人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
国はどのように破綻するのか
◆50兆円の税収に対して80兆円の支出、累積赤字はいくらだろう、もうすこしで1000兆円となる。800万円の
年収に換算すると、支出が1280万円、毎年480万円借金を重ね、累積1億6000万円、いわゆる自己破産だ。
◆給料があるのは定年まで、それに対して国は永遠に続くと思われている。それでもプライマリーバランスを取り、返済計画を立てなければなるまい。支出を税収の範囲50兆円に抑えても、借金は減らず利息のため増えてゆく。40兆円におさえ、10兆円を返済にまわしても、今後の金利を考慮せず1000兆円として100年かかる。
◆米国債が暴落すれば、さらに資産も目減りする。自転車操業以下である。さて、こうした行き着く先はどうなるのか。国債の格付けがあり、日本の国債は価値を下げている。返済できる見込みなく、信用されなくなるということだ。
◆返済は短期・長期いろいろある。次年度に返済しなければならない額があり、また国債を発行する。どうなるんだろうか。例えば誰も買ってくれなくなるとか。しかし、日本人はお人好しだから買うんだろう。国はなくならないから確実に返ってくると投資してくれるか。しかし限度はあろう。格付けが下がり外国および外国人投資家は買わなくなる。国内で買ってくれるうちはよいが、それも手を引き始めると、借金でまかなえなくなる。これで破綻。そうするとどうなる?取り付け騒ぎ?、外国および外国人投資家に支払わねばならないものは払い、日本人の国債はモラトリアム?。その前に円がそもそも暴落?。そうなるともっと早く外国への支払いも破綻する。また、国債は不良債権となり、預貯金は額面はともかく無価値になる?。で、IMFとかなんとかが出てくるのかな。
◆タイとか韓国とか、以前の事例を見ればわかるのかな。え~い、想像できん
◆給料があるのは定年まで、それに対して国は永遠に続くと思われている。それでもプライマリーバランスを取り、返済計画を立てなければなるまい。支出を税収の範囲50兆円に抑えても、借金は減らず利息のため増えてゆく。40兆円におさえ、10兆円を返済にまわしても、今後の金利を考慮せず1000兆円として100年かかる。
◆米国債が暴落すれば、さらに資産も目減りする。自転車操業以下である。さて、こうした行き着く先はどうなるのか。国債の格付けがあり、日本の国債は価値を下げている。返済できる見込みなく、信用されなくなるということだ。
◆返済は短期・長期いろいろある。次年度に返済しなければならない額があり、また国債を発行する。どうなるんだろうか。例えば誰も買ってくれなくなるとか。しかし、日本人はお人好しだから買うんだろう。国はなくならないから確実に返ってくると投資してくれるか。しかし限度はあろう。格付けが下がり外国および外国人投資家は買わなくなる。国内で買ってくれるうちはよいが、それも手を引き始めると、借金でまかなえなくなる。これで破綻。そうするとどうなる?取り付け騒ぎ?、外国および外国人投資家に支払わねばならないものは払い、日本人の国債はモラトリアム?。その前に円がそもそも暴落?。そうなるともっと早く外国への支払いも破綻する。また、国債は不良債権となり、預貯金は額面はともかく無価値になる?。で、IMFとかなんとかが出てくるのかな。
◆タイとか韓国とか、以前の事例を見ればわかるのかな。え~い、想像できん
竹取物語
◆キトラと高松塚が阿倍御主人と石上麻呂だとすると、天武・持統朝の重臣、5人の貴公子を思い浮かべる。この5人の墓には、壁画があってよいのではないかと。なのであと3つある、とひそかに思っていた。でも、御幸と嶋は御主人より早くに死んでいる。だからどうだかわかんないな。それにしても不比等の墓が知りたい。
◆マルコ山古墳(前園説)
691川島皇子(かわしまのみこ)斉明3(657)-持統5年9月9日(691年10月6日)
浄大参(四品) 34歳
『日本書紀』越智野
◆なんとか古墳
701大伴御行(おおとものみゆき)大化2年(646年)?-大宝元年1月15日(701年2月27日)
大納言・正広参 56歳 (贈)右大臣・正広弐
◆なんとか古墳
701多治比嶋(たじひのしま)推古32年(624年)-大宝元年7月21日(701年8月29日)
左大臣・正二位 78歳
◆キトラ古墳
703阿倍御主人(あべのみうし)舒明7年(635年)-大宝3年閏4月1日(703年5月20日)
右大臣・従二位 69歳
◆高松塚古墳
717石上麻呂(いそのかみのまろ)舒明12年(640年)-霊亀3年3月3日(717年4月22日)
左大臣・正二位 78歳 (贈)従一位
◆なんとか古墳(墓)
720藤原不比等(ふじわらのふひと)斉明5年(659年)-養老4年8月3日(720年9月13日)
右大臣・正二位 63歳 (贈)太政大臣・正一位
◆石のカラトは?
※データはウィキによる。
◆マルコ山古墳(前園説)
691川島皇子(かわしまのみこ)斉明3(657)-持統5年9月9日(691年10月6日)
浄大参(四品) 34歳
『日本書紀』越智野
◆なんとか古墳
701大伴御行(おおとものみゆき)大化2年(646年)?-大宝元年1月15日(701年2月27日)
大納言・正広参 56歳 (贈)右大臣・正広弐
◆なんとか古墳
701多治比嶋(たじひのしま)推古32年(624年)-大宝元年7月21日(701年8月29日)
左大臣・正二位 78歳
◆キトラ古墳
703阿倍御主人(あべのみうし)舒明7年(635年)-大宝3年閏4月1日(703年5月20日)
右大臣・従二位 69歳
◆高松塚古墳
717石上麻呂(いそのかみのまろ)舒明12年(640年)-霊亀3年3月3日(717年4月22日)
左大臣・正二位 78歳 (贈)従一位
◆なんとか古墳(墓)
720藤原不比等(ふじわらのふひと)斉明5年(659年)-養老4年8月3日(720年9月13日)
右大臣・正二位 63歳 (贈)太政大臣・正一位
◆石のカラトは?
※データはウィキによる。
考古学通論の試験
◆昨日2限は考古学通論の試験だった。持ち込み可、あらかじめざっっくりとした論述問題であることも言ってある。持ち込み可だから、いろいろ書けるけれど、単なる羅列ではダメよとも。1時間半、みなうんうんと書き込む。これでいいと思っている。けっこう今期はマニアックな授業だったし、持ち込み不可で、ほとんど書けずに早々に出て行く者続出の試験よりも、1時間半、集中して論述すること、これはいい風景だと感じている。数年前からのスタイル。
◆試験中、本を読んでいるわけにもいかないし、いつもメモ用紙を前に思索することにしている。試験中なので、なにも資料はない、あくまでも頭で考える。1時間半集中というわけにはいかないが、これもいい時間だ。2つのことを考えていた。ひとつは横穴式石室の話だが、これもいくつかのチェックポイントに気付いた。もうひとつは、5世紀後半以降の2王並立解消および河内大塚の問題だった。
◆試験時間にまとめた考え。允恭の次の世代は、キナシカルとイチノベ、土師ニサンザイと市野山はだいたい同じ時期。
◆460年頃には総入れ替え。神聖王シラカと執政王ワカタケル、ワカタケル墓が岡ミサンザイとして、河内大塚はシラカの神聖王墓として築造開始、未完に終わったのではないか。ともかく河内大塚が土師ニサンザイの後続形式とすると、日継とされる神聖王シラカの墳墓ということになる。ワカタケルは履中系のイチノベを殺害し、履中系が執政王も独占する。ワカタケルは479に没するが、倭王武であるシラカは6世紀初頭まで生存していた可能性がある(南朝梁だったかへの倭王武の献使、これは一般的には否定的に見られているが)。
◆このあとオケ・ヲケ王が登場する。顕宗の実在は疑わしいが仁賢は実在したとされている。これはなんだろうか。仁賢陵となっているボケ山古墳は、古市の100m級の前方後円墳。河内大塚は約300mで、これは神聖王墓の規範にしたがった規模であるが、執政王墓は岡ミサンザイからは大きく規模を落としている。シラカ王の段階では、まだ2王並立で、執政王として仁賢を擁立するが、執政王の墳丘規模を制限したと思われる。
◆しかし河内大塚は未完らしい。葺石もなければ埴輪もない。両宮山と同じだ。西田さんは横穴式石室だというが、これについては来年2月の立ち入りまでにもう少し勉強しておこう。だがしかし、前方後円墳としては未完と考えざるをえない。晩年に何かあったのだ。
◆考えられるのはオホドの擁立だろう。仁賢没後に大伴金村らが担ぎ出したオホド、彼は北陸を基盤とする政治的実力者で、執政王位に就く。前に福永さんが、和歌山・隅田八幡の人物画像鏡の話をしたとき、詳しくは忘れたが、『日本書紀』による即位年より前(何年だったか、503年とかそれくらい)に、実際には王になっていたといった話をしていた。百済・武寧王との密接な関係がある。オホド擁立そのものが百済の意向がかなり反映しているのかもしれない。問題は河内政権シラカ王と、オホド王の関係である。シラカは仁賢を立てながらも権力を掌握していたとも思われるが、これに対する反動として、河内政権を支える大伴・物部に裏切られ、仁賢後にオホド王を担ぎ出し、シラカを排除したのかもしれない。これによって河内大塚は未完に終わった。実権をにぎっていたシラカ、古市古墳群と百舌鳥古墳群のちょうど中間に河内大塚を築造しながら、河内政権はオホドをかつぐ大伴・物部のクーデタによって瓦解する。
◆オホドの新政権は、従来の葬法を一挙に転換する。6世紀の畿内型横穴式石室の原型は、柏原・高井田山古墳。安村さんによれば、百済王族の墓で、475年直後と推定している。畿内の倭人の横穴式石室採用はそれ以降となる。やっぱり、5世紀までの王墓は竪穴系で、横穴式石室の採用は今城塚からと考えるべきなんだろう。今城塚古墳の入念な基礎構造を見ていると、はじめて前方後円墳に横穴式石室を組み込む葬法が採用されたことにともなう、特殊なあり方とみるにふさわしい。石室は百済として、石棺との組み合わせからすると、阿蘇石石棺を製作した有明海沿岸の百済直結勢力の影響が大きいのだろう。全羅南道の倭系百済官人の前方後円墳もちょうどこの時期。
◆武寧王の時代は、熊津時代の全盛期。475に漢城を失い遷都するが、復興を遂げ、南朝に朝貢し、安定を見ていた。倭の軍事支援を一層引き出すため、武寧王は、有明海沿岸勢力、大伴金村、オホドと密接に連携し、親百済政権を樹立したということか。これが河内政権の終焉となる(古市ではいましばらく中規模の前方後円墳は残存する)。
◆横穴式石室のリストを見ると、圧倒的に大和だ。河内の群衆墳は早いけれども、渡来系の色合いが濃い。倭人の首長墓で、比較的大型の横穴式石室墳のほとんどは大和だ。河内政権打倒には、大和の豪族がかなり荷担したのではないか。むろん淀川流域から近江~東海というラインもあるが、大和も河内にとってかわる運動を推進したことの表れか(埴輪の製作技法と関連しそうだ)。6世紀、政権本拠が大和に移る背景には、オホド擁立を推進した大和諸勢力があったのかもしれない。
◆さ、仕事しよう。
◆試験中、本を読んでいるわけにもいかないし、いつもメモ用紙を前に思索することにしている。試験中なので、なにも資料はない、あくまでも頭で考える。1時間半集中というわけにはいかないが、これもいい時間だ。2つのことを考えていた。ひとつは横穴式石室の話だが、これもいくつかのチェックポイントに気付いた。もうひとつは、5世紀後半以降の2王並立解消および河内大塚の問題だった。
◆試験時間にまとめた考え。允恭の次の世代は、キナシカルとイチノベ、土師ニサンザイと市野山はだいたい同じ時期。
◆460年頃には総入れ替え。神聖王シラカと執政王ワカタケル、ワカタケル墓が岡ミサンザイとして、河内大塚はシラカの神聖王墓として築造開始、未完に終わったのではないか。ともかく河内大塚が土師ニサンザイの後続形式とすると、日継とされる神聖王シラカの墳墓ということになる。ワカタケルは履中系のイチノベを殺害し、履中系が執政王も独占する。ワカタケルは479に没するが、倭王武であるシラカは6世紀初頭まで生存していた可能性がある(南朝梁だったかへの倭王武の献使、これは一般的には否定的に見られているが)。
◆このあとオケ・ヲケ王が登場する。顕宗の実在は疑わしいが仁賢は実在したとされている。これはなんだろうか。仁賢陵となっているボケ山古墳は、古市の100m級の前方後円墳。河内大塚は約300mで、これは神聖王墓の規範にしたがった規模であるが、執政王墓は岡ミサンザイからは大きく規模を落としている。シラカ王の段階では、まだ2王並立で、執政王として仁賢を擁立するが、執政王の墳丘規模を制限したと思われる。
◆しかし河内大塚は未完らしい。葺石もなければ埴輪もない。両宮山と同じだ。西田さんは横穴式石室だというが、これについては来年2月の立ち入りまでにもう少し勉強しておこう。だがしかし、前方後円墳としては未完と考えざるをえない。晩年に何かあったのだ。
◆考えられるのはオホドの擁立だろう。仁賢没後に大伴金村らが担ぎ出したオホド、彼は北陸を基盤とする政治的実力者で、執政王位に就く。前に福永さんが、和歌山・隅田八幡の人物画像鏡の話をしたとき、詳しくは忘れたが、『日本書紀』による即位年より前(何年だったか、503年とかそれくらい)に、実際には王になっていたといった話をしていた。百済・武寧王との密接な関係がある。オホド擁立そのものが百済の意向がかなり反映しているのかもしれない。問題は河内政権シラカ王と、オホド王の関係である。シラカは仁賢を立てながらも権力を掌握していたとも思われるが、これに対する反動として、河内政権を支える大伴・物部に裏切られ、仁賢後にオホド王を担ぎ出し、シラカを排除したのかもしれない。これによって河内大塚は未完に終わった。実権をにぎっていたシラカ、古市古墳群と百舌鳥古墳群のちょうど中間に河内大塚を築造しながら、河内政権はオホドをかつぐ大伴・物部のクーデタによって瓦解する。
◆オホドの新政権は、従来の葬法を一挙に転換する。6世紀の畿内型横穴式石室の原型は、柏原・高井田山古墳。安村さんによれば、百済王族の墓で、475年直後と推定している。畿内の倭人の横穴式石室採用はそれ以降となる。やっぱり、5世紀までの王墓は竪穴系で、横穴式石室の採用は今城塚からと考えるべきなんだろう。今城塚古墳の入念な基礎構造を見ていると、はじめて前方後円墳に横穴式石室を組み込む葬法が採用されたことにともなう、特殊なあり方とみるにふさわしい。石室は百済として、石棺との組み合わせからすると、阿蘇石石棺を製作した有明海沿岸の百済直結勢力の影響が大きいのだろう。全羅南道の倭系百済官人の前方後円墳もちょうどこの時期。
◆武寧王の時代は、熊津時代の全盛期。475に漢城を失い遷都するが、復興を遂げ、南朝に朝貢し、安定を見ていた。倭の軍事支援を一層引き出すため、武寧王は、有明海沿岸勢力、大伴金村、オホドと密接に連携し、親百済政権を樹立したということか。これが河内政権の終焉となる(古市ではいましばらく中規模の前方後円墳は残存する)。
◆横穴式石室のリストを見ると、圧倒的に大和だ。河内の群衆墳は早いけれども、渡来系の色合いが濃い。倭人の首長墓で、比較的大型の横穴式石室墳のほとんどは大和だ。河内政権打倒には、大和の豪族がかなり荷担したのではないか。むろん淀川流域から近江~東海というラインもあるが、大和も河内にとってかわる運動を推進したことの表れか(埴輪の製作技法と関連しそうだ)。6世紀、政権本拠が大和に移る背景には、オホド擁立を推進した大和諸勢力があったのかもしれない。
◆さ、仕事しよう。
民主党のマニフェスト実現のための財源
◆民主党が無駄を精査して9兆円を捻出するとしている点に対する、自民党の攻撃がはげしい。国民にしてみれば、民主党よ、やってみよ、自民党よ、それができなかった時に非難せよ、と言いたい。
◆それはともかく、わたしはひそかに期待することがある。民主党が現時点でどう考えているかはわからないが、小沢が以前に第7艦隊だけでよいといった発言から、もしかすると軍備費削減に手をつけることを考えているのかもしれない、と。あるいは、そうでないとしても、自民党の追求のように、思うように財源が確保できない時に、民主党に軍事費削減に手を付けて欲しいのだ。アメリカからどう言われようと、我が国の財政状況はそれどころではない、とつっぱねてほしい。「基地移転費も出せない」、「思いやり予算も見直す」、そこまでは無理だろう。しかし、公共事業は歴史的必然(人口減少・インフラ充足)として段階的に減らさざるをえないが、一方で雇用の受け皿も作っていかなければならないのに対し、自衛隊の費用は、ひとまず必要な人件費はいるとして、新規の軍備購入費は事業費ではない。訓練も最小限にする、これは地域の雇用へなんの影響も与えない。1機100億円以上もするような戦闘機をなぜに買う必要があるのか。
◆共産党の主張とも重なるが、共産党のような正論では世論は動くまい。民主党には、今日の財政危機をはっきり訴え、しかし年金や医療など必要な予算を配分していくためには、ここに手をつけるほかはない、とうまく説明して、右派の攻撃をいなして、実を取って欲しい。これを期待しよう。
◆それはともかく、わたしはひそかに期待することがある。民主党が現時点でどう考えているかはわからないが、小沢が以前に第7艦隊だけでよいといった発言から、もしかすると軍備費削減に手をつけることを考えているのかもしれない、と。あるいは、そうでないとしても、自民党の追求のように、思うように財源が確保できない時に、民主党に軍事費削減に手を付けて欲しいのだ。アメリカからどう言われようと、我が国の財政状況はそれどころではない、とつっぱねてほしい。「基地移転費も出せない」、「思いやり予算も見直す」、そこまでは無理だろう。しかし、公共事業は歴史的必然(人口減少・インフラ充足)として段階的に減らさざるをえないが、一方で雇用の受け皿も作っていかなければならないのに対し、自衛隊の費用は、ひとまず必要な人件費はいるとして、新規の軍備購入費は事業費ではない。訓練も最小限にする、これは地域の雇用へなんの影響も与えない。1機100億円以上もするような戦闘機をなぜに買う必要があるのか。
◆共産党の主張とも重なるが、共産党のような正論では世論は動くまい。民主党には、今日の財政危機をはっきり訴え、しかし年金や医療など必要な予算を配分していくためには、ここに手をつけるほかはない、とうまく説明して、右派の攻撃をいなして、実を取って欲しい。これを期待しよう。
国民の選択
◆昨日のニュースなんとかでの、福岡7区の選挙戦、大牟田市において、古賀誠が堂々と自分が公共工事をもたらしたこと、福岡でも有数のインフラの整う地域にしたのは自分であるとはっきり言うのを感慨深く見た。古い政治構造の典型で、古賀はもはやそれを否定できる年齢ではなく、こうした利益誘導を重ねてきた自分を正当化するしかなく、それで負けるなら仕方ないと思っているのだろう。古賀のその人を非難するのでない、自民党政治=公共事業の誘導という、従来の典型的な自民党議員のあり方を改めて確認できた。
◆これを見てすぐに思ったのが、いま朝日の夕刊でやってる、各地での地元に根ざした地道な町おこし、村おこし、との対照だった。取り上げられている地域個々に、とりたてて観光名所や産業や特徴があるわけではない。しかし、それぞれに過疎化に危機感を感じ、特産品を生み出したり、観光スポットを作り出したり、自分たちの住むところの魅力作りにボランティアで取り組むコミュヌティーを作り出すなど、地域において人と人とのつながりを再構築し、雇用を産み出し、若者も地元に戻ってきたり、お年寄りが楽しく暮らす姿が描かれている。
◆大牟田市民は、高速道路や新幹線の駅や、港湾整備や誠橋(ムネオハウスと同類)など、次々と工事が進む一方で、シャッター街となった商店街、こうした姿と、こうした大金を投じての公共事業がなくとも、地域作りをしていこうという新聞で紹介されているような取り組みと、どっちがいいのか、ということだ。
◆これを見てすぐに思ったのが、いま朝日の夕刊でやってる、各地での地元に根ざした地道な町おこし、村おこし、との対照だった。取り上げられている地域個々に、とりたてて観光名所や産業や特徴があるわけではない。しかし、それぞれに過疎化に危機感を感じ、特産品を生み出したり、観光スポットを作り出したり、自分たちの住むところの魅力作りにボランティアで取り組むコミュヌティーを作り出すなど、地域において人と人とのつながりを再構築し、雇用を産み出し、若者も地元に戻ってきたり、お年寄りが楽しく暮らす姿が描かれている。
◆大牟田市民は、高速道路や新幹線の駅や、港湾整備や誠橋(ムネオハウスと同類)など、次々と工事が進む一方で、シャッター街となった商店街、こうした姿と、こうした大金を投じての公共事業がなくとも、地域作りをしていこうという新聞で紹介されているような取り組みと、どっちがいいのか、ということだ。
あめりか国債
◆中国政府のアメリカ国債に関する不安は正当なものだ。日本も、これを多量にかかえることの危険性を認識すべし。アメリカの財政状況が早々に回復することはないし、諸国の経済的台頭のなかで、相対的比重が今後ますます後退することは必然である。
大森実の本
◆むか~し買って読んだ講談社文庫の大森実(毎日新聞記者)の戦後史の本をなぜだか、読んでいる。10巻本だが、1・2巻がある。
◆昭和20年、ドイツがもうすぐ負けるという段階での、対日講話、対米講話について、ドイツのように本土決戦になることを防ぐべく、外務省などの公式ルートとは異なる道をさぐっていた動きが紹介されている。結局は、スイス、ベルンにおけるアレンダレスとの交渉もまったく取り上げられず、そうした努力はフイになり8月15日を迎えるという、まるで麻生政権のような、追い込まれてのポツダム宣言受諾に至る。ダレスは戦後CIA長官となるが、その活動はあたりまえだが戦時中に始まっていたわけだが、日本の為政者は、ダレスがルーズベルト大統領に直結する人物であり、重要なパイプになることがわからなかったのである。
◆ルーズベルトが死にトルーマンに変わり、原爆を落とすことが重要課題となり、アメリカ側の姿勢も変わるのだろうが、アメリカも望んでいた、より早い終戦は実現しなかった。ソ連の対日参戦の準備が整うまでのあいだに決着をつけたいアメリカとの間で、話が整う可能性は0ではなかったに違いない。
◆まあ、面白いのだが、学術的コメントができるわけではない。気になるのは、例えば、そういうスイスの海軍武官が独自に講和の道を探る根本は、ドイツのようにベルリン陥落というような悲惨な事態を防ぐということなのだが、彼らの考えはむろん正しとはいえ、そこには沖縄が入ってこないことだ。硫黄島と変わりがないのだ。あくまで本土が焼土となることを防ぎたい、ということであって、4月1日から3ヶ月にわたる沖縄戦はいたしかたないと考えているのだ。
◆それから児玉誉士夫の児玉機関の話と、児玉との対談記録が面白い。児玉は、国民あっての国家、国家あっての天皇であることを、為政者も天皇も忘れているという。天皇はけしからんと。たとえGHQが天皇を戦犯として扱わなかったとしても、天皇は謝るべきだった、そして退位して、戦争で死んでいった国民の慰霊に生涯をささげるべきだった、それでないと血の通った人間ではないと。まったく正論だ。
◆昭和20年、ドイツがもうすぐ負けるという段階での、対日講話、対米講話について、ドイツのように本土決戦になることを防ぐべく、外務省などの公式ルートとは異なる道をさぐっていた動きが紹介されている。結局は、スイス、ベルンにおけるアレンダレスとの交渉もまったく取り上げられず、そうした努力はフイになり8月15日を迎えるという、まるで麻生政権のような、追い込まれてのポツダム宣言受諾に至る。ダレスは戦後CIA長官となるが、その活動はあたりまえだが戦時中に始まっていたわけだが、日本の為政者は、ダレスがルーズベルト大統領に直結する人物であり、重要なパイプになることがわからなかったのである。
◆ルーズベルトが死にトルーマンに変わり、原爆を落とすことが重要課題となり、アメリカ側の姿勢も変わるのだろうが、アメリカも望んでいた、より早い終戦は実現しなかった。ソ連の対日参戦の準備が整うまでのあいだに決着をつけたいアメリカとの間で、話が整う可能性は0ではなかったに違いない。
◆まあ、面白いのだが、学術的コメントができるわけではない。気になるのは、例えば、そういうスイスの海軍武官が独自に講和の道を探る根本は、ドイツのようにベルリン陥落というような悲惨な事態を防ぐということなのだが、彼らの考えはむろん正しとはいえ、そこには沖縄が入ってこないことだ。硫黄島と変わりがないのだ。あくまで本土が焼土となることを防ぎたい、ということであって、4月1日から3ヶ月にわたる沖縄戦はいたしかたないと考えているのだ。
◆それから児玉誉士夫の児玉機関の話と、児玉との対談記録が面白い。児玉は、国民あっての国家、国家あっての天皇であることを、為政者も天皇も忘れているという。天皇はけしからんと。たとえGHQが天皇を戦犯として扱わなかったとしても、天皇は謝るべきだった、そして退位して、戦争で死んでいった国民の慰霊に生涯をささげるべきだった、それでないと血の通った人間ではないと。まったく正論だ。
なんでハセ(長谷)なんだろう
◆長谷という漢字はけっしてハセとは読めないだろうし、ハセに長い谷という意味が含まれるとも思えない。音のハセがまずありきと想定しよう。倭語としてなんらかの意味があると思うが、それは調べてみないとわからない。
◆要は、地名のハセがまずあって、そこは長い谷地形のところなので、漢字を当てる時に「長谷」が当てられた(当字)になったのではないか、ということを思いついた。調べればわかるんだろうね。
◆全国の長谷という地名や長谷川さんという名前、これは長谷寺が起源ということになるが・・・。ちゃうのかな。
◆以下、小澤さんからのご教示(勝手に転載します、内容的に問題ないと思いますので、お許しあれ)「雄略を大泊瀬幼武(『日本書紀』)、大長谷若建(『古事記』)と記すように、初瀬・泊瀬は本来「はつせ」と読みましたが、貴兄が機上で実感されたごとく、西峠までまっすぐに延びる初瀬川本流の形状により、「長谷」の用字が生まれました。地名辞書類では、泊瀬にかかる枕詞「長谷(ながたに)の」から、転じて長谷を「はつせ」と読むようになったとあります。「春日(はるび)のかすが」「飛ぶ鳥のあすか」と同じというわけです。(もっとも、以前にちょっと調べたことがありますが、僕自身は、初瀬に枕詞「ながたにの」がついた用例を確認できませんでした。『万葉集』では、初瀬(泊瀬)の枕詞は「こもりくの」です。)ですから、長谷さんや長谷川さんは、本義どおり、谷や川に基づく名前なんでしょうね。長谷寺が起源、というのはちょっと違うかも。」
◆要は、地名のハセがまずあって、そこは長い谷地形のところなので、漢字を当てる時に「長谷」が当てられた(当字)になったのではないか、ということを思いついた。調べればわかるんだろうね。
◆全国の長谷という地名や長谷川さんという名前、これは長谷寺が起源ということになるが・・・。ちゃうのかな。
◆以下、小澤さんからのご教示(勝手に転載します、内容的に問題ないと思いますので、お許しあれ)「雄略を大泊瀬幼武(『日本書紀』)、大長谷若建(『古事記』)と記すように、初瀬・泊瀬は本来「はつせ」と読みましたが、貴兄が機上で実感されたごとく、西峠までまっすぐに延びる初瀬川本流の形状により、「長谷」の用字が生まれました。地名辞書類では、泊瀬にかかる枕詞「長谷(ながたに)の」から、転じて長谷を「はつせ」と読むようになったとあります。「春日(はるび)のかすが」「飛ぶ鳥のあすか」と同じというわけです。(もっとも、以前にちょっと調べたことがありますが、僕自身は、初瀬に枕詞「ながたにの」がついた用例を確認できませんでした。『万葉集』では、初瀬(泊瀬)の枕詞は「こもりくの」です。)ですから、長谷さんや長谷川さんは、本義どおり、谷や川に基づく名前なんでしょうね。長谷寺が起源、というのはちょっと違うかも。」
階級社会
◆列車の1等・2等などの差、日本ではグリーン車など特急列車などに残存するが、ヨーロッパではまだまだありそうだし、アフリカなど、ぎゅうぎゅう詰めの車両に対して、外国人観光客などが乗る1等に、厳然たる階級社会を見る。今回、飛行機に乗って、エコノミーとファーストクラス、それになんというのか最上級クラス、の3種類があることが新鮮だった。最上級は、1人掛け用のソファのようなシートだ。昭和30年代までのような、ぎゅうぎゅう詰めの3等などの風景はなくなり、また階級社会とまで言うのは誤りだろうが、階層社会ではある。あのような席にに座る奴、どうせ成り上がりの金持ちなんだろうが、鼻持ちならないんだろうな。そういうことで社会的成功者としてのステイタスを確認するんだろう。「オマエラとは違うんだ」と。ひがみかもしれない。だけどなんか違和感がある。格差社会を明示し、格差はあって当たり前という固定化をもたらすのでは。存在する格差は、ほっといても、着るもの、食い物、あらゆる側面に現れよう。せめて、公共交通機関は、在来線や地下鉄などと同じく、特急も飛行機もまったく同じにしてはどうか。これはすばらしい国策と思うが。
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年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。