的なものですよ)、土地を測るのは歩であって尺数ではなく、同じではない。コマ尺6尺1歩の歩数で設計されている以上、大尺で440尺だとかいった議論では当時の設計は理解できないのである。難波宮内裏の幅が90歩で、朝堂院の幅が110歩であるというのが答である。前方後円墳の設計と同じです。
◆2本の報告は13時から15時まで、そのあとえんえんと議論が続き、現場を知らない側としては、いろいろと学ぶ。そのあとシンポⅢにむけての打ち合わせや今後の研究会の予定を決め、18:30くらいには「いわし亭」に入ったか。この日も22時過ぎくらいまで、また呑みながら語らう。大阪市のみなさんと、ぐぐっと距離が近づいているのがよい。次は23日の岡山造山の講演会・・・。さてと。

5月16日、市大日本史学会

◆奥村さんの講演は、なにかと興味深かった。整理しておきたが、そのままかも。文化とか歴史と かを大事にする社会をどうやって進めていくかという課題に、同じように向き合っているのだと。発言しようとしたが、時間もなく、やめたが。歴史像を出していったらそれで伝わるわけでなく、もっと入っていって、いろんな場や時間を共有しながら粘り強くやらんといかん、そういう手法や取り組みをやっていかなあかん、というのはまったくその通り。が、その手前のこんな遺跡や資料からこういうことがわかるんですよ、という部分が不十分だと思っている。遺跡を扱う考古学でも文書を扱う文献史でも、専門の世界では資料にもとづく堅い議論が必要だが、やはりそれをわかりやすくしないといけないし、その地域の扱っている時代において意味づけていく、ということが必要。環濠があって、存続期間はこれ で、こんな土器が出ていて、だけではいかんのである。
◆野のはなハウスで懇親会。そのあと雪国に突入し、また最後は鳥造で、遅くまで呑む。大和路線はありがたい。0時過ぎても帰り着くことができる。

住民投票の結果に感慨なし

◆難波宮研究会のあと、いわし亭でえんえんと呑んでいました。帰って、画像のないテレビをつけると、橋下君の会見でした。そうか反対票が上まわったかと。うれしいとも思わないし、残念とも思わない。ほとんど同数である重みがどのように受け止められるか、の方が重要である。これで5年あまりの議論が決着した、みたいな言い方が気になる。終わっていない。都道府県庁所在地などの大都市の問題は、いま共通の問題となっているのである。元通りでよいではないはずだ。最後は投票で決着するというのもひとつの手法だが絶対でもないし、それが民主主義とも思わない。まして、賛成は少数意見ではまったくなく、ほぼ同数の賛成票がある。

上野千鶴子の記事は面白かった

◆と思いませんか。ストレートな物言いが、なんとも新鮮というか、明快というか。なんで結婚せなあかんねん、という理由は最高でした。ふだんはあまり読まないところだが、毎日、楽しみにしていました。
◆テレビが壊れて、もう直さんとこか、とそのままにしてあり、朝など、ラジオ代わりにしている。バックライトがダメになり写らないらしい。こないだ、和歌山に行ったとき、で、テレビを見ていると、漫画家とデザイナーが対談をしており、これがけっこう面白かった。が面白さが、もう忘却の彼方です。そのまま見ていると、映画村とか枚方パークだとかの経営を取り上げた番組があって、これも面白かった。ちょうど、岳父が和歌山の田舎がもう人がおらんという話をしていて、このテレビを見た方がいいと言いたかった。会社と行政、あるいは地域社会、それは一緒にできないかもしれないが、このままではジリ貧、なんとかするという局面は同質のような気がして。例えば映画村、いったことはないが、ピークの年間観光客がごっそり低下し、このままではというところから努力が始まり、持ち直しつつある取り組みがテレビの内容。そう、それを見ながら、博物館も同じかも、と。時代劇盛んな時代に、ロケーションを見せてやるという発想だったと。経済成長も終わり人口減少に入った自治体や地域、モノをならべて見せていた博物館が、これからどうするかというヒントがいろいろあったように思った。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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