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応神元年は390年

◆応神3年に百済アカ王(即位392)の記事、応神8年分註に百済王子直支の来倭(397年)の記事、応神16年に百済アカ王の死没(405)の記事があり、これらは応神元年を390年として配列している。これは堅い。元年というのは重要だろうと思いますね~。そうですか、ホムダワケ即位年は記紀編纂者は390年としているんですか、そうみたいですね、でもそれが正しいんですか?、とうそぶくことは可能。そこから先を読み取ろうとはしない懐疑派はほっときましょう。応神元年は390年に設定してある、これは事実。次にそれは架空じゃなかろうと。日本書紀のタテマエでは、応神在位は270から310年です。なぜそこに、例えば応神3年条に392年の記事を入れるのでしょうか。そこが392年だから、でしょう。で、それは392年ではあるが、応神3年のことだったというのはウソなのでしょうか。そうでもないと思いますよ。
◆応神元年は河内王朝にとって重要な年です。やはり390年ではないのかな。前年に宇治市街遺跡の木が伐採されている。まあ晩年にようやっとクーデタを敢行したと、こっちは思っているわけです。むろん、それよりも4世紀後半に、河内で活躍していたことが重要なわけで、そこに佐紀から河内政権への準備期間があったという面が考古学的には大事なんでしょう。
◆ところで須恵器の年代なんですが、TG232があって、中期はじめにはまだない段階があると。だからTG232が4世紀末で、中期のはじめは4世紀後半だと。しかし、擦り合わせはできないだろうか。中期≒須恵器でもいいのんとちゃうかな。須恵器は400年以降だと書いたことと齟齬をきたしてしまうが。なんかそのへんが答のようにも思うのである。つまり4世紀後葉が中期であり、ほとんどイコール陶質土器も生まれている可能性である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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