人を幸せにする人になろう

面白い話

◆Sさんから電話がかかってきて、面白い話を聞きました。いずれ新聞を賑わすことでしょう。なんのこっちゃ、というところですが。図書館に行って確認すれば、また書くかもしれません。
【3月4日追記】そう、中国で三角縁神獣鏡が見つかったという話です。2日に朝日が新聞記事にしたので、もういいでしょう。

天智陵を見てきます

◆金曜日に公表されたとおり。20日に天智陵の立入り観察が行われる予定。図は25㎝尺の6尺1歩=1.5m=1ヒロ。天智陵は29ヒロである。半端 と思われるだろうが、牽牛子塚、野口王墓もすべてそう。薄葬令で、5ヒロ、7ヒロ、9ヒロとなっているように、序列が奇数になる。これが7世紀後半で、7世紀前半は偶数である(『ヒストリア』243、2014年)。
◆あと読むべき卒論は1本。日曜日は丸1日空けて22日の改新シンポの 資料を作りたかったが、そうもいかなさそう。車塚の発掘が始まるが、月~水は試問と院入試で動けず、明日、宿舎に行く必要があり、弥生博で発表する院生の準備もある。金曜日が天智陵、木曜日には車塚に行きたいところだが、改新シンポの資料400部を印刷するのがそこしかなく(自分の資料を作るのに加え)、怪しくなってきたかもしれない。
◆まあ、ぼちぼちでんな~。天智陵の予習は木曜日にでもするか。どこまで何が見れるのか、わからんが。

京大考古研同窓会第1回準備会

◆12日の木曜日の夕方、梅田集合、1960年代入学組5人+ヒッシーとわたし。7人。飲み屋、案の定、いちばん下っ端なので、いそいそと料理など注文。加えて、「はい、名簿の取りまとめ、やらしていただきます」と言わざるをえないわな~。ということで、また仕事が増えました。9月下旬、京都で、ということになりました。
◆14日の土曜日、今度は市大の昭和29年入学のOB2名とお会いする。うつぼ公園にあったキャンパスで教養時代を過ごしたため、「うつぼ29会」という同窓会を隔年毎にやっておられるよう。杉本町の駅前の喫茶店で、原稿依頼の説明をしつつ、昔の話を聞く。そのあと、大学キャンパスを見たいというので、1号館などを案内する。3月末〆切で原稿をお願いしたが、しんどいという返事。80歳前の70代末。PCはあまり使わないようです。うちのオヤジと同じで、町内会の役をやり、なんかの行事の案内をワープロしたりと、その程度はやりますという方が、おひとかた。手書き原稿でもかまいませんと。さて、どうなりますやら。メールアドレスは敢えて聞かなかった。

ペルーだって

◆喜界島のTさんから電話があり、海外青年協力隊でペルーに2年行くことに決まったとか。ちょう ど、昨日か、どうなったかメールを打とうとしたところ(打ったが発信をとりやめた)。元気ですね。発掘三昧でなく、調査成果の活用が仕事のよう。遺跡があり、博物館があり、勤務地は博物館になるらしい。4月以降の研修後、出発するという。史跡整備の手引きをプレゼントしようか。1万3000円だって、タカイ!。簡易版を作ってほしいもの。行政は買って置いておくとしても、それ以上に購買層はいないだろうに。
◆喜界島には結局は1回しか行けなかったが、今度はペルー?、に行こうか。そんなんでもないと、行かんわな。

ついでに

◆北部九州の弥生後期のイメージがない。参考文献を見つけたので、Mの院生に紹介し、読んでどうだったかを聞く。でもね、なんとなく北部九州や山陰でも出雲斐伊川流域は社会の変化がない。が、瀬戸内から東は、後期頭に大きな社会変革の引き金があり(これが何が起こったかず~と知りたいのですが、まだわかりません)、地域社会が大きく変化し、中期社会が終わり、それぞれ広域地域圏を作り、その枠組みを強めていく。そして次が倭国乱で、ヤマトの影響がおよんでいくという経過をたどる。
◆言いたいのは、後期こそが、中期社会を引きずるか、新しい対応を進めたかという分かれ目となり、パワーバランスが東にシフトする、と大局は捉えていいと考えています。
◆東海地域もほぼ同じ。だいたい2段変身を遂げる。いま院生のなかに、1人が山陰をやっていて、1人が東海をやっていて、一緒に勉強しています。もう一人、近畿の弥生を専門とする院生が来てくれるとうれしいのですけど。さ、帰ろ。

円の面積

◆円の面積はパイr2乗。その前に円周は直径*3.14=2パイr。それを前提に、円の面積の求め方を、小学生の時にならいましたよね。無限に扇形に分割していって。考え方はいくとおりかあるのだろうが、例えば向かい合わせにそれを組み合わせてやれば、長方形になる。一辺は半径r。長い方は円の半周の長さなのでパイr。だから面積はr*パイrでパイr2乗になる。感動しませんでした。なぜだかこれだけは覚えてます。
◆いや数学の教え方の話になり、公式を覚えてなくとも原理がわかってれば導けるという話。が、そういう考え方で求められるんだ、というのを抜きに公式だけ丸覚え、といったことが進んでるんではないか、と。理屈がともなわないわけで、どうしたら導けるかということがともなわない。
◆理系の話だが、世の中に解析ソフトはあり、なんか実験とか計測してデータもあると。なんにも考えないで、放り込むんだそうだ。(1)で、うまくいきませんでしたという反応がひとつ。どういうデータなら、どのソフトにかけるといった判断がない。(2)次に、そのへんがまあマッチしているとして、解析ソフトでなんかが出ると。が、何が出てるのかわからないし、それが妥当かどうかが判断できない。(3)さらに、まあなんとなく論文になると。カッコはついているように見える。が質問したら、ほぼ答えられない。何のために何をやったことになるのか、わかっていないのだそうである。

大阪市・府の新規採用で女性が躍進

◆ちょっと興味があったモンで。Jcastニュースからの記事を引用させてもらう。

 大阪市と大阪府が行っている大卒者向け行政職の採用試験で、女性が合格者に占める割合が7~8割と高水準だ。全国の市・区では女性の合格者は半分程度
   大阪市が2013年春に行った試験では、1次試験では760人が受験し、最終合格者は65人だった。15.2倍の狭き門だが、合格者のうち女性は53人を占め、割合にして82%だった。府の試験では1次試験に1121人が臨み86人が合格。そのうち女性は67人で、割合にして78%だった。
 実は女性の合格者の割合は、市も府も上昇傾向だ。市は11年度が40%、12年度が60%、13年度が前出のとおり82%と大幅に上昇している。府は10年度が53%、11年度が71%、12年度が67%、13年度が78%だ。
 09年に内閣府男女共同参画局が発表した「地方公務員における女性の採用・登用等に関する事例集」では、1995~2007年の地方公務員採用試験合格者に占める女性の割合の推移を紹介している。都道府県の試験に合格した人の割合は20.8%~32.3の範囲で推移しており、市・区の合格者の割合はさらに高く45.8%~53.4%だ。この統計は、大卒行政職に対象を絞っている訳ではないので、そのまま比較することはできないが、大阪府・市の女性合格者の割合が全国的に見ても高い傾向はうかがえる。
 この傾向について、市の任用調査部では「特段の分析はしていない」と話すが、府の人事委員会では二つの可能性を挙げた。ひとつが、試験方式の変更だ。
 従来、市も府も、1次試験の択一式問題には、内閣府の外郭団体「日本人事試験研究センター」(東京都)が作成した試験問題を使用してきた。だが、大阪府知事を経て大阪市長を務める橋下徹氏が、天下り批判を背景に府知事時代の10年に年会費170万円の支払いを拒否。そのため、自前の試験を余儀なくされた。このため、府は11年度から市は12年度から新方式に切り替えた。市も府も3次試験まであり、いずれも1次試験でエントリーシート(ES)、小論文を評価し、2~3次試験では論文、グループワーク、面接、適性試験を行う。
 13年度の府のエントリーシートでは「あなたが大阪府職員を志望した理由を具体的に教えてください。また、大阪府職員としてぜひとも取り組んでみたいことを一つあげ、その理由とあわせて説明してください」といった4項目を記入する仕組みになっており、「人物重視」をうたっている。前出の合格率の推移を見ると、府は11年度から市は12年度を境に合格率が大きく伸びており、女性のアピール力の強さが合格率を押し上げた可能性もある。

◆もうひとつは採用人数が増えたことの影響が書いてあるが、公正に行われている限り関係なかろう。こないだも女性の方が元気だ、という話を聞いた。学力も含めてそうなんだろう。

2月11日も暮れかかり

◆なんとか成績はつけた。が、紀要の校正とか、大学史ニュースの原稿(博物館実習展)とか、非常勤講師の調書の追加とか、ぴーすもそうだけど、メール処理をしながら雑用をやっていると、もう17時になる。ほんとは、できるだけ卒論修論をスピードでこなし、改新シンポの資料作りと思ってはいるが、まあなにごとも順番というものもあり、そうもいかない。
◆金持ちほどリスクヘッジにいそしみ、貧乏人は自己責任。
◆グローバリズムよりジャポニズム。どこでも同じホテルより、和風旅館に泊まりたい外国人が多いとか。世界にない日本風のものこそ価値がある。
◆町村合併おそるべし。田舎は合併せず、公務員をかかえるべき。交付金もまた再分配の仕組み。もっと傾斜配分して、過疎地が存立するよう交付して何が悪い。
◆学力が低下しようが、世界世界と言い手を打たず、若者の過半が放置され、非正規雇用で低収入だろうが、それは自己責任。
◆内田樹の『下流志向』によると、入試の平均点(例えば英語)が年1点下がると、20年で20点。20年前とは雲泥の差であるのだとか(自分では読んでません)。

実行委員会質問に対するぴーすの回答(2月7日)

大平セ第82号
2015年(平成27)年2月7日

ピースおおさかのリニューアルに府民・市民の声を!
実行委員会 様

公益財団法人大阪国際平和センター
館長 岡田重信

ピースおおさか展示リニューアルについて(回答)

 平素、皆様方の平和に関わる活動に対して敬意を表しますとともに、当館の事業に御支援、御協力いただいていますことに心より感謝申し上げます。
 今回のリニューアルは、「大阪中心」に「子ども目線」で「平和を自分自身の課題として考えることができる展示」を目指すことを基本としています。
 この間、貴団体をはじめ、諸団体等からいただいた御意見、御要望については、監修委員会に伝えるとともに、大阪府議会や大阪市会でのご議論等を踏まえ、検討を重ねてきたところです。
 この度、2015年1月20日付けでいただいたご質問に、下記のとおり回答させていただきます。なお、展示リニューアル監修委員委員長(橋爪紳也、補記)あてにもいただいていますが、本書により一括しての回答とさせていただきます。
 リニューアルオープンまで限られた期間ではありますが、よりよいリニューアルになるよう努めているところですので、御理解、御協力をお願いするしだいです。



○「大阪中心」となる今回の展示リニューアルでは、大阪空襲の実相を伝えることが主要な内容の一つであり、「多くの犠牲を出し、焼け野原となった大阪」(Dゾーン)を中心に、他のゾーンと関連させることにより、適切な理解につながるよう全体の展示構成を考えている。重慶爆撃については、大阪空襲の実相を理解してもらうため、なぜ日本は太平洋戦争に突入することになったのかその経緯と終結までを概観する映像の中で取り上げる予定である。

○模擬原爆については、今回のリニューアルを機に新たに展示することとなるもので、Dゾーンで設置するプロジェクションマッピングの投影と投影の間の時間を利用して、その大きさが実感できるよう工夫するとともに、実際投下された原爆との関係がわかるような展示とする予定である。Bゾーンでは、飛行機などの兵器の大きさが感じてもらえるような工夫をする予定である。なお、模擬原爆や飛行機の模型については、実施設計にはない新たな展示物の製作を伴う造作・造形に関わるものであるため対応は困難である。

○昨年8月に府市へ報告した映像シナリオ(Bゾーン)は、あらすじを示したものである。この映像は、大阪空襲の実相を理解してもらうため、なぜ日本は太平洋戦争の突入することになったのかその経緯と終結までを概観するものであり、アジアでの出来事も取り上げることとしている。引き続き監修委員会において、映像の目的に沿った内容になっているかといった観点で、精査をいただいている。

○監修委員会の承認を得てご助言いただくことになった、いわゆる専門委員については、適宜作業状況を報告するとともに、適切な展示内容になるよう連携をとっている。学校関係者からの意見なども参考に検討を進めている。

○Dゾーンの防空壕については、防空壕空間の模擬体験を通して、その狭隘さや粗雑さ、空襲の恐ろしさを体感するとともに、防空壕の種類や体験者の証言などの関連情報を解説するコーナーを設け、決して命を守れるものではなかったと感じ取れるようにする予定である。

以上

しもつ道はいつできたのか

◆河内の難波大道および東西古道(これにもシハツ道と丹比道で時間差があるのかもしれない が)は、7世紀中頃の敷設。一方の奈良盆地の横大路と下ツ道については、やはり正方位官道は7世紀中頃かと、安村さんの論文からそう思っていたが、発掘成果もあるようで、こっちはより古くからあったという見解に反論する能力がない。
◆で、安村論文に接したときに思ったのは、海龍王寺と姫寺の7世紀前半の飛鳥瓦。まあ飛鳥周辺はともかくも、あんな場所に忽然と飛鳥寺式軒丸瓦をもつ古代寺院があることがなかなか理解できず、これらも官道との関係ちゃうか、とすぐ思ったわけです。で、昨日、城陽市に向かってハイエースを運転している時に、ふと、ちゃんと海龍王寺と姫寺を結ばんといかん、下ツ道より東を通るそれ以前のもので、7世紀中頃に奈良盆地の南北基準軸を定める際に、より西側で下ツ道の位置が決定されたんではないかと。
◆で帰ってきてからつなぐ。あかん南北に通らん。これが昨日の夜。で本日、211集会は欠席させてもらい、修論読みと成績付けをやろうとしているが、まあ遊びでいじってみました。昨日、斜めになってしまって南北じゃない、その振れを確認しておこうと。で、やっぱりあかんかとは思ったのですが、そこは振っていることに意味があるのではと。延長すると、阿部山田道あたりに来る、と言えんこともないな~と。
◆奈良盆地の古地割は正方位条里がほとんどを消し去っており、そのなかで残る斜めの太子道は有効性から継続的に使う道として残されたのだろうと思う。で、この海龍王寺-姫寺線の、現実味がどこまであるのかわからんが、可能性はあるのではないかと。
◆それと、7世紀前半の方位の振れと、7世紀中頃以降の方位の振れの問題があるんだろうと思っている。シハツ道は、河内の現存条里に対し、いくぶん振れがある。道路痕跡が、条里のスクエアの同じ途中のところを通るのでなく、なんとなく斜めなので。つまり横大路と下ツ道の振れが、きわめて正確な方位であるとすると、7世紀前半までの測量術より進化した段階になるんではないかと。
◆遊びはこのくらいにして、はよすることをせな。

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HN:
雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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