人を幸せにする人になろう

ちょっと別件

◆土曜日の関西例会で、文化財保存活用地域計画、の話が出た。こないだ、6月に文献史の人たちとの研究会でもしゃべったが、考古畑の文化財担当者は、地域文化財を、指定・未指定にかかわらず総合的にという場合、やはり記念物や建造物、民俗などとなる。遺跡、寺社、城館、近世・近代の建築物、そして祭礼などをイメージし、パッケージを作ろうとする。が、近世文書などは、念頭にないのでは。近世文書は、埋蔵文化財のように保護規定がなく、代替わりで家をつぶす場合に、良心的な人は資料館や本庁の文化財担当に、一度、見に来てくれと伝える。そんなことお構いなしの家屋のつぶしや、資料の廃棄もある。初めから骨董屋に話をもっていく人もいる。そっちサイドから、こんな文書ありますが買いませんか、と話が来る。
◆もとい。文献担当は博物館や資料館勤務で、文化財保護行政にかかわることはあまりない。上記のような所蔵者さんから、選択し、古文書やモノを引き取るのは、文化財保護の仕事をやっているという意識はないだろうと。法律にしたがった行為ではないから(文化財保護法はエエモンを指定して保護する法律に過ぎない)。それがようやく未指定のものも、となってきたわけだが、まだまだ近世文書は条例により指定しようかという場合は行政の保護行為になるが、ほとんどのものは、法律外のところで、学芸員の価値判断で、博物館・資料館として収蔵するという法律外の行為である。
◆この時に話をしたのは、埋蔵文化財もひとつの柱かもしれないが、近世文書をいかに把握し保存を図るかが、文化財保護行政の半分くらいの仕事ではないか、ということ。いま文化財保護行政にあたる考古畑出身の担当者に、そうした意識はないだろうと。
◆一般のひとたちの関心は、おじいちゃん・おばあちゃんの時代に始まり、近代、近世。古い遺跡が好きな人は別にいる。それも大事だと総論は賛成でも、いまの自分たちの生活とは直結しない。これは縄文以前はという話でもない。理念的につながっているとは言っても、弥生や古墳や奈良時代も、中世荘園も、いまとは直結はしない。やはり近世に地域社会が強固になり、そこに近代産業化が進み、産業構造なども変わり、戦後の人口増と経済成長で地域が活性化し、そしていま後退局面にある。
◆近世文書の豊かさ、それを残さないと、いまもちゃんとある近世村の歴史はわからなくなる、ということ。遺跡が破壊されるということと同様に痛みを感じないといけないことだ。地域計画、指定・未指定にかかわらず地域文化財の総合的な保護と活用という場合、近世文書がすっぽり抜け落ちているとすれば、これは困ったことだ。完全な抜け落ち。形あるもの(古文書もモノではあるが)、不動産的なもの、そういうのが町づくり、観光資源化、地域のウリとしてわかりやすいのは事実。が、そういうものが、実際のところ何だったのか、どう使われたのか、どういう意味をもっていたのか。考古資料と同じ、外形的な説明はできても、内実はわからない。地域に残る不動産的文化財や祭礼等の民俗文化財も、文献資料があれば、はるかに豊かな内容を与えてくれる。失ってしまえば、用途を終えた外形的な把握にとどまる。文献資料を軽んじてはならない。
◆文献史の人たちも、これまで文化財保護行政にかかわることが少なかったと思うが、そういう世界に食い込み、対等にわたりあう、そういう志向性をもつ人材を生んでいくことが大事。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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