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最大の前方後円墳が王墓なのか

◆キサキ墓は考えないといけないわけだが、おそらく王墓のような制度的なものはないだろう。ヒバス媛は丹後に帰葬しているはず。埴輪の伝承や石作り伝承はたぶん垂仁の頃のこととして伝承されていると考えてよいと思うし、それが佐紀陵山古墳に結びつけられているというのも、あたっているのではないかと思う。が、それが倭彦であったり、ヒバスヒメの墓のことかというと、そうではないのではないか。陵山古墳から甲冑片が出ていないもんかね~。陵山相似墳のあり方からすると、きわめて政治的・軍略的な関係構築を推進した人物像となる。そうした考古学の立場からすると、被葬者が女性であるとは考えにくいのである。
◆それはそれとして、王墓は最大の前方後円墳でないといかんのかと、どこかで聞いたようなフレーズ。こっちとしては自明なので、とくに書いていない。それはあかんわな。どこかで考えは明記しておく必要がある。最大規模墳でなければならないんです。造山だって260歩であって、ミサンザイの280歩よりは小さいのです。それを越えようとするならつぶされるであろう。それが前方後円墳共有システムである。そうした前方後円墳のあり方からすれば、王墓はなにも大きくなくていい、という論理は考えにくい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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