人を幸せにする人になろう

弥生の青銅武器および祭器

◆銅剣・銅矛・銅戈のことを授業で取り上げるため、手元にあるモノを調べてまとめようとするも、なかなか容易ならず。適当な概説ってあるんだろうか。
◆わからんこことも多いのだろうが、少なくとも系統・編年・年代観などが、できれば銅鐸も含めて1枚の図に表したものがほしい。よくわからんのが銅剣、細形銅剣と中細形銅剣は併存しているのか?、と読める。どうやら銅矛・銅戈とは異なるようだ。それは何なんか。実用武器の主流で広範に広がり地域差をやがて生み出していくらしい。
◆細形と中細形とが併存するなら、そうと明記し、併存していることを示す図が欲しい。銅矛の変化はよりシンプルにとらえられるようだが、銅剣がそんな単純に一系列でならぶものでないなら、そういうことを示して欲しい。
◆事実関係のことそのものがシンプルに伝わらないのである。吉田君、なんとかして~な。
◆銅鐸の群も、たくさんあり、その流派の関係をわかりやすく図示したものは見あたらない。
◆銅鐸は近畿が早くに採用して、広がったと、とらえていいのですよね。なぜか、という回答は容易ではないが、しかし武器・武器型祭器に対して、早くにまったく別種のものを採用し独自の青銅器を作り出した意義は少なくなかろう。北部九州での鋳型なり鋳造関係遺物の量は圧倒的かもしれないが、これに次ぐのは近畿である。単純に高度な技術を保持しているという意味だけでも、弥生中期段階でも、けっこう近畿はやるではないか、と思う。北部九州が先進地として、それより東は横並び、あるいは九州に近いほど先進地など、とはいえまい。
◆銅鐸が周辺に広がっていくことに、どこまでの意味を見いだしていいのかは議論が分かれるにしても、震源地は畿内だし、工人も畿内がかかえていたもので、それが一定の影響を周囲に与えていることは事実だろう。
◆十分に文献を読み込めていない。そんなに時間をかけたわけではないが、少しかじって、弥生の青銅器の認識を新たにできたので有益でした。青銅器、弥生社会のなかでどれほどのものか意見は分かれようが、日本に実用利器として普及しなかったという意味で青銅器時代はなかったのだろう。しかし青銅器時代の中国でも、祭器が著しく発達した。より希少であればこそ、祭器としてより発達し、そうした青銅祭器を主体的に造り出しうることは、やはり弥生社会の中で上位にあったと思うのである。そしてたかが青銅器かもしれないが、やっぱり青銅器は重要だと思った次第。
◆そして・・・。やっぱり青銅器研究って浮いているようにも思う。岩永さんが書いていたが、青銅器そのものの基礎的な編年等はもはや固まっているんでしょ(議論が分かれているのは数人の専門家の間の認識)。だったら、やっぱりその先へ、青銅器研究の成果を弥生社会研究のなかにガッツリ組み込んで考えてほしいものである。実際には青銅器の意味やら儀礼の具体の姿などがわからんので、集落の調査から復元される弥生時代像に、なかなか組み込めないのだろう。どうしても独立的な扱いになるのかも。そこから先は人によって違うんだろうが、えてして独立的になってしまうとすれば、意識的に(強制的に)組み込んで考える必要があるのではないか。そうでなければ、青銅器研究は何のためにやっているのかわからなくなる。岩永さんと春成さんの中間で、やれることはあるんでは?

6月2日そのあと、科学博物館はひとだかり

◆大正まで行って、大阪ドームの近くでラーメン。それからてくてくと東へ歩き出すが、商店街にさそわれて折れる。西へ925e6f36.jpg行っているのだった。また、実は昨年、歴史学のハイキングで通った九条の商店街だったわけだが、気づかず。安治川の底を抜けるトンネルまで到達して思い出す。それから西九条の駅から、旧道に沿って東に向かう。
◆中之島西端。ここも昨年、川口居留地に行って、すぐ近くに来ていたのであった。中之島、科学博物館。人多数。大学生も(理系だろうが)いる。カップルもいる。もちろん子供連れの家族が多い。まあ、自分でさわったり動かしたりできるからだが、繁昌しており、歴史博物館に思いを馳せる。むろん、性質が違うから同じではないのだが、ヒントになることはあるのではないかと。
◆むろん国立現代美術館はパスして(ここも人だかり)、市役所を超えて、図書館・公会堂を抜けて、バラ園。満潮で水位のあがってくる川をながめながらビール。

6月2日、大阪人権博物館

◆2日、久しぶりに空き。○○の原稿があるが、まあ・・・。カミさんと出かける。博物館巡りにつきあってもらう。市長の発言でae8b0c55.JPG問題になっている、リバティとピース。まずリバティ。
◆芦原橋から歩く。なかなかよかった。同和だけではない。導入は、障がいであったり、男女差別であったり、エイズであったり。沖縄や北海道、在日、日本の社会福祉の歴史も。充実している。なかなか良い博物館です。もっとじっくりコメントした方がいいのでしょうが。足を止めて耳を傾けたのは、ビデオでアイヌのおばあさんがアイヌ語を話しているもの。音声で聞くのは初めてだったので。
 

2012年6月3日、松岳山

◆【岸本・道上】C3の階段登り口両側のやり残し。マシンは階段上に仮杭。標高47.5m~44.75m。面積は狭いが時間を0024ee63.jpg要する。+高さが10センチずつ違った!。ミラー高の間違い(測り直しません。間配ります)。
◆KD1に立て、D3用に3箇所基準点を打つ(地ベタの不動点)。これで昼。
◆まず新規でD4の紙を用意し、境内地の南側を測る。
◆次はD3。境内地の北半+本殿背後やら、丘陵裾部のややこしいところを測る。露岩ばっかり。イワクラやで。18時過ぎまででひととおり終える。丘陵裾部の等高線は、本殿背後の削り出しにより急傾斜になっており、コンクリートや石垣がめぐる。なかなか空白部の等高線をすべて埋めきることはできない。一度、持ち帰って検討する必要がある。
【追記】イラレ上で結んで、どれくらいつなぐのに無理があるのか、検討しました。確かに無理もあるのだが、しょせん改変された崖面。ひととおりつなぐ。高さの単点データもまめに取れる状態ではないが、書いてきた等高線について、未測量部のところをどう走るのか、現地でさらに観察し修正して、もうこれで仕上げとしたい。
 

男女共同参画社会

◆市長がクレオ?に補助金を出さない、結局は閉じることになるのか、それが絶対ダメかというと?わからないが、少なくとも相談窓口機能は必要だろうとは思う。それよりも、大阪市の職員は、男女をまったく同数にするか、4割切ってはいけない、くらいのことをやってほしいもの。民間はともかく、公務員は法律で決めればいいのだ。市長はそんなことは金輪際考えていないに違いないが。

タブレットは小中学校に必要か

◆29日に府市統合本部の会議があることは、例の近現代史の教育施設新設の件で聞いていたので注目していた。翌30日の新聞に注意していたが、その関係記事はなかった。が、別途、メールで情報は入ってくる。大歴で対応を月曜日に議論し声明文も作ることになっているが、金曜日まではなにも手をつけられなかった。
◆で、新聞では、府大と市大の議論のためのチームを作るといった記事を見たような・・・。また、それよりもマスコミでは、原発容認といった記事が踊る。脱・原発依存を主張してきた市長は、この先、この問題について、どういう態度を取るか、見物だ。このまま、この問題は大飯原発が再稼働して収束してしまうおそれもありそうだ。
◆大阪市の小中学校にタブレット端末を配備するんだって。橋下流はすべて思いつき。やりとりするには便利な道具かもしれない。が、児童が、鉛筆と消しゴムを使い、ノートを取るという学習は必要ではないか。手を動かして文章を書いたり図を書いたり式を書いたり、そうやって整理してまとめていくことは論理的思考を身につけるのに不可欠では。画面にペンを走らせて自動的に記録されることと、手で1字1字、文字などを実際に書いていくことの差、というのはあるように思う。大人になると、「ノートに手書き」から完全に脱却する人もいよう(オレもそれに近い)。しかし、論理的思考、レジュメとかの資料作成、文章力、そういうものは小学校からタブレットを使うことで養われるのだろうか。いまよりも劣っていくのではないかという危惧である。タブレットなどの機器も進歩していくのだろうが、しかし手で書いて、また1冊ノートを使い切ったとか、そういうことの意味はあるように思うのだが。

6月1日、今週もやっと乗り切って

◆月曜日は、夕刻、大阪歴史学会の委員会に出る。火曜は車を車検に出して、それから、4限の授業のあとに、大阪8f0a5bc0.jpg城の打ち合わせがあるのでその準備。6月23日に昨年度の報告会があるので、各自、どういう報告をするか、下準備の発表をやっての打ち合わせだ。それと今年度の研究費申請にむけて、具体的には何を書き込むか、それぞれに打診するなど。それから申請書を書きはじめる。提出は木曜日17時厳守。
◆水曜日は?。2限の授業をなんとかこなし、そのあとは、ずっと申請書書きをやっていたか。記憶も定かでない。だいたい書いて仁木さんに送りチェックを受ける。木曜日は神戸大学に行き、昼に戻って、5限の博物館実習Ⅰのレポート印刷をやって、申請書を書き、13時から3限の大学院演習をやって、4限の時間に最終仕上げて研究費申請書類を提出。5限の博物館実習Ⅰをなんとかこなし、そのあと金曜日の準備。
◆本日、金曜日。大阪城のレーダー探査の結果について、天理大学に行く。朝からその準備。きちんと本丸御殿と対比すると、それらしい反応部もありそうなので、嬉しくなる。12:30から研究会で2人の卒論演習。終了後に天理に向かう。考古学実習室なる実に立派な部屋があってうらやましい限り。ま、30分ほど簡単にしゃべる。割と短時間で終了し、今年度も継続して探査をお願いし、天理を離れる。
◆腹が減ったので、香芝のPAでラーメンを食い、めずらしく19時過ぎには家に帰るが、もうへろへろである。日曜日は松岳山に出撃するが、明日、2日の土曜日は久しぶりのアキ。ほんとうは和泉市の紀要の原稿を書かないとヤバイのだが、どうしたものか。

5月27日、兵庫県の博物館

◆2012年5月27日、学生と兵庫県・播磨方面に行く。考古博物館で《清盛と日宋貿易》の特展ほかを見る。そのあと、なぜか生石神社で浮石を見る。b683da03.JPG
◆それから丁瓢塚を訪ねるも、草が茂り、崖面もあんまり見えない。みなさん、埴輪?を拾うものだから、なにかないかと思ったのだが。姫路でラーメン。兵庫県立歴史博物館。鶴林寺の展示は面白かったのだが、ここって前は常設展というのはどんなんだっけか。なかった?姫路城のコーナーとか、子供のコーナーとかはあるのだが。いったいぜんたい・・・。次に姫路市埋蔵文化財センター。が、速報展をやっており、通常の展示は見られず(岡山市もそうだった・・・)。国分寺、宮山、見野古墳群など、いっさい見ずに加古川に行く。16:35着。博物館は閉じられ入れてくれなかった。こういうのもどうなんでしょうね。16:30までに入れ、というのは、職員が17時には閉めて帰れるように、という意味でないのか。ふつうは、17時まで開けており、駆け足でいいからと言ってザっと展示を見る、のではないのか。ま、複合施設で、学芸があるわけでなく、決まった展示の部屋を開け閉めするだけで、機械的にしか対処してくれないのだろう。
◆28日、新泉社の陵墓の本が届いた。オレは佐紀陵山古墳の立ち入りについて報告している。
 

2012年5月26日、田植え、五條文化博物館

◆5月26日の金曜日は和歌山へ。翌日、田植え。3回目。マシンが変わっていて、運転の仕方から。前の、自分が田の中に足を入6d610795.JPGれてまっすぐ植える方が性にあっているが、4列植えの車(?)になって田に足を入れることがない。ま、だんだんと慣れたが、やっぱり、慣れた頃には終わる。
◆和泉の神社巡りを考えていたが、帰って休もうということになり、午後、帰途に向かうが、途中、再開した五條文化博物館に寄りたくなり、寄る。これも安藤忠雄なのね・・・。で、階段を上がらせられるが、まっすぐ進めず、迂回させられる。で、上から展示を見て、下に降り、下から外に出れず、また上に戻り階段を下りる。どんな設計やねん!、とカミさんが怒っている。展示はなかなかいいものなのだが、人が入らんかったんやろね。1995年に竣工するも、数年前に閉めたのだ。とはいえ、場所が悪いでしょうね。やっぱり、五條の町中にあってこそと思う(新町通は2010年に伝建に選定)。
◆当日の説明では、柿の葉寿司の「たなか」が指定管理者になった?。鉄道のジオラマが1階に作られ、人がまとまe55f973e.JPGれば見せるよう。模型ではないが、五條ならではのポイントを散りばめたもの。鉄道写e15554a8.JPG真や北宇智のスイッチバックの説明やら、テッチャンは喜びそう。
 

2012年5月25日、近つ

◆考古の研究会で学生の2本の報告を終えたあと、近つに行く。行く人は一緒にイコカ、と言っていて、1人脱落し、小西さんと49642b5f.jpg行く。到着がぎりぎり1630でもぐりこむ。古墳時代の祭祀の展示。導水埴輪の細部をしげしげと観察した。
◆出たところで、鳥坂寺の模型。史跡になり、地元の団体に補助金を出した事業。30分の1の模型を作る事業のよう。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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