人を幸せにする人になろう

加古川へ

◆元旦、昼過ぎまで長谷宮でお世話になり、加古川へ向かう。翌日、生石神社に4人で初詣。おみ くじは吉。「時期を考えてはやくあらため進むがよい」、「人と人と互い に力あわせてすればよきときあり」、「けれどわるいことと知りつつ進めばわるし注意せよ」。はい、わかりました。「学問、努力すればよろし」。はい。なにごとも早め早めに、手を打つことに心がけねばなりませんね。3月までの予定を考えましょう。
◆写真は、1日の明石SAで夕日を食べている、うちの息子です。それと2日の生石神社。いとこの子供が毎年書いている絵馬です。

紀美野町へ

◆翌日31日はカミさんの実家へ。受験生の娘も31と1日は一緒についてくることに。
◆息子がオセロが強くなったというので、どれどれ相手してやろうということで対戦。初戦は32対 32で引き分け、その後も一進一退、2勝2敗1引き分けの五分。ところが、そのあと、勝てなくなる。オセロは昔負けなかったものだが・・・。
◆オーソドックスに紅白を見ている。あまり評判がよくない。まあ、どうでもいいのですが、キャリーぱみゅぱみゅはよかった。0時をまわり、行く年来る年も終わり、長谷宮の丹生神社に初詣に行く。神事が行われていて、初詣客はほかに一組。神事が終わり、お参りする。新月で、星がよく見えている。写真は神事の間、境内地のたき火にあたっているところ。

12月30日、初瀬川を行く

◆2014年、あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
◆年末は28日出勤、22時まで仕事。29日も出勤、夕方まで仕事。
◆そして30日、ある用で松原に行き、中高野街道を南に下る。丹比神社に行く。前日、カミさんは1日家で大掃除をしており、歩きに行きたいというので、そのあと家に戻り、桜井へ向かう。
◆相談の上、大和川沿いを歩くことにする。桜井駅に降り立ったのは12時頃だったか。昼を食べて初瀬川沿いに盆地中央部の合流部へ向かう。最終的なゴールは決めていなかったが、河合町あるい は王寺までは行かず、15:30頃、結崎駅に出て、近鉄で家に戻る。息子もこの日戻ってくるが、そのまま高校時代の友人との呑み会に直行したが、その日のうちには帰宅した。
◆奈良県?が、けっこう川沿いの散策道を整備していて、土手道を車も通るが、かなり歩きやすい環境になっています。あちらこちらの神社に寄る(7カ所くらい)。また、田原本町もけっこう、神社その他、あちこちに案内看板を立ててくれていて、そういうのを見ながら楽しく散策する。法貴寺のところに展望台が立っていて、そこにも上がり、山辺方面の古墳も眺める。いろいろ写真も撮ったが、この展望台から見た箸墓古墳の写真を上げておきます。

久津川車塚2013年末の陣

◆7日間の成果をトレースしました。

久津川車塚12月27日

【自分・道上】9:30~16:00
(1)C2の紙。P2に据え(BS.杭1)、昨日の続きで、後円部西斜面裾部。ほぼ下まで降りていた が、裾部の処理をする。それと、せっかくなので、墳丘外側の平坦部の微妙な凹凸や段差、レベリングなどを行う。これがけっこうしんどかった。30.75mがほぼスライスされて、この等高線が分断されながら、あちこちに存在するため。この紙の範囲で30.5はない。
(2)C2の紙。後円部西北裾部の掩体壕裾部ができていなかったので(古墳に上がっていく登り道にしているもの)、杭1に据え(BS.P2)、裾部の処理をする。裾部には、いずれも刈り払った竹などが積み上げてあり、なかなか裾は測りがたいが・・・。これにてC2は完了。
(3)D2の紙に貼りかえる。P1に据え(BS.杭1)、前方部西側面の測量にかかる。上段裾の穴2ヶを入れてから、大阪大谷の続きで、32mから下げていく。P1に近い掩体壕の張り出しは、30.75mまで下げて完了。この貼りだしを北側とする掩体壕は、もっともよく残っており、中央部は凹み、両側に高い部分が設けられている状態がよく残っている。

久津川車塚12月26日

【自分・道上】9:00~15:30
(1)紙B2。P17に据え(BS.p15)、後円部西北の掩体濠の内部を測量する。昨日は32mを3点取 るところまでだったが、一部34m以下、31mまで、この紙の範囲の斜面部を完了する。
◆掩体壕は中央が窪み、両側にやや高い面があり、凹部際は溝状の窪みもある。ほかのところでも同様の姿が観察されるところもあり、掩体壕の造りについても、基本、よく残っているように思われる。かつての姿の写真がないものかと思うが・・・
(2)紙C2。P2に据え(BS.杭1)、西側面を、上は後円部上段36mから、前に取れていなかった南端部から始め、上段テラス、それから中段斜面と、標高31mまで降ろす。この紙の南端はちょうどくびれ部に相当する。標高31mは、ほぼ中段裾で、墳丘斜面の外に広がる現在の平坦面まで降ろしてきたことになる。この平坦面も、微妙な起伏や溝状の区画があり、現状の墳裾およびそれら紙の範囲の平坦面をやっつけると、C2ももう少しで終了する。
◆雨が降り始め、西の空も暗いので、撤収する。

久津川車塚12月25日

◆9:00~16:50
【大阪大谷チーム:長友・呉・坂野】
昨日に続き、P1に据え(BS.杭1)、前方部西斜面を測る。32.25mまで。
【市大チーム:自分・道上・山口】
(1)昨日のひとつ下、P15に据え(BS.p10)、後円部北斜面裾部を測量する。フェンス際で、標高31.75m。
(2)機械は同じ位置で、新たにB4の紙を作り、後円部東北裾部の測量をする。斜面部は鬱蒼として無理だが、裾部から平坦部、畑地、線路まで測量し、P15で測れる範囲は終える。
(3)新たにp17を、後円部西北の掩体壕上面に打設する。そこに機械を据え(BS.p15)、B3の紙の後円部西北で、昨日、測りきれなかった範囲を測量する。次いで、掩体壕の凹部を埋め、B3の紙は完了する。
(4)機械は同じ位置で、新たにB2の紙を作り、掩体壕の下場を入れたところで終了。

久津川車塚12月24日

【わたし・道上・長友・坂野】9:00~17:00
◆大阪大谷大の設定に時間を要す。P1に立て(BS.杭1)、前方部西側面の上段裾部およびテラス 面を測量する。
◆市大チームは、11:30から稼働し、昨日のP16に据え(BS.p10)、後円部北斜面を、39mから33mまで下ろす。途中、見通しがかなり悪いので、伐採時間を設ける。なんとか、紙幅くらいの範囲を測量しながら降りる。最後は、境界フェンス近くまで進む。

久津川車塚12月23日

【わたし・道上・山口】9:00~17:00
(1)昨日の続きで、P5に据え(BS.P6)、後円部中段西斜面を、33.5mから31.5mまで下ろす。 ほぼ現地表面というか、中段裾部に到達する。
(2)p11に据え(BS.p6)、後円部上段北側斜面から西来た斜面について、42mから36mまで下ろす。
(3)P10に据え(BS.P11)、取り切れなかった。P10の北側を39mまで下ろす。
◆P10から後円部北側の斜面下に、新たに2本の杭を打設。
◆P15(X-837.952/Y-193.362/H32.528)、P16(X-845.317/Yー193.334/H35.005)
(4)P6に据え(BS.p11)、後円部西側斜面のC3の紙のヘリ部分で取り切れていなかった、39m、38.5m、38mを補足する。
◆これにてC3の紙は一部を残して完了する。
◆次に、新しい紙、後円部北側のB3を用意し、
(5)p16に据え(BS.p10)、裾部の改変部の肩や下場を少し入れて終了。

久津川車塚12月22日

【わたし・山口・佐藤・嶋野】9:00~16:40
◆3人いたので、3人に基本的に任せ、作業を観察し、また伐採など環境整備をしていた。
◆昨日の続きで、P5に据え(BS.P6)、後円部西斜面を37.75mから34m まで下ろす。途中から、単純なところは50㎝ずつ下げ、25㎝は見て書くこととする。ほぼ上段裾テラス面まで降りてきた。テラス面に近づき、傾斜が緩やかなところでは、25㎝を計測。最後は、掩体壕の張り出しの上面を少しやったところで終了した。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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