人を幸せにする人になろう

N先生の神功紀論

◆最新の考古学研究が届いたら、N先生の論文があったので読む。結論はありがたいものであった。好太王碑文がまずある、その前提として神功紀がある、369年前後の、「この時期に百済王が倭との交渉を求めたことに、軍事的要因以外の目的を考えることは、はたしてできるのであろうか。」という見方と同意見である。加えて「これまで襲撃によって新羅を苦しめてきた倭の力を借り」ようとしたもの、との見解も賛成である。ただし、卓淳は昌原であり、「新羅を攻略したとしても、これまでと同じように海からの襲撃であった可能性も生じてくる」とあり、時折、南岸沿いを荒らしまわっている、というイメージでもある。
◆要するに、百済が対高句麗対応として、倭に軍事援助を要請する。それは倭の加耶地域における活動が前提となっている。そこまでは同じ考え。なので、次は、369年以前の、加耶地域での倭人の活動内容として、交易はむろんだが、金官国の傭兵として人を派遣するだとか、そういう内実をともなっていたのかどうか、というところになる。百済が倭人の活動を知り、こいつらを使うという手はどうだろうか、と思わせる活動をしていた、とはいえるであろう。
◆新羅を時折攻めるという意味はよくわからんですね。加耶諸国とは「比較的」良好な関係を築いていた、しかし新羅は敵対的に構えていた、ということなのでしょうか。石釧が出ている、くらいのことしか、わたしにはわかりませんが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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