人を幸せにする人になろう

2023年1月27日、メールが・・・

◆朝、カミサンが痛みを訴え、市立病院に行く。原因不明だが、別の検査もして、結果待ち。この日は、会議日だったが、午前中は病院にいて欠席する。この病院、骨折入院し、その後、肩のカルシウムを抜いてもらったり、お世話になった。赤字が常に問題にされているようだが、地域の総合病院として不可欠。久しぶりに行き、なつかしい。支払いが機械になっていた。
◆数年前、2018年から2020年あたりは、親の入院・介護その他で、病院に行く機会が多く、いまの日本の縮図だな~と思ったが、現在は、3人まで他界し、うちの母親は施設に入り、あまり病院に行かなくなっていた。が、そうこうするうち、今度は自分らが病院にお世話になる機会が増える時期になるのだろう。カミサンの同僚だった先生は、すい臓ガンが発覚し1年もたずに亡くなったが、61才だったという。
◆この日、午後は職場に行き、会議に出る。が、この日は、3つの会議がすべてZOOMで、どなたも研究室には来てなかったようだ。で、メールを処理していて、失敗し、過去数年分、ここ最近のものを含め、受信メールを失った!。細かい理由はよしとして、ひとつは誤った操作、そしてゴミ箱行きになったものを、全削除してしまった。ある程度マメに処理してきたので、古いところは逆にすっきりした感はあるが、ここ最近で保留にしていたものについて、困る案件がいくつかありそうだ・・・。

不破関

◆A氏の報告には、さまざまな刺激を受けた。うちのひとつを紹介します。近江と美濃との交 通路の話で、当然、不破の関のところで行き来したと思っていた。だがそうではないとのこと。いまの関ケ原町に、弥生・古墳の遺跡は1か所、そして古墳はひとつもない。北近江や濃尾の土器の出土地からすると、伊吹山の北、八草峠を越えるルートと考えざるをえないとのことです!。

2023年1月22日(日)鈴鹿市大下遺跡シンポ

◆前日の土曜日にパワポの準備。以前にやったものの調整なのだが、それでも図を差し替えたり、1 日近くかかった。この時点で、しゃべる時間に対して枚数が多いことにあまり注意が行かなかった。ひととおり完成し、デスクトップからUSBに保存しようとする。資料やパワポだけでなく、木樋のオリジナル画像ももっていこうとし、フォルダは確かに容量が多かったのではあろう。USBへの移動がやたら時間がかかり、途中、やめたり、なにか反応がおかしいなとは感じた。でもなんとかUSBに移す。カット&ペーストで。そのUSBデータをノートPCにコピーしようと差し込んだら、「フォーマットせよ」と来てあわてる。まずい、常用のUSBがいかれた!。
◆しかたながいので家に帰り、あれこれデータ復旧無料ソフトでやってみたがダメ。再び、前にやった時のパワポからの再調整をひととおりやり、寝る。
◆12時白子。津で1時間ほどコーヒーを飲みながら、持って出た修論1本を読んだりして、白子。A氏 とともに、会場の小学校へ。このたび、取り上げた木樋の保存処理が完了し、その実物とレプリカ、それと溝の底面に据えてある模型などが、会場に展示してある。申し込みのあった80名でほぼ満席。A氏の発表に感銘を受ける。すごい!。またNPOの活動などについても、いまやっていること、また犬山学センターを設置した大学に協力し、教員としてやっているお仕事などについて、ご教示いただく。自分の報告は失敗ですね。

2022年12月26日、天草へ

◆原城のあと、有馬キリシタン遺産資料館に寄る。なかなかちゃんとした展示でした。今回、こうしたキリシタン関係の展示はいっぱい 見たので、どれがどれかわからなくなりつつありますが・・・。入口を入って左手が展示室だった。雲仙の南東部が地名有馬で、有馬晴信ら有馬の本拠地で、この地に最初のセミナリヨが建設されたのだとか。遺跡としてわかっているのかな。そのあと、高等教育機関であるコレジオについての説明をどこかで見たが、これは転々と動いたという説明だったような・・・。
◆天草に向かうため、半島南端の口之津に向かう。有馬からはすぐ近く。フェリーが出たところで、1時間ほど時間あり。ごはんを食べようとしたが、店が閉まっていたりした。このフェリー乗り場のところも、2階が資料館になっており、また港の先にある古い税関?の建物が分館になっているが、月曜日で閉まっていた。
◆天草の鬼池港までフェリー。

2022年12月26日、原城

◆島原市をあとにして、途中、高速も使い、南下。原城に向かう。有馬氏の日野江城にも立ち寄り たかったが、フェリーの時間もあって寄らず。
◆日野江城。以下、ウィキ。鎌倉時代前期の建保年間(1213年 – 1219年)に高来郡を領する藤原経澄が築城した。 経澄は築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称した。有馬氏は当初島原半島南部の一勢力に過ぎなかった。貴純の時代になると半島内の諸勢力を制圧し戦国大名へと成長していった。貴純は日野江城の支城として原城を築城している。晴純の時代に有馬氏の版図は最大となり21万石を領するまでに成長した。しかし、後ろ盾となっていた大内氏が滅亡すると龍造寺氏の圧迫を受けるようになった。13代目当主の晴信はキリシタン大名となり城下にセミナリヨを建設し、逆に寺社を破壊し城の築材とした。江戸時代初期には晴信は4万石を領し、日野江城は島原藩の藩庁となった。しかし、慶長17年(1612年)晴信は岡本大八事件に連座した罪により甲斐国で切腹となった。嫡男直純が後嗣となったが慶長19年(1614年)に日向国延岡城に移封となり、有馬氏は約400年間にわたる在城に別れを告げた。有馬氏が去り元和2年(1616年)に松倉重政が入城するまでの間は天領となった。松倉氏は入封後、日野江城に不便を感じ新たに島原城を建設し、日野江城を廃城とし歴史の幕を閉じた。
◆日野江城にやはり行くべきでしたね。原城、なかなかきれいに整備されている。畑があり、耕す人がおり、のどか。海が広がり、天草が見える。

2023年1月19日、人間ドック

◆毎年の定期健康診断をちゃんと受けない問題児です。このところ人間ドックを受けて結果を部署に届けております。昨年度はついに行けずじまい。2年前は初めて胃カメラというのをやって、ピロリ菌の存在が判明。今年度は、もう還暦前で、初めて頭部MRI・MRA、心臓CT、内臓のエコーなど、けっこう高額なコースとした。さて、結果は・・・。

2023年1月20日(金)、大学ミュージアム検討委員会

◆全学の検討委員会が9月に正式承認され、その第1回の会議があったので参加した。公立大学になって、その上層部が基本的に前向きなのかどうかは、よくわからないが、とにもかくにも動き始めた。旧府大側のコレクションがかなりあり、さまざまな分野の学術資料類がさらに充実した。博物館設置への筋道が、定年との関係でどう推移するかは不明だが、とにかくやれることはやっていきたい。

貧困なる精神

◆大学の頃以降、本多勝一を長く読んできた。大学生協の本屋で、朝日文庫と『貧困なる精神』の新刊が出ているたびに買っており、これが柱。単行本もそこそこはもっているが、限られた部分。すずさわ書店の『貧困なる精神』の最初が1974年らしい。その後、最初のものからそろえた。朝日の文庫の最初はなんだろうか。どこかで買わなくなるまで、だいたい買ってきた。『貧困なる精神』についていえば、その後、『朝日ジャーナル』の連載になって、朝日新聞社からA~S集が出ているが、もっているのは半分くらいかな。そして連載が『サンデー毎日』に移り、毎日新聞社から出た最初のZ集を買ったが、これが1993年刊で、そこまでくらい。
◆で、1993年創刊『週刊金曜日』の定期購読者となった。どこかまで講読していたが、引き落としの関係で途切れた。90年代のうちのことだろう。本多勝一の著作としては、2018年に最新の『貧困なる精神』が出ていることを、昨日、知る。
◆久しぶりにZ集を手に取り読み返したわけです。定年退職した1992年頃に書いたものをまとめたもので、長良川河口堰、PKO法案、佐川事件などが取り上げられている。

研究会案内

◆福島大学主催の研究会、および大歴考古部会例会(対面)です。 

空き家

◆新聞掲載のグラフ。自分の実家も空き家となっていたが、しばらく前から甥が住んでくれていま す。カミサンの実家は、遺産相続の結果、弟の資産となっているが、東京在住なので、時折、空気を入れるために行っております。あれはどうなるのか・・・。
◆空き家が増える一方で、新築も進む。交通の便がよいところでも、基本は更地にしないとなかなか買い手がつかないし・・・。空き家問題は大きな課題。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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