人を幸せにする人になろう

また横穴式石室が

◆ここのところ、横穴式石室に頭がいっている。きっかけは『考古学研究』の新納さんの論文。いつも刺激に満ちている。わたしにとって新納さんは大学1年の時に、物集女車塚の調査に参加して以来、あこがれである。新納さんがバイクに乗ってさっそうと現場に現れる、それにあこがれて、そののち、バイク乗りになった。
◆その後も、新納さんには、人生相談にも乗っていただいた。ぶれて悩み出すと新納さんの論文を読んでいた。「きとんとした方法論にしたがって研究を進められる仲間になって欲しい」そういう意味の期待の言葉をかけていただいたのが、わたしのその後の原点になっている。悩んだとき、新納さんに戻る。さて、いまの自分はそうなっているのだろうか・・・。造山古墳の測量の手伝いで、新納さんの現場に行くのは楽しかった。
◆新納さんの論文は示唆に満ちているのだが、あまりはっきり言わないので、困ってしまう。真意は?という思いが多々ある。まず三角縁神獣鏡、節についての論文で、笠松形紋様を三角縁神獣鏡に入れることをやったのは中国王朝なのか倭なのか、と問いかける。きっと新納さんは「倭ちゃうか」と思ってンだろうな、と読めなくはないが、本人ははっきり言わない。考古学研究会の論集の横穴式石室の論文の時も、丸山を欽明とするのも一案だが、それも不確かとして被葬者論から年代の定点はないとみるか、と文字面では二者択一で、どっちなんだ、と思っていた。が、今回の論文で、丸山=欽明墓とみていることが明白となった。
◆感想のひとつ。吉備の石室を取り上げることは必要なのかもしれないが、近畿の人間としては、吉備の話が一枚かむために、近畿の石室の年代観がややぼけた、ように思う。まあ、しかし、それは近畿で横穴式石室をやっている人間の責任か・・・。
◆もうひとつ、藤ノ木は穴穂部なのでなく古いというのは、わたしもそう思うが、牧野が彦人でないという論理は説得的でない。兆域の話が根拠になっているが、兆域なんてあとづけでしょ。白石先生の(言い出したのは網干さん)の見方はなかなか崩れない。
◆では、なにが問題なんだろうね、どう整合的になってないのかな、前方後円墳の終末論の部分は、不勉強でよくわからん。いずれ丸山の位置づけがやはりなおしっくりきていないこと、それが最大の問題なんだと思っているが(『遺跡学研究』の論文にすこし書いた)。
◆いずれにしても、早く横穴式石室をやりたいものだ。新しいことをやるためには、古いことをかたづけないといかん!。はよ原稿を書こう・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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