人を幸せにする人になろう

つづき

◆日本書紀編纂にあたって、神武即位を紀元前660年にすべく水増しはしているわけだが、しかし景初3年は正しく239年に位置づけている。まずはそう認められる。日本書紀という編年体史書の建前からすれば、神功摂政は201~269年に位置付けていることになる。
◆次に、神功摂政期間を何年にするのか、その元年をどこにおくのか、とにかく水増しして最終的に紀元前660年が実現すればいい、といったものなのかどうか。神功元年は181年でもいいし、221年相当でもいい。魏志倭人伝を知っていれば、神功元年が181年なら、景初3年の記事は、神功59年に配置する。神功元年を221年としているなら、景初3年の記事は神功19年に配置することになる。神功元年が201年になっていることが偶然の産物、タマタマなんだとみるならそれまで。
◆がそうじゃないだろう。まずは、垂仁でも景行でも仲哀でもなく、神功摂政期間のなかに景初3年の記事が入っている。それとともに、神功摂政期間が201年から269年に配置することは、計算されて案分されているのではないか。そうかいな、ほんまかいな、とここで意見が分かれよう。
◆一方、初代倭国王が卑弥呼であったことは確実にわかっており、その在位期間も伝承されていたんだろうが、日本書紀編纂時にそれは消し去られる。それを考慮すれば、やはり神功像の一面に卑弥呼が投影されている可能性があるんではないか。その神功の元年が181年でも191年でもなく211年でもなく221年でもなく、201年に設定されている意味はあるんではないかな。
◆201年といえば、そうですよね、卑弥呼共立年なんとちゃうんか、というのがわたしの推測です。神功なんかを間におきつつ欠史8代なんかも入れて、それぞれを案分し、たまたま神功摂政期間とした実年代のなかに239年があたってきて、それに相当する神功39年条に景初3年の記事を置いたにすぎない、とは思えないわけです。
◆繰り返しますが、これは本質的な話ではありません。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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