人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
生目1号の葺石
◆昨年の調査でも後円部の葺石がほぼ上端まで残っていることが話題になっていたらしいが、今年 度の調査でさらにばっちり出てきて、天端の縁石さえ残っていることが判明し、テラス面のきっちりした敷石とともに、すごいことになっていることを伝え聞いており、現説資料のコピーも城陽市の職員からもらっていた。そこで、生目の現場が見たいとお願いし、西都原のあと、見学させてもらう。生目の史跡整備の調査は90年代末に始まり、確か文化庁時代に行った記憶がある。その前にも、大学院生時代に行ったのかもしれないが、憶えていない。1号墳の北側、平野に面する側が土取りされ崖になっている景観は憶えている。
◆まあ、葺石はすごいもんでした。かなりキチキチに積んでいて、それが崩落しない根本要因なのだろう。とくに上段のケスタ的小斜面を重ねているあり方は、興味深い。それと、背面側の前方部の中段以下の葺石がないことも、なかなかに面白い。北側で後円部側を葺き、前方部側が上に乗るあり方からからも、まず後円部側に石を葺くのであろう。が、背面側はそこで葺石施工が止まっているわけである。
◆前方部の墳頂平坦面には敷石はないが、斜道部にはある。肩部の石列は頂部まで通しており、その上で、後円部の斜面にあたる範囲は石を葺いている。そして、くびれ部谷線を、その境のあたりに取り付けている。谷線を後円部墳頂まで通し、隆起斜道とするのではない。
◆まあ、葺石はすごいもんでした。かなりキチキチに積んでいて、それが崩落しない根本要因なのだろう。とくに上段のケスタ的小斜面を重ねているあり方は、興味深い。それと、背面側の前方部の中段以下の葺石がないことも、なかなかに面白い。北側で後円部側を葺き、前方部側が上に乗るあり方からからも、まず後円部側に石を葺くのであろう。が、背面側はそこで葺石施工が止まっているわけである。
◆前方部の墳頂平坦面には敷石はないが、斜道部にはある。肩部の石列は頂部まで通しており、その上で、後円部の斜面にあたる範囲は石を葺いている。そして、くびれ部谷線を、その境のあたりに取り付けている。谷線を後円部墳頂まで通し、隆起斜道とするのではない。
西都原古墳群の現場を見る
◆西都原の調査指導。卒論演習が後から入ってきて、飛行機の時間を遅くしてもらう。中華料理屋 で関係者の呑み会がずいぶん進行したなかに、あとから遅れて合流。毎年、M大学におられたY先生の熱弁を聞き、宮崎県下の古墳のこと全般、地下式横穴やら、韓国の話やら、とても勉強になる。終了後、S大学S氏とうどんを食べに行き、ホテルに入る。日が変わる頃だったか。そこから先のブログを書いていました。
◆翌朝、西都原へ。手前の台地の下側にある前方後円墳3基を見てから考古博物館へ。いまやっている企画展、西都原発掘100年を見る。鳥居龍造のスケッチ図が見物である。
◆それから、いま発掘している姫塚の現場に行く。造出が丸々出ている。石は小振りで、また突き刺したようなモザイク状ではあるが、上段・下段の基底石もほぼ残り、全体として残りはとてもいい。周濠があり、堤がある。一定幅の堤を設けているものは極めて少ないのだとか。アカホヤが上面となっている堤面だろうものがあり、それがある幅で終わり、外方では切れており、2重周濠というのか外周溝というのか、それで画することで堤ができるわけである。なので、外側の溝状遺構を捉える必要があるのだが、マックロでなかなかわかりにくい。明確な外側の上がりがない。黒ボクは微妙な色合い、混じり、堅さで、なんとか識別することになるが、Y先生の指摘のように、ある、ないとおかしいという目で点検する必要がある。トレンチを外に伸ばすことも一部では必要だろう。
◆もどって遺物を見る。須恵器片がぱらぱらあり、TK23~TK47で、5世紀後葉というところで落ち着く。とはいえ、姫塚は、円墳群地帯の一画にあるこの時期の希少な前方後円墳なのだが、大正の発掘では刀剣類と鉄鏃、鏡1面と玉類くらいで、甲冑が出土している同時期の円墳との関係をどのように理解すればいいのか、ということになる。前方後円墳を採用していることと副葬品とのギャップがしっくりこないのである。
◆翌朝、西都原へ。手前の台地の下側にある前方後円墳3基を見てから考古博物館へ。いまやっている企画展、西都原発掘100年を見る。鳥居龍造のスケッチ図が見物である。
◆それから、いま発掘している姫塚の現場に行く。造出が丸々出ている。石は小振りで、また突き刺したようなモザイク状ではあるが、上段・下段の基底石もほぼ残り、全体として残りはとてもいい。周濠があり、堤がある。一定幅の堤を設けているものは極めて少ないのだとか。アカホヤが上面となっている堤面だろうものがあり、それがある幅で終わり、外方では切れており、2重周濠というのか外周溝というのか、それで画することで堤ができるわけである。なので、外側の溝状遺構を捉える必要があるのだが、マックロでなかなかわかりにくい。明確な外側の上がりがない。黒ボクは微妙な色合い、混じり、堅さで、なんとか識別することになるが、Y先生の指摘のように、ある、ないとおかしいという目で点検する必要がある。トレンチを外に伸ばすことも一部では必要だろう。
◆もどって遺物を見る。須恵器片がぱらぱらあり、TK23~TK47で、5世紀後葉というところで落ち着く。とはいえ、姫塚は、円墳群地帯の一画にあるこの時期の希少な前方後円墳なのだが、大正の発掘では刀剣類と鉄鏃、鏡1面と玉類くらいで、甲冑が出土している同時期の円墳との関係をどのように理解すればいいのか、ということになる。前方後円墳を採用していることと副葬品とのギャップがしっくりこないのである。
2015年3月3日、ひなまつり、車塚
◆10時から15:30まで第1回卒論演習、そのあと、近現代史の博論の構想発表。これで18時。19:40分の伊丹発で宮崎に。間に、もうひとつ「事件」が起こるが、まあやめておこう。
◆何時だったか、ミッチーから「出た」とのメール。よっしゃ、これで拡張区はほぼ解決。
◆いま4日の2時前になっているが、ホテルのロビーでヤフーのメールを処理していたが、途中、ミッチーからの3日の報告が入る。それが1時すぎ。いや~、全体を仕切ってもらい、日誌も書いてもらい、この時間になりながらメールで報告をくれる。大変だろうが、ドクターに上がる自分のポジションを理解し、ちゃんとこなしてくれている姿に、感激である。それに応えて、こっちも対応すべし。
以下、ミッチー報告
引き続き東拡張区の調査。(1)南側斜面は、黄色粘質土を除去し、Z2付近で下段斜面と造り 出しの接点に当たる角に至る。斜面にはやはり石がごろごろ。(2)上面の精査。埴輪列を出す作業。結論として、南側東西列はかなりの密度で存在する。東側南北列に当たる埴輪を確認。これで東西列から南北列への屈曲が判明。上面には拳大の石が転がるほか、形象埴輪の破片が円筒埴輪ラインの内側に多く見られた。
◆このブログも、認識や調査手順の伝達手段となっている。明日、埴輪周りが決着し、ほぼ遺構面まで掘り上がれば、埴輪・礫の清掃はあとまわしでよい。北区の埴輪列北行き、および撹乱坑に向かうべし。撹乱坑について、東西方向の幅20センチくらいの畦を念のため設定し、洪水層と撹乱底面の関係(間層があるかないかなど)を記録してもいいのでは。ほぼ底面すべてに洪水層が入るなら、意味は希薄で、すぐ取っ払えばいいが、撹乱坑と洪水の時間差がどのくらいなのか、間層が入るかどうかが気になっている。いまの時点ではなさそうで、撹乱坑と洪水は近接しているように思えるのだが。まあ、考えてみてください。
◆何時だったか、ミッチーから「出た」とのメール。よっしゃ、これで拡張区はほぼ解決。
◆いま4日の2時前になっているが、ホテルのロビーでヤフーのメールを処理していたが、途中、ミッチーからの3日の報告が入る。それが1時すぎ。いや~、全体を仕切ってもらい、日誌も書いてもらい、この時間になりながらメールで報告をくれる。大変だろうが、ドクターに上がる自分のポジションを理解し、ちゃんとこなしてくれている姿に、感激である。それに応えて、こっちも対応すべし。
以下、ミッチー報告
引き続き東拡張区の調査。(1)南側斜面は、黄色粘質土を除去し、Z2付近で下段斜面と造り 出しの接点に当たる角に至る。斜面にはやはり石がごろごろ。(2)上面の精査。埴輪列を出す作業。結論として、南側東西列はかなりの密度で存在する。東側南北列に当たる埴輪を確認。これで東西列から南北列への屈曲が判明。上面には拳大の石が転がるほか、形象埴輪の破片が円筒埴輪ラインの内側に多く見られた。
◆このブログも、認識や調査手順の伝達手段となっている。明日、埴輪周りが決着し、ほぼ遺構面まで掘り上がれば、埴輪・礫の清掃はあとまわしでよい。北区の埴輪列北行き、および撹乱坑に向かうべし。撹乱坑について、東西方向の幅20センチくらいの畦を念のため設定し、洪水層と撹乱底面の関係(間層があるかないかなど)を記録してもいいのでは。ほぼ底面すべてに洪水層が入るなら、意味は希薄で、すぐ取っ払えばいいが、撹乱坑と洪水の時間差がどのくらいなのか、間層が入るかどうかが気になっている。いまの時点ではなさそうで、撹乱坑と洪水は近接しているように思えるのだが。まあ、考えてみてください。
2015年3月2日、車塚
◆4日の午前1時半をまわりました。宮崎のホテルの1階PCにむかっています。自分のノートPCがア カンタレなので、部屋でつないでもヤフーもブログもだめなもんで。PCを新しくしたいが、新調する研究費も自分のポケットマネーもなし(貧しいのです)。まあ、それはともかく、宮崎空港に迎えに来ていただいた方から、発掘してるんですね、ブログ見てます、といわれると、やはりうれしいものである。
◆さてと、2日は初めて丸1日、車塚にいた。全5週の2週が終わり、3週目に入る。土日から、次の1手を考えていたが、東拡張区をやっつけるべしと決意し、全員を投入。埴輪列が直角に折れて三辺目を出すべく全力で望むも、南辺の埴輪を、撹乱から続く連続する3個、少しはなれて1個を確認するにとどまる。調査区東辺では赤土の上面が出ており、埴輪が伸びないことが確信でき、折れるとしたらこの辺という見込みはつくが、そこで日が暮れた。
◆3日は公務で1日現場に出られないが、東拡張区の決着をつけろと指示、東辺埴輪列が検出されたら、ただちに「出た」とメールをくれと頼み、本日はここまでとなる。
◆さてと、2日は初めて丸1日、車塚にいた。全5週の2週が終わり、3週目に入る。土日から、次の1手を考えていたが、東拡張区をやっつけるべしと決意し、全員を投入。埴輪列が直角に折れて三辺目を出すべく全力で望むも、南辺の埴輪を、撹乱から続く連続する3個、少しはなれて1個を確認するにとどまる。調査区東辺では赤土の上面が出ており、埴輪が伸びないことが確信でき、折れるとしたらこの辺という見込みはつくが、そこで日が暮れた。
◆3日は公務で1日現場に出られないが、東拡張区の決着をつけろと指示、東辺埴輪列が検出されたら、ただちに「出た」とメールをくれと頼み、本日はここまでとなる。
あれあれ、急ピッチ
◆市大日本史の仕事をこなし、次はようやっと伏見城と思っていたが、別件で大学のことが降りかかってきた。これから乾坤一擲、意見書をしたためるとするか。3時間くらいはかかるかな。よ~雨降ってますね、明日の現場もぬかるみか。なにが急ピッチなのか、いずれまた書きます。
摩湯山、再起動
◆こないだの打ち合わせで、中国におられるFさんに全面的に協力をお願いし、いろいろと引き受けていただいた。自分の原稿もむろんあるし、編集取りまとめもするが、各パートについて、ふさわしいみなさんにお願いし、無理のない範囲で原稿を書いていただき、ほぼ2015年度中に決着したい。
25日の車塚補遺
◆ひとつ言い忘れていた。北区の東北の隅部について、作業員さんに状況確認のため黄色粘質土を東壁沿いに掘り下げてもらったのだが、隅部で撹乱はやや浅くなり、造出しの盛土と思われる赤土が姿を出した。これすなわち、北区の北端まで造出しが伸びていることを示し、造出し北辺が調査区内で収まらないことが判明した点を書き損ねた。
◆そうか、南北長はいったいどのくらいになるのだろうか。今回の調査区内でコの字に埴輪列が検出される望みはこれで絶たれました。北辺の追究は夏に先送りです。
◆そうか、南北長はいったいどのくらいになるのだろうか。今回の調査区内でコの字に埴輪列が検出される望みはこれで絶たれました。北辺の追究は夏に先送りです。
2015年2月27日、車塚
◆朝、歯医者。午前、採点。12時、大学院受験を希望する他大学の学生と面談。で、採点会場に戻り、13:30までやったのち現場に向かう。
◆水曜日、北区の東半分を大きく掘り下げたわけだが、まだ思い切って掘れていないことが、ず~と頭にあり、絶対に攪乱の壁を出してやると決意していた。新しい溝で結論は出ているし、溝際について赤い造出の盛土を思い切り良くないが平面的に出しており、まん中が窪むヘンテコな造出でなく攪乱と信じているものの、ヒヨッている。恐いわけだ。そこをガツンといってやる、と。
◆14:40くらいには着いた。前日の雨でぬかるんでいる。南区の東拡張区を見て、南区本体の周濠内堆積土の機械掘削の様子を見て(実にスッキリ)、南区の西拡張区の機械掘削をやっている様子を見る。北区は、3人が上面の精査、2人が攪乱抗に向かっている。人数は少ない・・・。まあ少ないのは仕方がないが、それはそれで、それに見合った今季のゴールを設定し、格好をつけていく必要がある。
◆南区西拡張区の機械掘削がだいたい掘り上がり、見てくれというので見る。もうすこし下げましょうか、というので、周濠が予想される西壁沿いを徐々に削るよう指示。そうすると、40㎝から50㎝下で造出の西斜面が引っかかってきて、そのあと作業員さんに削ってもらい、造出の西南の角部をほぼ検出した。これ見事ですよ。なお、南辺・西辺とも、埴輪列から肩までほぼ1mというところである。
◆で北区上面だが、チマチマした精査をやめ、女性3人にミニ鶴で削るよう指示。埴輪列以外は、礫もまばらで(流出)、あまりデリケートでもなく、ペースを上げるため。で攪乱だが、バチを持ち、攪乱斜面をガンガン削ってやった。途中まではやはり恐る恐るだったが、気にすることはない、黄色粘質土は洪水堆積層、それを掘り上げて残存面を出すほかなく、ガッツリ削り赤肌を出した。攪乱の壁に確信がもてると早い、かなり壁面を出した。底面にはまだ達していないが、深そうだし、この坑は何なのか、いずれ決着は必要ながら、いま掘り急ぐ必要はない。現状の80㎝程度の段下げ表現にすればよい。壁は真っ赤っか、底面は黄色粘質土、そこに礫やら埴輪片やらが巻き込まれている様子を示せばそれでよい。
◆が、これは何なんでしょうね。井戸ちゃうかと冗談で言っているが・・・。なお、洪水がいつかわかっているのかと城陽市に聞くと、近世文書で、大洪水のあととみられる、堤を高くせよだのという文書が多く残っているようで、17世紀初頭と考えられているとのこと。
◆写真がなくてすいません。余裕がないのはよくないですね。作業途中、あるいは終了後、その日の掘削状況の写真を撮るくらい、せなあかん。
◆水曜日、北区の東半分を大きく掘り下げたわけだが、まだ思い切って掘れていないことが、ず~と頭にあり、絶対に攪乱の壁を出してやると決意していた。新しい溝で結論は出ているし、溝際について赤い造出の盛土を思い切り良くないが平面的に出しており、まん中が窪むヘンテコな造出でなく攪乱と信じているものの、ヒヨッている。恐いわけだ。そこをガツンといってやる、と。
◆14:40くらいには着いた。前日の雨でぬかるんでいる。南区の東拡張区を見て、南区本体の周濠内堆積土の機械掘削の様子を見て(実にスッキリ)、南区の西拡張区の機械掘削をやっている様子を見る。北区は、3人が上面の精査、2人が攪乱抗に向かっている。人数は少ない・・・。まあ少ないのは仕方がないが、それはそれで、それに見合った今季のゴールを設定し、格好をつけていく必要がある。
◆南区西拡張区の機械掘削がだいたい掘り上がり、見てくれというので見る。もうすこし下げましょうか、というので、周濠が予想される西壁沿いを徐々に削るよう指示。そうすると、40㎝から50㎝下で造出の西斜面が引っかかってきて、そのあと作業員さんに削ってもらい、造出の西南の角部をほぼ検出した。これ見事ですよ。なお、南辺・西辺とも、埴輪列から肩までほぼ1mというところである。
◆で北区上面だが、チマチマした精査をやめ、女性3人にミニ鶴で削るよう指示。埴輪列以外は、礫もまばらで(流出)、あまりデリケートでもなく、ペースを上げるため。で攪乱だが、バチを持ち、攪乱斜面をガンガン削ってやった。途中まではやはり恐る恐るだったが、気にすることはない、黄色粘質土は洪水堆積層、それを掘り上げて残存面を出すほかなく、ガッツリ削り赤肌を出した。攪乱の壁に確信がもてると早い、かなり壁面を出した。底面にはまだ達していないが、深そうだし、この坑は何なのか、いずれ決着は必要ながら、いま掘り急ぐ必要はない。現状の80㎝程度の段下げ表現にすればよい。壁は真っ赤っか、底面は黄色粘質土、そこに礫やら埴輪片やらが巻き込まれている様子を示せばそれでよい。
◆が、これは何なんでしょうね。井戸ちゃうかと冗談で言っているが・・・。なお、洪水がいつかわかっているのかと城陽市に聞くと、近世文書で、大洪水のあととみられる、堤を高くせよだのという文書が多く残っているようで、17世紀初頭と考えられているとのこと。
◆写真がなくてすいません。余裕がないのはよくないですね。作業途中、あるいは終了後、その日の掘削状況の写真を撮るくらい、せなあかん。
文化人材育成メニュー
◆前にも書いたかも知れません。履修証明プログラムというヤツで、大阪の歴史や文化のガイドさ んや、それをめざす方々を募り、日本史教員で対応する科目を新設する。そのなかで、5人が休日午後の1回ずつ、それぞれの時代の現地見学を組み込み、あとは履修者の関心に沿ってガイドプログラムを作成してもらい、みんなで議論し、充実させていく、という内容。で、後半のものは、またわたくしめが担当することになっておりまする。
◆で、考古でどこへ連れて行くか、日程はもう決まっているが、どうしようと考えていた。そうした折、改新シンポの打ち上げで、先輩であるM氏が、たぶんわたしが前に紹介した大阪の歴史散歩ガイドマップ(文化庁事業)の話をしたんだろうと思いますが(ほぼ憶えてません)、いるんだったらと残部から送っていただいた。再度挙げておきます。感謝、感謝です。
◆レキハクは履修生はみんな見ているだろうし、もちろんそこで解説を加えてもいいのだが、たぶんあまり行ったことのない、街角ミュージアムをめぐった方がいいかと考え始めている。どこに、いつの時代の、どんな展示があるのかを確認し、メニューを作ってみようと思う。
◆で、考古でどこへ連れて行くか、日程はもう決まっているが、どうしようと考えていた。そうした折、改新シンポの打ち上げで、先輩であるM氏が、たぶんわたしが前に紹介した大阪の歴史散歩ガイドマップ(文化庁事業)の話をしたんだろうと思いますが(ほぼ憶えてません)、いるんだったらと残部から送っていただいた。再度挙げておきます。感謝、感謝です。
◆レキハクは履修生はみんな見ているだろうし、もちろんそこで解説を加えてもいいのだが、たぶんあまり行ったことのない、街角ミュージアムをめぐった方がいいかと考え始めている。どこに、いつの時代の、どんな展示があるのかを確認し、メニューを作ってみようと思う。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。