人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
決め!の写真
◆これから3週間はスクランブル体制で実習展をやらんとあかんだろう。リーフレットの作成など、まだまだなにも見えない。その前にチラシだが、去年のようにはいかない・・・。がともかく、チラシに使う決定的写真を昨日から考えている。文学部60周年を示すのにふさわしいものは何か、なかなか思い浮かばなかったが、一応、腹案を思いついた。これ1日がかりの撮影になるかもしれないが、バツグンの写真を撮りたいと思う。
あ~あ疲れる
◆博物館実習展、文系の文学部60周年展の12月5日まで、あと3週間を切った。今週の水曜日、こ れは間に合わないのではと、やや絶望的になる。が、朝、家族3人で朝飯を食って話をしていると、まあ気分も晴れ・・・、まあヤルッキャない、という決意を・・・。
◆180センチ幅の壁ケースのひとつに、これまでに文学部に籍を置いた教員の一覧図を載せようと勝手に考え、1面くれと学生に申し出る。職員名簿などで、入力をしてもらってもいたが、一気に2日でやっつけ、だいたいのレイアウトが確定した。
◆ひちめんどくさい話で、点検だけでもたいへん。が、ここに学科再編などの画期を記入していけば、いい図になるだろう。やってやろうという気になると、止まらなくなる。おかげで肩は凝り、ええかげん疲れた。
◆大学史のTさんからも情報があり、大学設置審関係の書類が本部の地下倉庫に永年保存してあ り、今回の60周年の起点である、法文学部を昭和28年1953年に法学部と文学部に分離する際の、起案文書が出てきたので、展示物に使おうと思う。
◆180センチ幅の壁ケースのひとつに、これまでに文学部に籍を置いた教員の一覧図を載せようと勝手に考え、1面くれと学生に申し出る。職員名簿などで、入力をしてもらってもいたが、一気に2日でやっつけ、だいたいのレイアウトが確定した。
◆ひちめんどくさい話で、点検だけでもたいへん。が、ここに学科再編などの画期を記入していけば、いい図になるだろう。やってやろうという気になると、止まらなくなる。おかげで肩は凝り、ええかげん疲れた。
◆大学史のTさんからも情報があり、大学設置審関係の書類が本部の地下倉庫に永年保存してあ り、今回の60周年の起点である、法文学部を昭和28年1953年に法学部と文学部に分離する際の、起案文書が出てきたので、展示物に使おうと思う。
2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(10)艸墓
◆4つを選んだが、最後に学生たちに見せたかった文殊院西は、お寺さんがあいている時間を超え たのでアウト(これは11月18日に計測でまた行く)。3つめの艸墓に行く。岩屋山亜式。もう日没し、暗い中を細い通路をたどって入っていく。恥ずかしながら初めてである。メスリ山の測量の時に通った道からちょっとそれればあったわけだが・・・。
◆玄室も小さくなり、石棺があっていっぱいいっぱい。これ竜山石だそうな。けっこうパリパリしていて、二上山石棺がガリガリ傷つけられている柔らかさとは異なることがわかる。まあ切石とはいえ、羨道などでは自然石そのままだろう石もあり、玄室も角部などでは詰石もあるように、コウ打して壁面を整える技術はあっても、それを徹底してやるかどうかは、また別であることがわかる。大きな花崗岩の調達とどこまで労力をかけてきれいに整えるか、階層差が反映するだろう。
◆本日、峯塚、ムネサカ、艸墓と見てきて、やはり岩屋山古墳の整美さが際だつ(文殊院西もだが)。終了は17:45。学生らを桜井駅で降ろして帰る。なんだか疲れ果てているので、早く寝る。
◆玄室も小さくなり、石棺があっていっぱいいっぱい。これ竜山石だそうな。けっこうパリパリしていて、二上山石棺がガリガリ傷つけられている柔らかさとは異なることがわかる。まあ切石とはいえ、羨道などでは自然石そのままだろう石もあり、玄室も角部などでは詰石もあるように、コウ打して壁面を整える技術はあっても、それを徹底してやるかどうかは、また別であることがわかる。大きな花崗岩の調達とどこまで労力をかけてきれいに整えるか、階層差が反映するだろう。
◆本日、峯塚、ムネサカ、艸墓と見てきて、やはり岩屋山古墳の整美さが際だつ(文殊院西もだが)。終了は17:45。学生らを桜井駅で降ろして帰る。なんだか疲れ果てているので、早く寝る。
2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(8)赤坂天王山
◆ここは前に見ているが、学生ははじめてなので立ち寄る。入り口狭く、内部に入り込むと天井の 高い石室がある。家形石棺も立派。この石棺の正面部の仕口みたいなやつは何な んでしょうか。開口部があり栓みたいになっていたのか、そんなんほかに見ないし、あとからならガキンとした割れ口だけでよいように思うが。それと石棺内部に入り込み、文字を刻むヤツが絶えない。棺桶に入り、その内面を削るヤツの気は知れないが、ほっとくわけにもいかないだろう。
◆感激したのはここからで墳丘ですわ。用明陵と推古陵に入れてもらったが、用明陵とならぶ、前方後円墳後の方墳の典型例で、それを観察することができる貴重な例。前来たときは墳頂に上がらなかったが、失敗。ぜったい上に上がってください。少なくとも3段の様子がよく見ることができます。これが25㎝尺かどうかがオレにとっては重要なこと。桜井市のガイドブックの図は小さいので、もう少し大きい図がほしいところ。この新しい図によれば、使用尺度についても、かなり確かな結論がえられるだろう。
◆感激したのはここからで墳丘ですわ。用明陵と推古陵に入れてもらったが、用明陵とならぶ、前方後円墳後の方墳の典型例で、それを観察することができる貴重な例。前来たときは墳頂に上がらなかったが、失敗。ぜったい上に上がってください。少なくとも3段の様子がよく見ることができます。これが25㎝尺かどうかがオレにとっては重要なこと。桜井市のガイドブックの図は小さいので、もう少し大きい図がほしいところ。この新しい図によれば、使用尺度についても、かなり確かな結論がえられるだろう。
2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(7)ムネサカ1号墳
◆腹案では、花山塚からぜんぶ主要なモノを見ていくつもりだったが、天理により、また車を上げ てもらうという時間のロスもあり、4つに絞る。でムネサカ1号墳にむかう。粟原 まで来たのははじめてだろう。桜井市のガイドブックで行こうとするも行き着けず。前にネットで写真に矢印まで書いてあるものがあるのは知っていたので(たいていの主要な横穴式石室の行き方はネットで拾えます)、スマホで検索してもらうと出てきた。ちょっと東に行き過ぎだった。
◆場所もルートもわかったが、急な斜面の登りに加え、植林した木をバサバサ伐採してあり、横倒しにしたまま放置してあり、山道がふさがれている。それをのりこえくぐり、なんとかたどりつく。もう夕刻がせまっている。
◆石室は、なんだかずれているのか、石と石の隙間が空いていっている感じ。前に見ていた写真とは異なり、羨道の天井石がすっかりポッカリ10㎝ほど空いている接続部があって、そこから封土が落ちてきた高まりがある。それから前壁の石が薄く立てて使ってあり、羨道の最初の天井石との間にも隙間ができている。
◆場所もルートもわかったが、急な斜面の登りに加え、植林した木をバサバサ伐採してあり、横倒しにしたまま放置してあり、山道がふさがれている。それをのりこえくぐり、なんとかたどりつく。もう夕刻がせまっている。
◆石室は、なんだかずれているのか、石と石の隙間が空いていっている感じ。前に見ていた写真とは異なり、羨道の天井石がすっかりポッカリ10㎝ほど空いている接続部があって、そこから封土が落ちてきた高まりがある。それから前壁の石が薄く立てて使ってあり、羨道の最初の天井石との間にも隙間ができている。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。